「ゴヤの名画と優しい泥棒」見ないようにするか、対処しようとするか
1961年にイギリスのロンドン・ナショナル・ギャラリーからゴヤの名画「ウェリントン公爵」が盗まれました。
その犯人は実は60歳のタクシー運転手ケンプトン・バントン。
彼は「公爵」の身代金(?)として年金受給者のBBC受信料をタダにせよ、と要求したのでした。
そんなバカな、という話ですが、これは実際にあった話ということ。
ケンプトンは10歳近くにいたら、結構な変人だとは思いますが、作品では愛らしいポジティブさを持った人物として描かれています。
それに対して彼の妻は非常に普通というか、保守的で常識的な人物として描かれています。
この二人の夫婦が対照的です。
二人には娘がいました。
しかし、ケンプトンが買い与えた自転車に娘が乗っていた時に事故に遭い、彼女は亡くなってしまいました。
夫婦二人は共に悲嘆に暮れますが、悲しみへの対処の仕方が全く異なります。
妻は彼女の死、自体を受け入れようとしません。
彼女のことを思い出して苦しくなるからか、彼女の遺影を飾ることも嫌がります。
ケンプトンは自分が原因であったかもしれないと悔やみつつも、娘の死は受け入れています。
彼らは不都合なことを見ないようにするか、見て対処しようとするか、全く対応の仕方が違います。
ケンプトンは元々社会が内在している不都合に対して、物を申す人物でした。
働いている会社で経営に対し、色々注文をつけるため、中々仕事も長続きしません。
物語の中で彼が気にしているのは年金生活をしている老人たちです。
彼らの世代は世界大戦で家族を失い、孤独に生活している人も多い。
彼らの唯一の楽しみは孤独を紛らすテレビであるのに、生活が苦しい彼らからも国は受信料を取ろうとする。
彼はそれに憤慨していました。
そのことに対し彼は「公爵」を使って、要求をしようとしたのです。
もちろんそのような行動を知った妻は卒倒しそうなほどに驚きます。
価値観が違うのでそれも尤もなことです。
裁判を通して変人でもある夫が、本当に不遇な状況にある人たちを救うために、時にユーモアを交えて、訴える様子を彼女は見ます。
そしてその言葉に多くの人が賛同していく様子も。
見たくない現実をしっかりと見て、行動していくことによって少しでも変えられることを。
そんな夫の姿を見て、妻は娘の死にようやく向き合おうという気になりました。
不都合なことを見ないようにするか、それに対処しようするか。
向き合う勇気をケンプトンは伝えてくれたように思います。
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