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2021年9月24日 (金)

「鳩の撃退法」 映画ならではの難しさ

かつて直木賞を受賞したこともある小説家津田は久しぶりに作品を書き上げようとしていました。
それを編集者に読ませていますが、彼には実際あった出来事を作品を発表し、当事者とトラブルになったという前科がありました。
そこで書かれている物語はフィクションなのか、それとも実際の出来事なのか・・・。
原作小説は未読なので小説も映画と同じ構造なのかがわかりませんが、ちょっと構成的にわかりにくい作品ですね。
物語は津田の小説で描かれているフィクションパートと実際の津田の現在のリアルを描くパートと、大きく2つのパートで語られていきます。
彼の小説で描かれていることがフィクションか否かが一つの映画のポイントとして置かれていますが、実際見ているとこの構成が効いてくるのは、ラストシーンだけなのですよね。
津田の小説で描かれている事件そのものもかなり複雑なので、リアルパートがあるとさらに複雑な印象になります(とはいえ、事件そのものには直接的にはタッチしていないので実際は複雑ではない)。
これは映画というビジュアルメディアならではの弊害かもしれません。
両パートに共通して出てくるのは主人公津田ですが、あまりビジュアル的にも変わらないので、どっちのパートかちょっと戸惑うところもあります(一緒にいる人物で判別するわけですが)。
これが小説であれば、もう少しわかりやすいのかもしれません(原作も同様な構成をしていれば、の話ですが)。
津田が小説で語る出来事は、それが事実であれば彼が実際に見聞きしたものでなければなりません。
文章であれば、叙述トリック的な手法を含め、色々仕掛けを施すことができるかと思います。
しかし、映画だとどうしても「見えてしまう」ので、そのような文章上の仕掛けを行うのは難しくなってしまうのですよね。
その辺がうまく処理できず、複雑な印象を持たせてしまったような気がします。
富山の事件についてはそれだけでもドラマがあるので、そこにフォーカスしてもよかったのかなと思いました。
その事件のキーマンとなる秀吉自体には娘を持つ身としてとても共感するところはありました。
主人公の津田を演じるのは藤原竜也さん。
このところ、「カイジ」をはじめ、こういったクズ男を演じることが多いですが、ハマりますよね。
なかなか他の人ではこの感じは出ません。
強い人にボコボコにされているときの情けない感じはこの人ならではです(褒めてます)。

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2021年9月11日 (土)

「オールド」 時間は有限

「シックス・センス」のM・ナイトシャマランの最新作です。
彼の作品は登場人物もそして観客も何も情報がない状況に置かれた中で、じわじわと不穏な出来事が起こり、次第に主人公も追い込まれていくということが描かれていくことが多い。
見ている我々も登場人物と同じように、追い込まれていく気分を味わうことになります。
この辺りの感覚を描くのがナイトシャマランは非常にうまく、本作でもその腕は健在だと思います。
心理的に追い込まれていくスリラーの感覚と並んで、彼の作品では「どんでん返し」の要素もとかく言われます。
最後まで見て「えっ!」となって、終了!という展開がいくつかの作品でありましたよね。
映画が終わってもモヤモヤした気分は残るという印象です。
それは高い評価として受け止められることもあれば、投げっぱなし感もあるため不親切に感じる方もいたかと思います。
本作について言うと種明かしはありますが、非常に親切です。
これもナイトシャマランのどんでん返しが好きな方には物足りなく感じられるかもしれません。
ただ最後にきちんと着地しているため、モヤモヤは残さずすっきりとした印象で映画を見終えることはできます。
ここは彼がどんでん返しのこだわりを捨て、映画として観客にメッセージをちゃんと伝えることを意識したと言う点で円熟してきたとも言えるかもしれません。
何組かの家族が訪れたのはプライベートビーチ。
彼らはバカンスを楽しみますが、しばらくすると異変に気づきます。
そのビーチでは通常よりもものすごいスピードで老化が進んでいくのです。
幼かった子供たちはみるみるうちに成長していきます。
彼らはビーチから脱出を図ろうとしますが、そうしようとすると頭を圧迫される感覚を覚え、気絶してしまうのです。
そこで過ごすと1日あたり50年程度老化が進むらしい。
人間のほぼ一生分です。
人生があと1日で終わると知った時、人は何を思うのか。
ビーチを訪れた主人公夫婦は彼らの間にトラブルを抱え、離婚の危機にあります。
諍いがある前提として、人は残り時間はまだまだあるというように皆が思っているということがあるかと思います。
だから目先の小さな不満に目がいく。
けれど時間がないことがわかった時、何が本当に大切なことなのかにようやく目がいくのです。
この夫婦も自分たちの時間がもうないと悟った時、ようやく本当に大切なことに気づきました。
だからと言って二人が救われることはないのですが、えてして時間は残酷なものです。
ですが、気づけたいうこと自体はよかったのかもしれません。
元のままだったら気づくことすらできなかったのかもしれないのですから。
私はかなり歳をとってから娘を授かったので、なんとなく娘が大人になり子供を産むまで生きていられるのだろうか、と考えるようになりました。
一人っ子ですし、娘の成長の過程を見ることはたった一回のかけがえの無いものとして考えています。
だから一緒に過ごす時間をなるべく取りたいと考えていますが、これも時間が有限だと感じているからです。
普通に生きていると時間が有限であるという感覚はあまりありません。
無駄な時間も過ごしてしまいます。
しかし、限られたものであることを認識した時、何が大切か改めて考えることになるのだと思います。

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2021年9月 5日 (日)

「シャン・チー/テン・リングスの伝説」流れる水のように

MCUフェイズ4はディズニープラスの「ワンダビジョン」からスタートしましたが、今まで登場したヒーローのエピソードでしたが、本作では新ヒーローが登場します。
その名はシャン・チー。
MCU初のアジア系ヒーローになります。
マーベルのダイバーシティ志向は「ブラックパンサー」「キャプテン・マーベル」の頃から見られ、本作もその路線と考えられます。
シャン・チーは特別なパワーを持っていたり、テクノロジーを駆使するわけではなく、その武器は鍛え上げられた肉体と極められた技(マーシャル・アーツ)です。
子供の頃にカンフー映画ブーム直撃だった私としては、たまりません。
ド派手なバトルもいいですが、肉体を駆使したアクションは見ている自分でも身体が反応するような感覚が刺激されるので、興奮しますよね。
前半のサンフランシスコのバスや、マカオの高層ビルでのアクションは身体性もありながら、CGも使ったキレのいいアクションがたまりませんでした。
また本作は「グリーン・ディスティニー」や「HERO」などの2000年ごろの武侠映画の映画も受けているように思いました。
冒頭の竹林でのシーンなどに強く感じますね。
流れるような肉体の動きは、本作のテーマを強く表しているように思います。
今までのMCUのヒーローたちはテクノロジーや特殊能力をベースにしながらも、基本的にはパワー勝負なのですよね。
その辺りは西洋らしい。
地球の人々を狙う存在に対し、敵の力を上回るパワーでそれらを封じ込める。
基本的にはこれでした。
しかし、竹林のシーンにおいてウェンウーに対するリーは、テンリングスのパワーを受け流し、利用しました。
まるでしなる竹のように。
流れる水のように。
水というモチーフも本作ではよく出てきました。
今までのMCUのバトルは火のイメージがあります。
戦力のことを火力とも言いますし、西洋の戦い、力と力の戦いには火のイメージが強くなります。
しかし、東洋の戦いでは、カンフーや合気道などもそうですが、相手の力を利用するという思想があります。
それには水の柔軟さが必要なのです。
ダイバーシティを意識する中での、黒人、女性につづき、アジアンを起用したという表面的な取り上げ出会ったら、残念な気持ちになったかもしれません。
しかし、東洋の考え方も取り入れた本作はMCUにとっても新しい刺激になるような気がしました。
サノスに対してのアベンジャーズの戦いはまさに総力戦で、パワーとパワーのぶつかり合いでした。
勝利を得たものの、その中で失われたものも大きかったというのはフェイズ4でも描かれています。
新しい脅威に対しては、パワーに真正面から対抗するのではなく、それを受け流して利用するという東洋的なアプローチがもしかすると必要になるのかもしれません。
ポストクレジットで、シャン・チーが引き継ぐことになったテンリングスは未知の物質であることがわかりました。
もちろん地球上のものでもなく、チタウリなどの地球外のものではないと。
その出どころは・・・。
もしかするとMCUで重要な要素となるマルチバース、すなわち他の並行世界からもたらされたものなのかもしれません。
この辺りは今後の展開からも目が離せないですね!

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