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2021年10月23日 (土)

「ONODA 一万夜を越えて」 信じるものを信じ続ける怖さ

太平洋戦争後もフィリピンでゲリラ戦を行い、29年を経て日本へ帰還した小野田寛郎の実話を元にした作品。
出演者は全て日本人で言語も日本語であるのにも関わらず、監督はフランス人という珍しい座組みです。
なぜフランス人がこのテーマを選んだのか、というところに興味が出てきますね。
自分が信じることを人生をかけて信じ続けたということへ感銘を受けたのでしょうか。
これを美しいことと捉えるか、悲劇と捉えるかは作品内では明確には描いてはいませんが。
個人的にはこの出来事は恐ろしいことと捉えました。
主人公である小野田は情報将校として陸軍中野学校二俣分校で訓練を受けたのち、フィリピンに派遣されました。
陸軍中野学校はいわゆるスパイ養成機関であると言われています。
派遣される前に、小野田は上官より通常の日本軍ではあり得ない訓示を受けます。
一つは玉砕は許さない、ということ。
敗戦の色が濃くなった当時、本土決戦やら総玉砕などという勇ましいスローガンが語られましたが、それとは全く逆のことを上官は述べました。
すなわちスパイは生きて情報を得て、それを利用し尽くすのが本分ということなのでしょう。
そしてそれに関連して、自分こそが自分の司令官であるとも言いました。
つまり状況がどう変化するかわからない中で、それを自ら判断し、臨機応変に対応せよということであると思います。
これも命令が全てであった軍隊という組織の中では異例の訓示であると思います。
自ら状況を見て、判断し行動せよ、ということであるので、小野田は自由に判断し、日本が敗戦したという情報を得たときに投降してもよかったとも思えます。
が、彼はそうはしなかった。
自ら考えろという命令はあったのに、なぜか。
生き残れ、臨機応変に対応せよ、という命令の前提としてあったのは戦争を遂行せよという大前提の命令があります。
自ら考える訓練はされていたものの、その前提は絶対でした。
自ら考えているように見えて、支配されているという状況は自分でも気づかないものであり、ちょっと恐ろしいと感じた訳です。
また、小野田はジャングルに潜伏していた時に戦争が終わっているという認識があったと思います。
その時に小野田は認知的不協和の状態であったとも考えられます。
自分が信じていることを否定する事実が発覚した時に、その人の中で矛盾が起こります。
この場合は(1)ゲリラ戦を遂行しなくてはいけないという信念に対し、(2)終戦しているという事実がコンフリクトを起こします。
通常は(1)を修正し、ゲリラ戦を止め投降するということになると思いますが、小野田の場合は長期にわたる戦いを否定するという辛い決断(自分の年月も部下の死も無駄であったという認識を持つ)をしなくてはならず、そうできなかったのだと思われます。
そのため(2)終戦しているという事実を自らの認識の中ではねじ曲げ、それは連合軍の欺瞞情報であると考え、認知的不協和を回避したのではないかと考えます。
小野田は前提となる命令が絶対的なものであったこと、そして長年に渡る潜伏期間により認識を変えるためのコストが上がってしまったため、認知的不協和に陥ってしまったことがあったのでしょう。
それを正すためには、彼を支配していた上官の命令自体を無くするほかはなく、彼がジャングルを出るためにかつての上官のフィリピン訪問は絶対的な要素となったのでしょう。
本作を見て思ったのは、このような絶対的な命令の刷り込みであり、それによって人生の大部分を浪費してしまったという悲劇の恐ろしさです。
自らは信じたいものを信じていると認識しているかもしれませんが、そう思わされているという恐ろしさ。
見たいようにしか見ないというフェイクニュース的な恐ろしさにも通じるものも感じます。
そのため、この物語は戦中の過去の話と片付けるのではなく、現代にも通じるものとしても見ることもできるかと思いました。

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2021年10月19日 (火)

「007/ノー・タイム・トゥ・ダイ」 新しい価値観でアップデート

<ネタバレあります>
ダニエル・クレイグ版の「007」の第5作目にして完結作です。
「カジノ・ロワイヤル」は2006 年の作品ですから、もう15年も経ったのですね、早いものです。
ダニエル・クレイグが新しいジェームズ・ボンドを演じることが発表された時、金髪であるなど従来のボンドのイメージと違うなど否定的な意見がありました。
私自身もイメージが違うなと思いましたが、「カジノ・ロワイヤル」を見たあとは、彼が演じる新しいボンド像に惹かれました。
それまでの007シリーズではジェームズ・ボンド自身が掘り下げられることはほとんどありませんでした。
殺しのライセンスを持つ一流のスパイで、タフでありながらスタイリッシュ。
女性たちを魅了するプレイボーイでもあります。
ある意味、彼は男たちが憧れる理想のアイコンのような存在だったのかもしれません。
現実的には彼のような男はそうそういるはずはなく、まさにフィクションとしての存在でした。
アイコンであるボンドの背景にはマッチョな男と美しい女性といった、男性中心の価値観は明らかにあって、それが2000年以降の時代における価値観とマッチしなくなってきていたのは確かだと思います。
そのような中、ダニエル・クレイグ版のボンドは、若々しくそして悩み深き男として登場しました。
全て完璧に仕上がっている男ではなく、荒削りで傷つきもする男でした。
そんなボンドはとても生き生きとしていて、初めてアイコンではなく、人間として描かれたように感じました。
「カジノ・ロワイヤル」以降、ボンドはさまざまな経験をし、次第に成熟した男に成長していきます。
それまでのボンドはある意味仕上がった形でしか存在していませんでしたが、ダニエル版のボンドが成長していく姿を我々は目撃してきたのです。
彼自身の出自にまつわるエピソード、信頼できる仲間との出会い、別れ・・・。
おおよそ、前作の「スペクター」で成熟した男としてのボンドに仕上がってきたように感じました。
「カジノ・ロワイヤル」からボンドの人生を追ってきたようにも感じられますが、本作「ノー・タイム・トゥ・ダイ」では、彼の人生の最後を目撃することになります。
今までのボンドでは決してありえない終わり方でした。
しかし、ダニエル版のボンドとしては非常に納得できる終わり方でもありました。
従来のボンドは女性とのアバンチュールはあっても、本当に女性を愛しているのか(たとえ一度結婚していても)わからない印象はあります。
人間的な愛情をボンドに持たせると、冒頭に書いたアイコン性はなくなってしまうということはあったかもしれません。
しかし、ダニエル版ボンドは、今までの人生で愛を得たけれども、悲劇的な結果となり、それを引きずって生きてきました。
その傷が癒えさせてくれる女性と出会いますが、再び彼女を失う危険が迫ります。
ボンドは彼女を愛する者として、自分の命をかけて彼女を守ります。
一人の女性と、そして自分の子供のために命を捨てるボンド。
従来のボンドではあり得ません。
しかし、現代の価値観を背景にした新しいボンドにとってはそれは違和感はありません。
007というコンテンツは20世紀の価値観を背景にしていたため、時代に置いていかれる可能性もあったと思います。
しかし、ダニエル版のボンドは思い切って人間としてのボンドを描くことにより、現代的な価値観にマッチした新しい007像をアップデートすることに成功しました。
今後もこのコンテンツを作り続けていく基礎ができたように思います。
ダニエル・クレイグのボンドはこれで終わりだと思いますが、エンドロール後のメッセージにあったように「007 will return」です。
人としての007を描くという可能性を開いたので、ダニエル版よりももっと新しいボンドが登場する可能性があります。
本作でも示唆としてありましたが、女性版の007もなくはないと思います。
どのような新しいボンドが提示されるか、戻ってくるのを楽しみに待ちたいと思います。

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2021年10月11日 (月)

「護られなかった者たちへ」 手が届く人を護り抜く

現代社会が抱える社会的ないくつもの課題を取り上げ考えさせながらも、ミステリーとしてエンターテイメントとしても見応えがあり、そして登場人物たちの感情にも大きく心揺さぶられました。
ですので、どこから手をつけて感想を書いていいかわからないというのが正直なところです。
この物語の発端となるのは東日本大震災です。
まだ10年程度しか経っておらず、まだ生々しい記憶が残っている未曾有の災害でした。
人間の力ではどうしようもない、圧倒的な自然の力により、あっという間に普段の生活が破壊されてしまった。
家も家族も全て失ってしまった人々が多くいました。
予想もしていなかった理不尽な出来事により大切な人を失ってしまった憤りや先の見えぬ不安は現在のコロナ禍にも通じるところもあります。
本作で震災と共に大きなテーマとなっているのが、貧困です。
こちらについてもコロナによって職を失ってしまうことによる貧困の問題が昨今語られています。
持続化給付金など国もさまざまな施策を行っているものの、本当に届けたい人々に届けきれていないという課題があります。
実際にいくつか逮捕者も出ていますが、不正受給の問題もあります。
生活保護は最後のセーフティネットであるのにも関わらず、本当に必要な人はこぼれ落ち、不正で恩恵を得る不届き者もいます。
そもそもは全ての人が人間らしい最低限の生活を送るためという理想を具現化するための制度ですが、うまく運用できないという現実。
格差社会の深刻度が高くなるに従い、その対象者は増え続け、そしてまた不正も増える。
その制度を運用する人々も理想と現実のギャップに次第に疲れていくのもわからなくはありません。
本作で描かれる事件の犠牲者たちも元々は理想を目指していたのではないかと思います。
しかし、いつからか疲れ、本来は人々を守るため制度を運用するはずだったのに、いつしか制度を守るようになってしまったのかもしれません。
人々は救いたいが、制度が崩壊すれば救うべき人々が救えなくなる、そのような葛藤が彼らを疲れさせてしまったのでしょうか。
全ての人を護る、という理想は普通の人には少々重いのかもしれません。
しかしだからと言って、人を護ることを諦めていいわけではない。
人はその手が届く人はしっかり護るということを第一に考えていくのが大切なのかもしれません。
家族とか身近な人とかを。
主人公の利根が大切に護ろうとしたのは、本当の家族と思える人たちです。
かつて救えなかった命があったからこそ、自分の手を届く大切な人は護りたいという彼の思いはぶれなかった。
そのためには困難なこともあるかもしれない。
けれどその思いはおそらく護られる人々にも伝わるはず。
救われた者がいずれはまた誰かを救うようになっていくと素晴らしいことなのですよね。
本作の原作は中山七里さん。
どんでん返しの帝王と呼ばれる中山さんですが、本作もラストもかなり衝撃的でありました。
そしてラストで判明する利根と彼を追っていた刑事の人生が交わっていた震災時の出来事。
これもある種のどんでん返しですが、素晴らしかったです。

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2021年10月 9日 (土)

「総理の夫」理想的な妻、夫、政治家

原作は原田マハさんの同名小説で、珍しく先に原作を読んでいました。
小説を楽しんだのですが、そうなるとキャラクターのイメージが自分の中に出来上がりますよね。
そういうイメージがあった上で、予告編で日本初の女性総理となる凛子に中谷美紀さん、その夫に田中圭さんがキャスティングされていることを知り、とてもピッタリだと感じました。
凛子は名前の通り凛としていて、政治への理想と信念を常に持ち行動するまさに理想的な政治家です。
政治家なので色々な修羅場は抜けてきている強さもありつつ、女性らしい柔軟さも持っています。
このようなクレバーな女性を演じるには中谷さんがまさにハマっています。
そしてファーストジェントルマンとなる日和は、心優しいボンボン。
仕事に打ち込む凛子を全面的に応援するこれまた理想的な夫です。
ちょっとオタオタするようなところが可愛らしい役所ですが、これには田中圭さんがピッタリと合っていました。
この作品、理想的な妻、理想的な夫、そして理想的な政治家が描かれているわけで、現実的ではないと言う方もいるかもしれないですが、これはファンタジーとして見るのが正解でしょう。
現実はもっと苦い感じはありますが、映画の中だけでも理想に浸るのは良いのではないでしょうか。
自分のことで言うと、専業主婦である妻が最近、趣味を活かして仕事をやるようになりました。
本格的な仕事というのには程遠いのですが、本人は楽しそうにやっています。
私も応援はしていますが、それぞれ仕事をしていると何かと家のことをどうするなどと揉めることもあります。
本作の日和は全面的に妻を応援していていて、なかなかここまではできないよなぁと思いつつ、もう少し妻の仕事のこともしっかりと応援しなくちゃいけないなぁとも思いました。
日和のような理想的な夫にはなれないとは思いますが、もうちょっとは、ね。

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