「ONODA 一万夜を越えて」 信じるものを信じ続ける怖さ
太平洋戦争後もフィリピンでゲリラ戦を行い、29年を経て日本へ帰還した小野田寛郎の実話を元にした作品。
出演者は全て日本人で言語も日本語であるのにも関わらず、監督はフランス人という珍しい座組みです。
なぜフランス人がこのテーマを選んだのか、というところに興味が出てきますね。
自分が信じることを人生をかけて信じ続けたということへ感銘を受けたのでしょうか。
これを美しいことと捉えるか、悲劇と捉えるかは作品内では明確には描いてはいませんが。
個人的にはこの出来事は恐ろしいことと捉えました。
主人公である小野田は情報将校として陸軍中野学校二俣分校で訓練を受けたのち、フィリピンに派遣されました。
陸軍中野学校はいわゆるスパイ養成機関であると言われています。
派遣される前に、小野田は上官より通常の日本軍ではあり得ない訓示を受けます。
一つは玉砕は許さない、ということ。
敗戦の色が濃くなった当時、本土決戦やら総玉砕などという勇ましいスローガンが語られましたが、それとは全く逆のことを上官は述べました。
すなわちスパイは生きて情報を得て、それを利用し尽くすのが本分ということなのでしょう。
そしてそれに関連して、自分こそが自分の司令官であるとも言いました。
つまり状況がどう変化するかわからない中で、それを自ら判断し、臨機応変に対応せよということであると思います。
これも命令が全てであった軍隊という組織の中では異例の訓示であると思います。
自ら状況を見て、判断し行動せよ、ということであるので、小野田は自由に判断し、日本が敗戦したという情報を得たときに投降してもよかったとも思えます。
が、彼はそうはしなかった。
自ら考えろという命令はあったのに、なぜか。
生き残れ、臨機応変に対応せよ、という命令の前提としてあったのは戦争を遂行せよという大前提の命令があります。
自ら考える訓練はされていたものの、その前提は絶対でした。
自ら考えているように見えて、支配されているという状況は自分でも気づかないものであり、ちょっと恐ろしいと感じた訳です。
また、小野田はジャングルに潜伏していた時に戦争が終わっているという認識があったと思います。
その時に小野田は認知的不協和の状態であったとも考えられます。
自分が信じていることを否定する事実が発覚した時に、その人の中で矛盾が起こります。
この場合は(1)ゲリラ戦を遂行しなくてはいけないという信念に対し、(2)終戦しているという事実がコンフリクトを起こします。
通常は(1)を修正し、ゲリラ戦を止め投降するということになると思いますが、小野田の場合は長期にわたる戦いを否定するという辛い決断(自分の年月も部下の死も無駄であったという認識を持つ)をしなくてはならず、そうできなかったのだと思われます。
そのため(2)終戦しているという事実を自らの認識の中ではねじ曲げ、それは連合軍の欺瞞情報であると考え、認知的不協和を回避したのではないかと考えます。
小野田は前提となる命令が絶対的なものであったこと、そして長年に渡る潜伏期間により認識を変えるためのコストが上がってしまったため、認知的不協和に陥ってしまったことがあったのでしょう。
それを正すためには、彼を支配していた上官の命令自体を無くするほかはなく、彼がジャングルを出るためにかつての上官のフィリピン訪問は絶対的な要素となったのでしょう。
本作を見て思ったのは、このような絶対的な命令の刷り込みであり、それによって人生の大部分を浪費してしまったという悲劇の恐ろしさです。
自らは信じたいものを信じていると認識しているかもしれませんが、そう思わされているという恐ろしさ。
見たいようにしか見ないというフェイクニュース的な恐ろしさにも通じるものも感じます。
そのため、この物語は戦中の過去の話と片付けるのではなく、現代にも通じるものとしても見ることもできるかと思いました。
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