「エターナルズ」生々しい神々
<ネタバレあります>
MCUに初めて登場する不死の宇宙種族、エターナルズを描く本作で、アカデミー賞を「ノマドランド」で受賞したクロエ・ジャオが監督をしました。
エターナルズとは、宇宙をつくったと言われるセレスティアルズに作られた存在で、地球の人類を文明の黎明期より守ってきました。
彼らはそれぞれが強大な力を持っており、そのため人々からは神のように見えた存在であったのでしょう、彼らを描いた神話が各地に残されました。
そのような力を持っているのにも関わらずサノスに対して何もしなかったのは、彼らはディヴィアンズという人類に脅威を与える邪悪な存在にしか関与が許されていなかったからなのです。
本作は従来のMCUの作品とは大きくテイストが異なります。
エターナルズを神のような存在と書きましたが、本作はまさに神々の叙事詩といったような雰囲気を持っています。
ここでいう神とは、キリスト教のような超越神ではなく(どちらかと言えばこれはセレスティアルズに近いか)、ギリシャ神話に登場する神々のイメージに近いです。
ギリシャ神話の神々は、神と言っても非常に人間くさい。
愛しもするし、憎みもする。
欲深いし、嫉妬もする。
人の良いところと悪いところを極端にしたような存在です。
まさにエターナルズもそのような存在に見えました。
彼らは人を愛し、慈しむ。
そして彼らも悩み、迷う。
初めてMCUの作品でラブシーンが描かれたのも驚きましたが、それも彼らが非常に人間らしいということを印象付けました。
クロエ・ジャオの作品で見たことがあるのは「ノマドランド」だけですが、彼女は人間と自然を対比させて描いているように見えました。
彼女は人間が暮らすこの地球の自然を雄大に印象付けているように見えます。
そのことにより自然がそもそも人を超越している存在であるように感じさせ、そしてその自然との対比により個々の人の存在をより際立たせているように思えたのです。
本作でも彼女がこだわったというロケによる自然の描写が各所に見受けられます。
雄大な自然の前に、スーパーパワーを持ったエターナルズの人間が持つ生々しさが強く印象に残ります。
この生々しさは今までのマーベルのヒーローにはなかったもののように思えました。
そんな生々しさを持ったエターナルズがそもそも生物ではなかった、というのは衝撃的でした。
その事実を知った彼らはそれぞれに悩み、その結果エターナルズ内部でお互いに戦い合うようになります。
これもギリシャ神話を見ているようでありました。
結果、神々の幾人かは滅び、幾人かは生き残ります。
本作はMCUに属するものですが、他作品とのクロスオーバーはほぼありません(もちろん設定は共有されているので地つづきではあります)。
生き残った彼らは次回作でMCUの他メンバーと開講するのでしょうか。
本作を見ていて、湧いてきた疑問が一つ。
セレスティアルズは新たなセレスティアルズを生み出すため、ディヴィアンズに対抗させるためにエターナルズを創造しました。
セレスティアルズは宇宙をつくりだすほど力を持っているわけですから、どの様なものでも作れそうな気がします。
ディヴィアンズに対抗するためであったら、まさにロボットのように人間性を持たない存在をつくっても良かったように思います。
人間性を持ったからこそ、本作で描かれるような顛末が起こったわけですから。
長い宇宙の歴史の中で、このような事態になったのが地球だけというのは不自然です。
他の星でもこの様なことが起こったと思われます。
そうなるとあえてセレスティアルズがエターナルズに人間性を持たせる意味があったのではないか、と思ったのです。
その理由は今のところなんだかわかりません。
次回作などで明らかになることを期待したいです。
とはいえ、ディヴィアンズのような失敗作も作ってしまったセレスティアルズですから、ただの間違い、ということもありえます。
その場合は、セレスティアルズ自体も創造神のような絶対性は持っていないということになるので、その辺の展開も気になります。
さらには「ホワット イフ」に登場した、また一つの超越した存在であるウォッチャーとの関係性も気になるところです。
これも今後の展開で謎が解けることを期待しましょう。
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