「竜とそばかす姫」 仮面をつけているのは・・・
本当の自分ってなんだろう?
自分らしく生きるってなんだろう?
どれだけの人がそれをできているんだろう?
そもそも本当の自分がわかっている人ってどれだけいるんだろうか?
リアルな社会では、好むと好まざるとにかかわらず様々な関係性が出来上がってしまう。
立場やしがらみに縛られる。
こんなことを言ったら変に思われるのではないか、嫌われるのではないか、と思い自分自身で縛る。
そうやって行動しているうちにそれが本当の自分のような気もしてくる。
逆にネットの匿名の世界では、本音の言葉が飛び交っている。
普段のリアルの場では決して発せないような言葉。
それはとてつもなく美しいものでもあったり、とてつもなく醜いものであったりもする。
ネットの世界では、皆がハンドルネームであったり、アバターであったりといったような「仮面」をつけているとも言われる。
逆にそれは「仮面をつけている」のだろうか。
「仮面をつけている」のはリアルな社会の方で、ネットの方が本性を出しているのではないか。
すずは幼い頃の体験から、好きな歌を歌えなくなっています。
しかし、仮想空間Uにおいてベルというアバターを得ることにより、彼女は自由に歌うことができるようになりました。
Uは本人の生体計測し、その人の本性が現れるようなアバターを生成するのです。
ベルというもう一つの自分を得たすずは思いのままに歌い、それが多くの人の共感を得ます。
彼女の歌に込められた本心に人は共鳴したのです。
そして誰もベルの正体には気づかない。
誰もそれが田舎の冴えない高校生だとは思わない。
みんなリアルでの「仮面」を見ているから、本性に気づかない。
「仮面をつけている」のはリアルな世界。
ベルがすずであると気づいたのはしのぶのみ(あと合唱団のおばさんもか)。
彼は言いました。
「ベルってお前だろ」
おそらく彼は母親の事件以来すずが知らず知らずのうちに自分自身でつけていた「仮面」越しに彼女の本質を見てきていた。
そレは母親に価値を見出されなかった子供という「仮面」。
しのぶはずっとすずの本質だけを見てきた。
だからベルがすずであることがすぐにわかった。
自分をわかってくれている人がいる、そのことはすずが更に自分自身を解き放っていくことに非常に大きな力となったと思う。
細田監督の作品は批判の声が上がることも多い。
この作品で批判的に指摘されている箇所としては終盤で恵たち兄弟の境遇が明らかになった時、すずが一人で彼らの元へ向かったことである。
すずはまだ高校生であり、子供。
周りの合唱のおばさんたちや友人たちはなぜ彼女だけをいかせたのか。
危険であることがわからなかったのか、と。
その指摘はわからなくはないですし、脚本的な強引さがあることは感じます。
ただ個人的にはすずはここでは一人で行かなくてはいけなかったのだと思いました。
すずがずっと抱えてきたトラウマを乗り越えるには一人で行くことに意味がある。
すずは幼い頃に体験したトラウマをずっと抱えていました。
目の前で母親を亡くした日のことを。
母親は見ず知らずの子供を救おうとして、命を落としてしまった。
残されたすずは思ったのだろう。
自分よりも見ず知らずの子供の方が大事だったの?
残されてしまった私のことを考えてくれなかったの?と。
そのことがずっと彼女の中に残り、母親にとって自分は価値がない子供であったのだ、という誤解が定着してしまい、それが彼女が自分自身を認められないことに繋がってしまったもだろう。
もちろん彼女の母親がすずを大切に思っていなかったわけはなく、ただ目の前で救われなければいけない命を放って置けなかったから、彼女は動いた。
しかし幼いすずにはそれは理解できなかった。
けれど、恵たち兄弟の状況がわかった時、すずもまた動いた。
それがもしかしたら危険な行為であることも少しは頭を過ったかもしれないけれど、目の前で危険な状況にある子供を放って置けなかった。
多分がむしゃらに動いてしまった。
そう、それは母親がとった行動と同じだったのです。
おそらくすずはようやく母親の気持ちを理解できたのです。
そして母親が決して彼女のことを大切ではないと思っていたわけではないということも。
すずは無意識に母親の行動をトレースすることにより、彼女自身のトラウマから解き放たれたのだと思います。
この作品の批判されている他の点では、ネットが本音が語られる場として描かれているが、実際には欺瞞にも満ち溢れているわけで、正しい描き方ではないとのもあります。
個人的にはこの仮想空間Uも、そして児童虐待というエピソードも、「美女と野獣」へのオマージュも、それ自体が作品のテーマとなっているわけではなく、主テーマはある少女が自分自身が規定していた呪縛から解き放たれることであると思っています。
いずれもそのための背景であるため、その点ばかりを掘り下げて指摘するのはちょっと主題とずれている気がしています。
確かに盛り込みすぎていて、かつ整理しきれていない感もあり、さらには背景であってもかなり力を入れて描いているので、主題のように見えてしまう、というのは確かにあるかと思います。
この辺の情報量の多さは細田監督のクセのようなものであるかなと私は考えています。
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