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2022年1月30日 (日)

「ノイズ」 聴こえないノイズ

「この映画を見よう」というときに、皆いろいろなキッカケがるかと思います。
原作が好き、監督が好き、そして出演者が好きなど・・・。
私は監督や脚本家で決めたりする時が多いのですが、この俳優が出てる作品を見たいというのも数少ないですが、ありまして。
そういった俳優の一人が藤原竜也さんです。
この方は他の俳優にはない存在感というのがあるように思っていまして、それが唯一無二というか、他の方にはとっかえが利かない感じがあるのですよね。
「カイジ」じゃないですが、ザワザワする感じといいましょうか、一筋縄ではいかない感じが、彼の出演する作品にはあるように感じます。
その先行きが見通せない感覚に惹かれるのですよね。
本作「ノイズ」もそのようなザワザワ感を感じます。
名物黒無花果で復興を果たそうとする小さな過疎の島へ、元受刑者がやってきます。
劇中では彼は平穏な島を見出す「ノイズ」として語られています。
これは確かにノイズですが、かなり目立つ大きな雑音です。
この島には他にも聴こえるか聴こえないかわからないくらいの小さなノイズがずっとあるのではないでしょうか。
それが心理的なザワザワした感触につながっています。
一見平和そうに見え、団結しているように見えますが、それぞれに思惑がある。
恣意的ではない、自分でも気づかないほどの。
島の人々は主人公圭太を復興の救世主と持て囃していますが、実は彼に頼り切っている。
その期待はいつ期待はずれに変わるかも知れず、それは絶えずプレッシャーとなっている。
圭太の妻、加奈が島へ違和感を感じているのは、そういった聴こえないほどのノイズを感じているからかもしれません。
このような一蓮托生感は古い昭和のミステリーにもあった感触であったようにも思います。
事件捜査のためにやってきた警察も島にとってはノイズです。
だから彼らは村の人々に邪険にされます。
両方に所属する真一郎は、そのことにより引き裂かれてしまったのだと思います。
<ここからネタバレあり>
圭太を陥れた人物は想像がつきます。
彼も心にノイズを抱えていたのだと思います。
親友と愛する人の幸せを願う気持ち、それと相反するような彼らを妬み憎む気持ち。
そのマイナス感情は自分自身も聴くことができないほどの小さなノイズであったのだろうと思います。
そこに異邦人という大きなノイズが現れ、その振幅に彼の中のノイズも増幅されていってしまったのかもしれません。
演出的にちょっと余計だったのではないかと思ったのはラストのシーンです。
彼が愛する女性の写真が壁一面に貼られています。
彼の思いの深さを表現しようということだったのかと思いますが、こうなると彼はストーカー、サイコな変質者といった印象を強く与えられます。
私は個人的には彼は普段はそのような思いを自分の中で自分も気づかないようにしていたのではないかと感じました。
最後の描写により彼のサイコな側面が描かれたことで、彼の人物像がちょっと薄っぺらく感じてしまったのです。
もう少しやりようはなかったのかな。

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2022年1月24日 (月)

「ハウス・オブ・グッチ」それぞれの正論

「最後の決闘裁判」から間を置かずに公開されたリドリー・スコットの最新作。
この監督は本当に作品の幅が広い。
グッチといえば、誰もが知るファッションブランドの一つ。
個人的にはファッションにものすごく疎いため、どうすごいかとか、他のブランドは何が違うのかは全く説明できないのだが。
グッチは伝統のあるブランドだが、一時期低迷した時期もあり、また創業家の一族の争いなども激しかったようだ。
そしてこの映画で初めて知ったのだが、創業者の孫が暗殺されてしまい、そしてその犯人が元妻であったというスキャンダルもあったということだ。
本作はその元妻パトリツィアを主人公にすえ、グッチ一族の骨肉の争いを描きます。
パトリツィアにはレディ・ガガ、その夫であるマウリツィオにはアダム・ドライバー、そのほかの出演者にはアル・パチーノ、ジェレミー・アイアンズ、ジャレッド・レトと、存在感のあるメンバーを揃えています。
この出演者たちが演じるグッチ家の人々も非常に強烈な個性を持っています。
彼らにとってグッチとは富であり、誇りであり、夢であった。
しかし、そのグッチは同じものではなく、それぞれが思い描く自分にとっての理想のグッチがあった。
ある人物にとっては、グッチは富の象徴。
ほかの人物にとっては、自分の才能を開花させてくれるもの。
または守らなければいけない伝統。
それぞれのグッチが相克し合い、骨肉の争いになった。
彼らが思い描くグッチは決して間違っているわけではない。
ブランドが持つ多面性の一つの側面を自分が都合のいいように解釈しているとも言える。
それぞれが主張していることは、それぞれにとって正論なのだ。
自分は間違っていないという確信があるからこそ、そのぶつかり合いは激烈となる。
もはや忖度などはない泥試合となっており、それぞれの人間性が丸出しとなっている。
その生々しさに人間らしさを感じる。
冒頭に書いたように自分自身はグッチ家のファミリーヒストリーを全く知らなかったため、どのように話が決着するのか全く想像できず、最後まで気を抜くことができず見ることができた。
最後のぶつかり合いは思いもよらぬ悲劇となった。
結局は勝者なしのゲーム。
現在のグッチには創業家のメンバーは誰もいないということだ。

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2022年1月16日 (日)

「クライ・マッチョ」二人の人生の交流

クリント・イーストウッド演じるマイクは元ロデオスター。
事故により引退し、その上妻子を事故で失い、酒や薬に溺れ置いて落ちぶれてしまった男です。
昔ながらのカウボーイというのは男の中の男(まさにマッチョ)というイメージがあり、憧れと共に語られることが多いですが、現代においては過ぎ去った古き良き時代のものとも受け止められますね。
イーストウッド自身はかつてマッチョな男たちを演じてきましたが、「許されざる者」以降からは、時代の変化とともにそれまでの価値観や見方が変わっていっていることに面することなるそのような男たちを描いてきていると思います。
本作の舞台となっているのは80年代で、まだマッチョな男たちが憧れであった時代。
しかしマイク自身はすでに老い、若い頃自分が信じていた価値観そのものが自分の中で変わっていることを自覚しています。
若い頃は、強いことが正義であり、誰にも負けない男であろうとした。
しかし、さまざまなものを失い、そして自身からも強さが失われていったとき、自分の中に何も残っていないという自覚があるように感じます。
この辺りは最近のイーストウッド主演の作品に通じるところがあるかと思います。
この作品でイーストウッドと共に旅をすることになるラフォという少年。
彼は母親に反発し、ストリートで生活しています。
今の生活から脱出したいと考えており、そのためには自身が強くなりたい、マッチョになりたいと考えています。
本作は男らしい男になりたいと願う少年と、そのことへ価値を感じられなくなった老人とのロードムービーになります。
二人は互いに影響を与え合います。
マイクからすれば、少年の描く夢はいつしか挫折し、自分のように後悔を感じることになるかもしれないとも思っているでしょう。
しかし、だからと言って少年の行く道を否定するわけではありません。
そして少年も、マイクは年老いた自分の中には何もないと思っていたかもしれませんが、彼の中には強い男が持っているやさしさが依然としてあることに気づかさせてくれます。
マイクは旅の途中で会った女性とその家族や街の人々と交流する中で彼の優しさを人々が認め、そこが彼にとって大切な場所となっていきます。
少年が歩み始めた道には挫折もあるでしょう(父親との暮らしも多難なことが想像できる)。
しかし、彼はマイクとの交流により強い男には強さだけが求められるわけではないことを知りました。
そしてマイクも自分の中に残っているものがとても大事であることに気づき、人生最後の時間に最も大切な場所を得ました。
全く歳が異なる二人のしばしの旅路の中でそれぞれの人生に影響が与えられたことを描いた作品でありました。

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2022年1月10日 (月)

「スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム」 ヒーローの目覚め

2022年最初の劇場鑑賞作品はこちら、「スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム」です。
トム・ホランド主演の「ホーム」シリーズの3部作、最終作となります。
こちらの作品、当初からいろいろありました。
3作目ではスパイダーマンが(SONYとマーベルの都合で)MCUから離脱しそうになりましたが、トムが仲を取り持って結局は引き続き両者で共同で作っていくことになったとか。
それが本当かどうかはわかりませんが、両者にとってその方が得であると判断したのだと思いますが、大ヒットとなっておりますので、その決断は正しかったということなのでしょう。
そもそもSONYはスパイダーマンの映画化権を持っており、MCUに倣ったSSU(SONY SPIDERMAN UNIVERS)を作り上げようとしています。
それが「ヴェノム」であり、今後公開される「モービアス」であったりします。
「ヴェノム」も興行的に成功しており、SSUは着実に構築されつつあります。
その中心であるスパイダーマンがMCUに所属しているのは、SONY的には都合が悪い。
それをひっぱり戻そうというのが、SONYの思惑であったのです。
その後両者は再びタッグを組むこととなりますが、そのときにマーベルのケビン・ファイギが「スパイダーマンは2つのユニバースを行き来する初めての存在になる」と言いましたが、まさに本作はそれを具体的に提示したものとなりました。
ネタバレなしで書くのはなかなかに難しいので、こちらについては後半で触れたいと思います。
MCUの「スパイダーマン」が過去のサム・ライミ版、マーク・ウェブ版と異なるのは、主人公ピーター・パーカーがティーンであることを非常に意識したものとなっているところかと思います。
過去の2シリーズは1作目でピーター・パーカーが蜘蛛の力を手に入れ、そして自覚を持つヒーローとしての目覚めを描いています。
「大いなる力には大いなる責任が伴う」というのは両作でピーターの叔父ベンが亡くなるときにいう言葉です。
ピーターは自分の自覚のなさにより、大切な人を失うという悲しみを経て、人のために戦うというヒーローとして目覚めたわけです。
それに対してMCUのスパイダーマンはそのようなヒーローとしての覚醒は描かれていませんでした。
もちろん師匠であり、彼にとって心の父のような存在であるトニー・スタークとの別れはありました。
それを経ても、というよりその様な経験があったからこそ、彼はヒーローという立場から逃げてきたとも言えます。
MCUのヒーローたちはピーターに比べ、大人であり、そしてプロフェッショナルです。
彼らは自覚的に行動をします。
スティーブ・ロジャースは揺るぎない正義感、トニー・スタークは力を持つものの責任感、ナターシャ・ロマノフは贖罪のために。
前作では彼らがいなくなった世界で、自分自身が背負わなければならない責任とどう向き合うか葛藤する様が描かれました。
しかし、それはまだスパイダーマンとしての葛藤でした。
前作のラストでピーターがスパイダーマンであることが周知となりました。
本作ではピーターとしてどうその責任と向き合うかが描かれます。
「大いなる力には大いなる責任が伴う」
本作である人物がこのセリフをピーターに告げます。
それまでのシリーズと同様に、ピーターは悲しみとともに自分が背負ってしまった責任を心の底から自覚をします。
そのために自分が犠牲を払わなければならないことも。
彼が払う犠牲はトビー・マグワイアの1作目のラストにも通じるものがあります。
本作は過去シリーズの1作目で描かれていたスパイダーマンのヒーローとしての目覚めを描いた作品です。
本当のスーパーヒーローとしてスパイダーマンが生まれたと言えると思います。
SONYのプロデューサーはトム・ホランドとの「スパイダーマン」は引き続き検討していると発言しています。
今後の「スパイダーマン」は大人として、ヒーローとして自覚を持った「スパイダーマン」が描かれることになるのでしょうか。
本作でさりげなく触れられた「黒人のスパイダーマン」(マイケル・モラレス)の登場もあるかもしれませんね。
「スパイダーバース」のピーターBパーカーのような役回りになるのかも・・・。
<ここからネタバレ前回>
公開前より今回の「スパイダーマン」はマルチバースがテーマになると言われていました。
そして過去のシリーズのヴィランたち(グリーン・ゴブリンやドック・オク、エレクトロなど)が登場することもわかっていました。
それで期待されていたのが、過去シリーズのスパイダーマン、つまりはトビー・マグワイア、そしてアンドリュー・ガーフィールドが登場することでした。
彼らは取材などを受けていても、それを否定していましたが・・・。
出ましたね!二人とも!
それもカメオというレベルではなくガッツリと。
鳥肌が立ちました。
「ウルトラマン」も「仮面ライダー」も兄弟や先輩が出てくるとぐっとくるものがありますが、「スパイダーマン」でもそれが味わえるとは!
そしてただ出すだけではなく、彼ら二人には役割も与えられていました。
今回ピーターが味わう悲しみと苦悩を、彼は誰とも共有できません。
この本質はMJともネッドとも共有できないのです。
ピーターの先輩であったヒーローたちも今は彼の元から去っています。
しかし、同じスパイダーマンである彼らは同じ様な体験をしてきたからこそ、今回のピーターの苦しみがわかる。
彼らにその苦悩を共有できたことは、ピーターにとっていかほどにありがたかったことか。
トビー・マグワイアのスパイダーマンは己の怒りに任せて行動したことによる悲劇を知っています。
だからこそ、トム・ホランドのスパイダーマンが怒りで鉄槌を下そうとすることを止めます。
アンドリュー・ガーフィールドのスパイダーマンは自分が及ばず大切なひとを失った悲しみを知っています。
だからこそ、彼は身を挺してトムのMJを救います。
予告でも流れていたMJが落下する場面は、「アメイジング・スパイダーマン2」でグウェンが落ちるシーンに酷似していました。
あの悲劇が繰り返されるのか、とも思いましたが、アンドリューのスパイダーマンがMJを救うことができてよかったです。
これはずっと十字架を背負ってきた彼自身をも救うことができたのではないか、とも思いました。
ヴィランたちも存在感がありましたね。
特にグリーン・ゴブリンを演じるウィレム・デフォーが素晴らしい。
狂気と正気の演じわけが流石、性格俳優だと改めて認識しました。
ゴブリンのマスクが語りかけるという描写なども1作目のオマージュたっぷりでした。
前半でスパイダーマンが2つのユニバースを行き来する存在になるとケビン・ファイギが言ったことに触れました。
2つのユニバースとはMCUとSSUなのは明白です。
今回のラストでピーター・パーカーがスパイダーマンであることは誰も知らないこととなりました。
その魔法をかけたドクター・ストレインジでさえ。
これはある意味、MCUからスパイダーマンは自由になったということができます。
アベンジャーズのメンバーからもピーターは忘れられてしまっているわけですから、それまでの柵からは解き放たれています。
今までは地球や世界を救う規模の戦いでしたが、これからは「親愛なる隣人」としてのニューヨークを舞台にした戦いが中心になる可能性もありますね。
本作ラストで救急の無線を聞いて手作りスーツで急行しようとするピーターの姿はそれを表している様にも感じました。
MCUとのしがらみが薄くなったことにより、SSUで動きやすくなる様にも思います。
これから公開される「モービアス」では「ホームカミング」に登場したヴァルチャーが出るという話なので、これはMCUと同じ世界を舞台にしている可能性があります。
そこにトム・ホランドのスパイダーマンが絡むということはあり得ます。
しかしその場合はヴァルチャーもピーターがスパイダーマンの正体であることは忘れているはずですが・・・。
二人のスパイダーマンが登場した時は、劇場で「あっ!」と声を上げましたが、その前に同じように声を上げたところがあります。
本作でピーターは当局に拘束されますが、彼を敏腕弁護士が弁護します。
その弁護士がチャーリー・コックス演じるマードック、つまりはデアデビルだったのです!
年末にディズニーチャンネルで公開された「ホークアイ」のラストでキングピンが登場したことからデアデビルがどこかの作品に登場するとは予想していましたが、こんなに早くとは驚きです。
先ほど書いたように今後の「スパイダーマン」がNYを中心に活躍していくならば、同じくそこで活動するデアデビルとの共演もあり得そうです。
期待したいですね。
そういえば「ホークアイ」のラストバトルの舞台となったNYのスケートリンクが本作でも映っていましたね。
まだクリスマスツリーは倒れていなかったようですので、「ホークアイ」は時系列的には「ノー・ウェイ・ホーム」の後なのかな?
最後に「ヴェノム」について。
「カーネイジ」のポストクレジットでMCU世界に転移したと思われていたエディとヴェノムですが、やはり来ていました。
本作で転移した者たちは「スパイダーマン=ピーター・パーカー」であることを知っているという条件であると言われていたので、「?」と思いました。
二人の口ぶりからすると当然スパイダーマンを知っている様子ではなかったですし、彼らの世界には他のヒーローはいない様子です。
じゃ、なんで彼らは転移してきたかというと、ヴェノムらシンビオートは集合意識というものを持っている存在です。
それは多次元世界を越える集合意識なのかもしれません。
トビー・マグワイアの3作目のもシンビオートは登場しており、ピーターに寄生し、黒いスパイダーマンを生み出しました。
その記憶が集合意識で共有され、エディ&ヴェノムも転送されてきたということなのでしょうか。
結局彼らも元の世界に戻りますが、シンビオートの破片は残されており・・・。
これが新たな展開に繋がる予感がありますね。

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2022年1月 4日 (火)

2021年を振り返って<映画>

2021年最後に鑑賞した作品のレビューが遅くなってしまったので、振り返りもちょっと遅くなってしまいました。
昨年劇場で鑑賞した作品の数は63本でした。
久しぶりの60本越えとなりましたが、過去の記録を見てみると2014年の93本以来となります。
結構見たなという感じですね。
今年は洋画の公開数も増えたので、洋画もたくさんみることが出来ました。
では早速ベスト10の紹介です。

1.「ザ・スーサイドスクワッド"極”悪党、集結」
2.「ノマドランド」
3.「すばらしき世界」
4.「シャン・チー/テン・リングスの伝説」
5.「シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇」
6.「オールド」
7.「劇場版 きのう何食べた?」
8.「護らなかった者たちへ」
9.「るろうに剣心 最終章 The Beginning」
10.「パンケーキを毒味する」

1.「ザ・スーサイドスクワッド"極”悪党、集結」
ジェームズ・ガンのセンスが爆発した作品で非常に良かったです。
「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」も良いのですが、マーベルだと抑えるべきポイントがいくつかあるので制約があるように思いますが、こちらについては全くリミッターがない感じが良かったです。
オープニングから無駄に死にますし。
登場するキャラも全てがエキセントリックでパワフルでした。
ハーレイ・クインも今までで一番良かったですね。

2.「ノマドランド」
「エターナルズ」は入れなかったのですが、クロエ・ジャオのアカデミー受賞作品は入れました。
ランキングで入れたいくつかの他の作品にも共通するのですが、今の時代に生きる人々を描いている作品に心揺さぶられました。
社会の仕組みの中でスポッと穴に落ちてしまい、顧みられない人々の生き様にクロエ・ジャオのカメラは寄り添っています。
この監督の良さはリアルな空気感の表現なのだと思います。
「エターナルズ」でもマーベル作品でありながら、空気感を非常に気にしているなと感じました。

3.「すばらしき世界」
こちらも社会の中で顧みられない人を描く作品。
西川美和監督の作品は見るのにエネルギーがいるのですが、それだけに非常に心に刺さる作品です。
あるレッテルを一旦貼られてしまうと、今の社会はなかなか生きていくのが難しい。
本来はそのような人々を救っていく仕組みでなければいけないはずなのに、それが出来ていない。
もし自分がそのような人々の近くにいたときに、公正に付き合えるのかと言われるとなかなか難しいという心情もあります。
ランクインにはしませんでしが、「ヤクザと家族 The Family」も共通するテーマだと思います。

4.「シャン・チー/テン・リングスの伝説」
マーベルの新ヒーローのデビュー作。
一見地味な印象を与えるヒーローでしたが、アクションシーンも見応えがありとても良かったです。
ジャッキー・チェンの世代ですのでカンフーアクションは大好物ですので。
トニー・レオンの存在感がありました。

5.「シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇」
Qでどこに行ってしまうのかと不安になってしまいましたが、最終作で力技で大団円に持っていきました。
いろいろ意見はあるかと思いますが、個人的には納得できた終わり方だったと思います。
子供はどこかで大人になるというなのだと思います。
最初にこのシリーズに触れた時は独身でしたが、すでに結婚し、子供もできた立場で見るとこの終わり方はしっくりいきます。
「エヴァンゲリオン」というシリーズはこの作品にいつ触れ、見たかというタイミングで大きく受け止められかたが変わる作品なのだろうと改めて思いました。

6.「オールド」
久しぶりのナイトシャマランの作品。
大どんでん返しのイメージが強い彼ですが、真骨頂は日常の中に非日常がじわじわと進捗してくるところからくる恐怖が彼の真骨頂だと思います。
本作はその様な彼らしさがうまく出ていた作品であったと思います。
どんでん返し感は薄かったですが、そのらしさを評価したいです。

7.「劇場版 きのう何食べた?」
人気ドラマの映画化作品です。
テレビシリーズの頃から主人公を演じる西島さんと内野さんの雰囲気が素晴らしい。
何気ない日常を描いている作品ですが、こういう時代だからこそ何気ない時が大切であると思います。
それはゲイだろうとなんだろうと関係なくて、どのような人々にとっても大切な人と過ごす日常って大事なのだなと改めて思いました。

8.「護らなかった者たちへ」
中山七里さん原作の作品なので、最後のどんでん返しはさすがだと思います。
しかし、それよりも「すばらしき世界」「ヤクザと家族 The Family」にも通じる社会に顧みられなかった人々を描き、社会の課題を浮き彫りにします。
全ての人を救うのは難しいことですが、それでもなんとかしなければならないと感じさせてくれる作品でした。

9.「るろうに剣心 最終章 The Beginning」
「るろうに剣心」シリーズの最終作。
剣心という人間を掘り下げた作品であったので「The Final」よりもこちらの方が好きでした。
こちらを見てからシリーズを最初から見てみたいですね。

10.「パンケーキを毒味する」
コロナ禍において政治に対してずっとモヤモヤしておりましたが、本作を見て溜飲を提げた感じがしました。
東京ではほぼ単館での公開でしたが、やはり同じ思いをしている人が多かったせいか異例のロングランとなっていましたよね。
菅総理は続投できなかったですが、本作の影響も少なからずあった様な気がします。

ここまでがベスト10でした。
番外編としては「劇場版 鬼滅の刃 無限列車編」があります。
こちらの作品は公開は2020年でしたが、見たのは昨年のお正月でした。
とても良い作品でしたが、さすがに2021年のランキングに入れるのはどうかと思い外しました。

さてワーストに関してです。
「新解釈・三國志」
「妖怪大戦争 ガーディアンズ」
「信虎」
です。

「新解釈・三國志」
やはり福田監督は私は合わない様です。
面白さがわかりません。

「妖怪大戦争 ガーディアンズ」
三池監督も最近なんか合いません。
昨年の「初恋」は良かったんですけれどね。

「信虎」
映画としての体を成していない気がします。

今年は劇場は通常営業で一年間通していけるでしょうか。
オミクロン株が広がっているのも気になります。
みなさんが健康で、劇場で映画を鑑賞できるように・・・。

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2022年1月 3日 (月)

「マトリックス レザレクションズ」 今の時代にこの物語を語る意味とは?

こちらの作品、昨年末には見ていたのですが、レビューが年明けとなってしまいました。
「マトリックス」と言えば20世紀末に突如登場し、その後の映画へ大きな影響を与えた作品です。
サイバーパンク的な世界観、バレットタイムをはじめとする斬新な映像表現、カンフーを現代的に取り入れたアクションなど革新的と言っても良いでしょう。
同様な世界観としては押井守監督の「攻殻機動隊」が先行してきましたが、実写での電脳世界の表現に、私も初めて劇場で見た時は衝撃を受けました。
ただ1作目から受けたインパクトが大きかったせいか、その後に続く「リローデッド」「レボリューションズ」にはそれほど強くは心動かされることはなかったのも正直なところです。
1作目は「マトリックス」が描く世界をどう受け止めるのかという葛藤があったように思います。
その世界の謎も全ては明らかにはなっていなかったということもあるかもしれませんが、その葛藤が作品の力でもあった様に思います。
2作目、3作目はマトリックスの世界の種明かしをしているわけで、納得度が上がるほどに印象はこじんまりとしていく様な感じがしました。
そして本作「レザレクションズ」です。
レザレクションとはresurrectionで「復活」という意味があります。
「マトリックス」という作品が「復活」ということもありますし、主人公ネオが再び「復活」するという意味もあるのでしょう。
タイトルは複数形になっていますが、これは複数の復活があるという意味で、それはネオだけではなく、もう一人(トリニティ)の復活もあるということを表していると思われます。
肝心のストーリーですが、今なぜ「マトリックス」の新エピソードを語るのかということがわからなかったというのが正直なところです。
ストーリーにしても、映像表現にしても「マトリックス」らしいとは思うものの、1作目を超えてくるという印象にはなりませんでした。
同じ様なことを再生産しているのように受け取れました。
20年経って新たに語ろうとする場合、今の時代を何かしら反映したものであってほしいと思います。
1作目はインターネットが普及し始めた頃に語られた物語で来たるべき未来を予想したものでありました。
それからサイバーな世界はより現実と深く結びついている状況で「マトリックス」として何を語るのかということを期待していたわけですが、物語として大きな進化は見られませんでした。
そこが残念です。
映像表現としてもその後の作品が「マトリックス」を目標として、それを越えようとしてきた20年間で、明らかに古典的に見えるような表現になってしまった印象です。
偉大なシリーズの続編には、その時代に合わせたメッセージというものを含んでいってほしいと思いました。

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