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2022年3月12日 (土)

「ウエスト・サイド・ストーリー」今の時代に作られた意味

ミュージカルの金字塔「ウエスト・サイド物語」のスティーブン・スピルバーグによる二度目の映画化作品。
ミュージカル映画は好きですが、一度目の映画化作品は縁がなく今まで見たことがありませんでした。
そのためそちらとの違いについて語ることはできません。
本作はどちらかと言えばオリジナルのミュージカルに近いということらしいです。
劇中でかかるスコアはどれも耳に馴染みのあるものばかり。
どれだけオリジナルや1961年度版が浸透していたかが伺えます。
スピルバーグはミュージカル作品は初めてですが、非常に躍動感があるミュージカルシーンになっていたと思います。
私は1961年度版とは比較はできませんが、カメラワークなどがイキイキとしていて音楽やダンスと合わせて、若者の熱を感じさせてくれました。
スピルバーグはミュージカルは初めてですが、思えば「魔宮の伝説」のオープニングは音楽と合わせた演出などもしていて、昔からやってみたかったのかもしれませんね。
しかし、なぜ今「ウエスト・サイド・ストーリー」が60年を経て再び映画化されたのでしょうか。
みなさんもご存知だとは思いますが、そもそも原作のミュージカルがベースにしているのがシェイクスピアの「ロミオとジュリエット」。
対立するそれぞれの家に所属する男女が惹かれ合い、しかし結果的にはその間は引き裂かれ、二人の死という悲劇を迎えてしまいます。
「ウエスト・サイド・ストーリー」では再開発が進むスラムの非行グループジェッツと新進のプエルトリコ系によるシャークスのそれぞれに属するトニーとマリアの恋愛悲劇です。
なぜ、今かという問いに対しては、現在の世界(特にアメリカ)は分断と対立というキーワードで表現できるからでしょう。
トランプ政権時に一気に顕在化した保守とリベラルの対立は今も尚、残っています。
相容れない主義が異なる集団同士の緊張感がある関係がしばらく続くとほんのちょっとした出来事から一気に暴力的な対立にまで発展してしまう。
偶発的な事故から始まった憎しみは連鎖しながら増大していく。
なんでこんなことに、と後で皆が思うかもしれないが、その渦中にいるとその流れは誰も止められない。
集団の力学では、その憎しみの連鎖は如何ともし難いのですが、それを超える唯一の方法は個人レベルの愛であり信念。
分断と対立が激しくなっているからこそ、愛や信念が必要であるというメッセージなのかもしれません。
スピルバーグはユダヤ系であり、今までも差別や分断ということをテーマにしてきた作品を作ってきました。
「シンドラーのリスト」も個人の信念で分断と対立を一部なりとも影響を与えることができたことを描いた物語とも言えると思います。
本作を見た後に、ロシアがウクライナへ侵攻、アメリカだけでなく世界全体に分断と対立が広がっているようにも思います。
ロシアとウクライナは同じ民族であり、この侵攻がどんな結末になるにせよ、二つの国の国民の間には分断と対立が残されるような気がします。
60年を経て作り直された本作の意味を考えてもいいかもしれません。

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