「ノイズ」 聴こえないノイズ
「この映画を見よう」というときに、皆いろいろなキッカケがるかと思います。
原作が好き、監督が好き、そして出演者が好きなど・・・。
私は監督や脚本家で決めたりする時が多いのですが、この俳優が出てる作品を見たいというのも数少ないですが、ありまして。
そういった俳優の一人が藤原竜也さんです。
この方は他の俳優にはない存在感というのがあるように思っていまして、それが唯一無二というか、他の方にはとっかえが利かない感じがあるのですよね。
「カイジ」じゃないですが、ザワザワする感じといいましょうか、一筋縄ではいかない感じが、彼の出演する作品にはあるように感じます。
その先行きが見通せない感覚に惹かれるのですよね。
本作「ノイズ」もそのようなザワザワ感を感じます。
名物黒無花果で復興を果たそうとする小さな過疎の島へ、元受刑者がやってきます。
劇中では彼は平穏な島を見出す「ノイズ」として語られています。
これは確かにノイズですが、かなり目立つ大きな雑音です。
この島には他にも聴こえるか聴こえないかわからないくらいの小さなノイズがずっとあるのではないでしょうか。
それが心理的なザワザワした感触につながっています。
一見平和そうに見え、団結しているように見えますが、それぞれに思惑がある。
恣意的ではない、自分でも気づかないほどの。
島の人々は主人公圭太を復興の救世主と持て囃していますが、実は彼に頼り切っている。
その期待はいつ期待はずれに変わるかも知れず、それは絶えずプレッシャーとなっている。
圭太の妻、加奈が島へ違和感を感じているのは、そういった聴こえないほどのノイズを感じているからかもしれません。
このような一蓮托生感は古い昭和のミステリーにもあった感触であったようにも思います。
事件捜査のためにやってきた警察も島にとってはノイズです。
だから彼らは村の人々に邪険にされます。
両方に所属する真一郎は、そのことにより引き裂かれてしまったのだと思います。
<ここからネタバレあり>
圭太を陥れた人物は想像がつきます。
彼も心にノイズを抱えていたのだと思います。
親友と愛する人の幸せを願う気持ち、それと相反するような彼らを妬み憎む気持ち。
そのマイナス感情は自分自身も聴くことができないほどの小さなノイズであったのだろうと思います。
そこに異邦人という大きなノイズが現れ、その振幅に彼の中のノイズも増幅されていってしまったのかもしれません。
演出的にちょっと余計だったのではないかと思ったのはラストのシーンです。
彼が愛する女性の写真が壁一面に貼られています。
彼の思いの深さを表現しようということだったのかと思いますが、こうなると彼はストーカー、サイコな変質者といった印象を強く与えられます。
私は個人的には彼は普段はそのような思いを自分の中で自分も気づかないようにしていたのではないかと感じました。
最後の描写により彼のサイコな側面が描かれたことで、彼の人物像がちょっと薄っぺらく感じてしまったのです。
もう少しやりようはなかったのかな。
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