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2022年2月28日 (月)

「355」区別はもはや意味がない

ひとことで言えば女性版の「ミッション・インポッシブル」でしょうか。
タイトルの「355」とは南北戦争の時に活躍した女性エージェントのコードネームだとか。
南米の麻薬王の息子が発明したどんなセキュリティも突破する電子デバイス、いわばこの作品のマクガフィンを巡り、犯罪組織と各国のスパイ組織がせめぎ合います。
アメリカ、ドイツ、イギリス、コロンビア、中国。
各国の諜報組織に所属する女性スパイたちの丁々発止のやりとりは、スリリングで見応えあります。
彼女たちははじめは誰が味方かわからず疑心暗鬼に囚われながらも、マクガフィンを追っていきます。
その追跡の中で繰り広げられるアクションも、女性だからと言ってやわではありません。
男性顔負けのタフさもありつつ、女性らしい華麗さもあり見応えがあります。
前半の山場の港での追跡シーンは緊張感がありました。
まだ敵か味方かわからない同士であるCIAエージェントのメイスとドイツBNDのマリーの直接対決はかなりガチでタフでした。
またラストの高層ビルでの決戦はアクションシーンとして見せ場がかなりありました。
またスパイ映画的には、モロッコでのデバイス追跡シークエンスも緊張感があり、好きでした。
ストーリー的にもハードな場面もありました。
それぞれの女スパイの大切な人々が次々に手をかけられていく場面はなかなか容赦ない感じがあります。
スパイというハードな世界に彼女たちがいる、ということを改めて感じさせた場面です。
アクションとしてもストーリーとしても女性だからこのくらいだろう、というような手加減は基本的に感じません。
一般的にジェンダフリーというと、女性へ配慮するという感じの気分もありますが、本作は女性だから、といった気分は全くなく、男性同等以上のハードな状況を切り開いていく女性たちが描かれます。
男性女性という区別はもはや意味がなく、ミッションを遂行し、正義を守ろうとするプロフェッショナルたちが描かれます。
今の時代だからこそ生まれた作品とも言え、今後もこういった作品が増えていくような予感もしますね。

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2022年2月27日 (日)

「ゴーストバスターズ/アフターライフ」 世代を越えて継がれる物語

2016年の「ゴーストバスターズ」はメンバーを全て女性にした形での「リブート」作品でしたが、本作は正当な続編という位置付けになります。
それもそのはず、プロデューサーは1、2作目で監督を務めたアイヴァン・ライトマンであり、監督はその息子のジェイソン・ライトマンとなっていますから(アイヴァン・ライトマン、亡くなってしまいましたね・・・)。
ストーリーも1、2作目を受けた形で、主人公の女の子はオリジナルメンバーのスペングラー博士の孫娘という設定です。
スペングラー博士を演じていたハロルド・ラミネスは亡くなっていますが、オリジナルメンバーのダン・エイクロイド、ビル・マーレイ、そして最後にシガニー・ウィーバーも登場します。
設定的には正当な続編ですが、テイストは監督の個性や時代性を含め、少し違ってはいます。
2016年の「ゴーストバスターズ」はオリジナルのテイストをなるべく活かす方向でのアプローチだったと思いますが、本作は焼き直しではなくジェイソン・ライトマンらしいテイストがあったかなと感じました。
オリジナルは80年代という時代性もあり、ポップでライトな感覚で、登場人物もキャラも立っていて気軽に見れるコメディというテイストでした。
ゴーストを扱っていながらもホラーな雰囲気はほぼなく、ライトテイストであることが新しく、かつ時代に会っていたのだと思います。
その分、登場人物の心情などはリアルというよりはキャラクター化されていたような印象が強いですね。
それに対して本作では登場する人物はオリジナルよりは現実に存在するような人として、心情についても深く描かれています。
特に印象深かったのは主人公フィービーの母親であるキャリーでしょうか。
彼女はスペングラー博士の娘でしたが、彼が研究に没頭するために捨てられたと思って生きてきていました。
しかしスペングラーは人知れず一人で再びズールーが復活しようとするのを防いでいたのです。
彼からすれば危険なところに家族を置いておきたくなかったのかも知れません。
本作で描かれる物語で、娘のフィービーがまるでスペングラー博士の生まれ変わりのように彼が成したかったことをやろうとします。
その中で博士が意図していたことにキャリーも気付きます。
最後にゴーストとしてスペングラーが現れ、自分の娘と気持ちのやりとりができたところはちょっとグッとくる場面でした。
ここはセリフがなかったのも良かったです。
CGだとは思いますが、ラミネスの表情も良かった。
キャリーだけでなく、フィービーについても内気な少女が祖父の軌跡を追いながら、成長していく様を描いていく様子も良かったです。
もちろん、オリジナルのファンも喜ぶ場面もちゃんと用意されていて、オリジナルメンバーが登場し、あのコスチュームでゴーストたちをキャッチする様子はなかなか痺れました(返す返すもラミネスがいないのが残念)。
とはいえ、次につながりそうなフリも用意されていて、次回作も期待したいところですね。
このところ「スパイダーマン」「ゴーストバスターズ」「アンチャーテッド」とソニーの作品ばかり見ているな・・・。

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2022年2月 6日 (日)

「大怪獣のあとしまつ」怪獣映画としては見てはいけない、三木映画として見るべき

本作、軒並みレビューサイトでの評価が低評価です。
この評価わからないわけではないですが、作品を見るにあたり何を期待していたか、ということに大きく関わっていると思います。
この低評価の原因の一つは事前の宣伝などによるミスリードであったような気がします。
ちなみに私はこのブログを読めばわかるように、特撮ファンであり、かつ本作の三木聡監督のファンでもあります。
この作品、三木監督を知っているか(好きか)で大きく評価が分かれると思います。
まず特撮ファンの視点として。
「シンゴジラ」や海外作品の「パシフィック・リム」やモンスターバースシリーズなどで、怪獣をリアルに捉えようとする流れが最近あり、ヒットもしています。
「シンゴジラ」であればもし今の日本に怪獣が現れたら、政府や自衛隊はどのように対応するのか、といったシミレーションが描かれていました。
本作は怪獣を倒した後について同様なリアルな視点を持ち込んでいます(ように見える)。
怪獣を倒した後どうなるのかというのは、今まであまり描かれたことはありません。
「ウルトラマン」では毎週、ビルの大きさほどある怪獣が倒されますが、翌週では綺麗さっぱり片付いています。
怪獣の処理を描くというのは目の付け所が新しく、そこをどうリアルに描けるかというのは、映画の題材として面白いと特撮ファンの私も思いました。
結構、面白くなりそうじゃないか、と。
そんな時、予告で監督のところに三木聡さんの名前を見たときに「?」となりました。
三木聡監督?
怪獣映画でこの人の名前を見る?
知らない人もいるかと思いますが、この監督の代表作としてはオタギリジョーさん主演の「時効警察」などがあります。
私はこのシリーズが大好きでありまして、なんとも言えぬシュールさであったり、ナンセンスさが独特で、病みつきになりました。
このセンスがわかる人とわからない人はいるかと思います。
三木監督のセンスが怪獣映画というジャンルにそぐうかどうかというのが、ちょっとわからなかったので、頭の中に「?」が出たのですね。
予告的には「シンゴジラ」的な怪獣をリアルな世界観で描くというような印象だったので、こんな映画を三木監督が撮るのであろうか、と。
見るまで自分としても怪獣映画として見るか、三木作品として見るかスタンスははっきりしていませんでした。
見始めたあたりは普通の怪獣映画で、その時の印象としては三木監督も普通な映画を撮るのだなあというようにちょっと残念な気持ちで見ていました。
しかし、「シンゴジラ」的な内閣の閣議のシークエンスになったあたりからちょっとその世界観が歪み始めます。
出演しているのは岩松了さんや、ふせえりさんなど三木組の癖のある面々です。
このシーンで繰り広げられるナンセンスで、それぞれがズレた会話のやり取りこそが三木監督らしさであり、それがふんだんに出ていました。
三木監督作品に馴染んでる私としては「やってる、やってる」という感じだったのですが、この辺りがサイトで低評価をつけている方の癪に触ったようですね。
「ギャグが上滑りしている」「会話が回収できていない」
そういったことが書かれています。
まさに、その通り。
それが三木監督らしさなのです。
本作は怪獣映画として挑むと肩透かしを食らいます(多くの人が食らってる)。
本作は壮大なスケールで描かれている三木映画です。
本作の構造は先ほど代表作で挙げた「時効警察」に非常によく似ています。
「時効警察」は一見、刑事ドラマや探偵もののようなミステリーの体ですが、彼らは全く犯人を逮捕しません。
彼らは時効となった事件をただ趣味で捜査しているだけなのです。
繰り広げられる会話にも溢れんばかりの脱力感があります。
刑事ドラマのフォーマットを三木流にパロディとしているのが「時効警察」なんですよね。
本作も同様で、「シンゴジラ」的な怪獣映画のフォーマットを三木流にパロディとしているわけです。
ですので本作は怪獣映画ではありません。
怪獣映画はただのモチーフなのです(馬鹿馬鹿しいほどんいそこにエネルギーを費やしていますが)。
本作は怪獣映画として見るのではなく、三木映画として見るのが正しいと思います。
本作の不幸は宣伝などが、まさに「シンゴジラ」的な作品であるという印象を強く出していたため、多くの人がまともに怪獣映画を見ようというスタンスで臨んだことでしょう。
そのスタンスでいけば、「これはないよ」という感想を抱くのは無理もありません。
本来的には三木聡がこんな馬鹿馬鹿しい映画を撮ってしまったくらいな予告の方がよかったのでしょうね。
まあ、それだとあまりお客さんは入らないかもしれないですが。

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