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2021年7月26日 (月)

「ブラック・ウィドウ」 MCUの方向性を示す

コロナによる影響もあり、MCUの劇場作品として2年のブランクを経ての公開となりました。
いつもの通りに○宝シネマズで予約をしようとしたら、作品リストにない。
もしや公開日を間違えたか、と思って調べ直したらすでに後悔している・・・。
よくよく調べるとディズニープラスでも同時にオンラインで公開するというディズニーの方針に対し、大手の劇場が反発しているとのことらしい。
ディズニープラスは会員なので(プレミアム料金を払えば)自宅でも見れるのですが、やはり映画は劇場で見たい派なので、少し遠方の劇場で見てきました。
大手の反発する理由もわかりますが、この辺はうまくやらないとより多くの人が劇場離れしてしまうと思うので、もう少し歩み寄って欲しいものです。
最近のMCUは単なるヒーロー映画という枠を超え、現代社会が抱える課題を描く側面があると思います。
「ブラックパンサー」では黒人のヒーローを、「キャプテン・マーベル」では女性ヒーローを主役にするなど多様性を意識しています。
ディズニープラスで配信された「ファルコン&ウィンター・ソルジャー」は現代アメリカの分断の問題、とりわけ根強く残る黒人への差別問題へアプローチしていました。
今後続く「シャン・チー」ではアジア人、「ミズ・マーベル」ではムスリムの少女を主人公に据えます。
本作「ブラック・ウィドゥ」も現代社会が抱える問題の一つである、女性への差別や搾取を取り上げています。
この作品でナターシャの敵となるのは、自信がそこで育てられ、そして壊滅させたと思っていた旧ロシアのスパイ育成組織”レッドルーム”のドレイコフです。
彼はここでスパイとして育てた少女たちを意のままに操り、世界を裏から操作しようとします。
彼女たちは化学的な操作を脳に加えられ精神的に彼に支配されています。
またその支配から脱せたとしても”フェロモン・ロック”なるもので彼女たちからドレイコフは直接的に攻撃されないようになっているのです。
これは彼の匂いを嗅ぐと、彼女たちは攻撃する行動をロックされてしまうのです。
これにはある種の性的な暗示も感じます。
数年前よりハリウッドなどでも何人もの人が共感し話題となった「MeToo」運動があります。
権力を持つ男性がその力を背景に女性を支配し、搾取するという例がいくつもあり、それを女性の側から告発するという運動でした。
大物のプロデューサーが告発されたことを聞いたこともある方も多いかと思います。
ナターシャはかつて自分を支配した者を告発し、そして搾取されていた妹たちを解放しようとしたのです。
彼女も”フェロモン・ロック”をされていたのですが、彼女は自分の鼻を自分で潰すという荒っぽい手法でその束縛から解放されます。
つまり自分を傷つけることを厭わず、行動したのです。
「MeToo」と叫ぶことは、すなわち自分が見せたくない部分を曝け出さずを得ず、それは自分を傷つけることです。
それでも叫ぶ人々はナターシャのように傷つくことを覚悟しながら、他の人を救いたいという気持ちなのかもしれないと思いました。
本作もそうですし、「ファルコン&ウィンタ・ソルジャー」もフェイズ4に入り、現代社会の問題を描くというスタンスが明確かつ直接的になっているように感じました。
ブラック・ウィドゥの登場はこの作品で最後になると言うことです。
その後を継ぐと言われているのが、本作でナターシャの妹分として登場したエレーナです。
ナターシャは終始クールな雰囲気をまとっていましたが、エレーナは姉と同等の戦闘力を持ちながらも、その性格はもう少し明るくユーモアを感じさせるところが新鮮です。
ナターシャに向かって「着地するときのあのポーズ何?狙ってるしょ」と言いますが、お茶目さを感じますよね。
配信の「ホークアイ」にも登場すると言われていますので、今後が楽しみです。

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2021年7月11日 (日)

「ゴジラVSコング」共通の敵

前作「ゴジラ キング・オブ・モンスターズ」のレビューで、本作についてちょっと触れていました。
ゴジラは地球の守護者であって、人類の守護者ではない。
対してキングコングは人類と感情的なふれあいを持つ、人類の守護者という立ち位置である。
ゴジラとキングコングが戦うのは、人類が地球に対して害をなそうとした時に、彼らの立ち位置の違いによって生じるのではないかと。
これはあながちハズレではなかったですね。
モンスタバースに存在する巨獣たちは戦い合う本能を持っています。
モンスタバース1作目の「ゴジラ」でもゴジラはムートーに引きつけられ、戦いを挑みます。
前作のギドラに対しても同じです。
ゴジラの行動は場合によっては人類を助けているようにも見えますが、地球の守護者である怪獣王に君臨するために行動しているのです。
本作の冒頭でゴジラはいきなりある企業の施設を攻撃しますが、それには理由がありました。
彼らはギドラの残骸を使い、ゴジラに対抗するメカゴジラを開発しようとしていたのです。
事前情報をあまり見ていなかったので、メカゴジラが出てくるとは思っていなかったので、ちょっとびっくりしました。
しかし、よく考えてみるとメカゴジラの登場は必然でもあるかと思いました。
宇宙怪獣であるギドラを倒した後、地球における怪獣王はゴジラでした。
しかし、その地位に挑戦を挑むものが現れました。
それは人類です。
その象徴がメカゴジラなのでしょう。
新たなモンスターを生み出す存在をゴジラは敵とみなしたわけです。
しかし、人類はそのような悪の側面だけしか持っていないわけではありません。
他者や他の生物、そして地球を思いやることができる存在、それも人類。
人類の善の側面を象徴するのが、キングコングなのですね。
人類は彼とコミュニケートし、気持ちを通じ合わせていた。
ゴジラとコングの戦いは、人類の悪の側面を正そうとする者と、善なる側面を守ろうとする者の戦いとも言えるわけです。
ゴジラもキングコングも映画界の大スターでありますから、どちらかの勝利で終わるという結末は描きにくいと思います。
なので、どのように勝負を決着つけるのだろうか、と思っていました。
そのために投入されたのが、共通の敵であるメカゴジラだったわけです。
上記で書いたようにメカゴジラは人類の悪の側面の象徴。
地球の守護者であるゴジラ、人類の守護者であるコングの共通の敵として相応しい。
残念なのはメカゴジラのデザイン。
腰高で細っこくてあんまり強そうじゃないんですよね。
やっぱり東宝のメカゴジラの印象が強いので、ちょっとデザイン的には役不足感がありました。
上記で色々書きましたが、本作は人間のドラマ部分は潔いくらいに深さがありません。
大怪獣同士のバトルを見てくれ!ということでしょうか。
バトルそのものはかなり迫力があり堪能できました。
これ、次回作はあるんですかねえ。

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2021年7月10日 (土)

「ザ・ファブル 殺さない殺し屋」籠の中の鳥

前作「ザ・ファブル」は岡田准一さんの邦画とは思えないほどのアクションが見応えがあり、次回作があるということで期待していました。
「SP」の頃から岡田さんのアクションはただの俳優のレベルを超えていましたが、本作も全てご自身でアクションシーンを演じています。
さらには本作では岡田さんが一人でファイトコレオグラファーを務めています。
まさに日本のジャッキー・チェンと言ってもいいでしょう。
冒頭の車の暴走アクションも見応えありましたが、なんと言っても本作はマンションの足場が崩れる中でのアクションシーンですね。
足場でのアクションと言えばジャッキーの「プロジェクトA2」が思い浮かびますが、立体的な空間でのアクションが見どころです。
岡田さんのアクションもかなり立体的なんですよね。
さらに彼の場合はアクションも高速なので、さらにスピード感があり、見応えがありました。
なかなか邦画では味わえないアクションシーンでした。
本作に登場したキャラクターで興味深かったのは、敵役となる宇津帆です。
彼は表の顔は子供たちの安全を守るNPO団体の代表ですが、裏の顔は過保護に育てられた若者を拉致監禁して金を奪うという極悪な男です。
表の顔の立場の時、彼は子供たちの安全を守るために、転がっている石も拾っていかなくてはいけないと言います。
これは表の顔の時のただのお題目のように彼は言っているように感じるかもしれませんが、そうではありません。
宇津帆を中心に、足が不自由な佐羽ヒナコ、殺し屋の鈴木は同じマンションで暮らしていますが、彼はチームのメンバーをまさに家族のように扱っています。
中でもヒナコは障害があるためか、娘のような気の使い方をしているようにも見えます。
その反面、実際は彼はヒナコに対して日常的に暴行を加えているようですし、さらには彼女の両親を殺して彼女の行き場を奪った張本人でもあります。
彼は彼女を傷つける者でありながら、かつ彼女の最大の庇護者でもあるというアンビバレントな存在なのです。
ヒナコは宇津帆にとって「籠の中にいる鳥」なのかもしれません。
そもそも宇津帆は弟を殺さたため、ファブルに復讐をしようとしていました。
彼にとって家族はかけがいのないほど重要なのです。
そしてファブルを見つけたと同時に、彼が大事にしている家族であるヒナコの籠の鍵を開けられようとしていることに気づきます。
再び家族が奪われようとしているように宇津帆は感じたのかもしれません。
そもそも彼は他人の家族を食い物にしているわけですから、都合がいいことこの上ないわけですが、そこは彼の中では成立しているというのが、アンビバレントな異常性なのだと思います。
ヒナコに対しての愛情と残酷性もそうですが、ある意味人間の情の深さみたいなものを持ちすぎた男だったのかもしれません。
そういう意味で感情がほぼ抑えられているファブルとも対照的な存在であるように思えました。
アクションも見応えあり、ドラマとしても堪能できたので、今後もシリーズとして展開してくれてもらえると嬉しいです。

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「Mr.ノーバディ」 あなたの方が恐ろしい・・・

平凡に暮らす男にちょっかいを出してしまったら、ものすごい反撃を受けて大変な目にあってしまうお話。
「ジョン・ウィック」みたいだなと思ったら、それもそのはずプロデューサーが同じでした。
とはいえ、まだキアヌ・リーブスは他の作品のイメージもあり、平凡とは言え強そうな感じはしましたが、本作の主人公ハッチは見るからに普通の中年男性。
毎日毎日何も変わらず朝決まったバスに乗って出勤し、退屈そうな仕事をし、夕方には真っ直ぐに自宅に帰る。
ティーンエイジャーの息子からは尊敬されず、妻からも距離を置かれている哀愁の中年男です。
しかし、ある晩チンピラに絡まれている女性を助けようとした時に彼の中で何かがプッツンと切れます。
実は彼はある組織でトラブル解決を専門に行っていた「監査役」であった男でした。
トラブル解決といってもそれは極めて暴力的な方法で対処していました。
彼は血に塗れた人生を送ってきたからか、平凡な暮らしがしたいと足を洗います。
それから10数年波風立たせず暮らしてきましたが、彼の中ではマグマのように暴力衝動がふつふつと煮えたぎっていたのです。
そのマグマの噴出のトリガーとなったのが、チンピラの行為。
ジョン・ウィックの場合は、亡き恋人の忘れ形見であるワンちゃんを殺されたという理由がありましたが、この作品においてはチンピラはただのきっかけ。
その後彼が叩きのめしてしまったチンピラの兄であるロシアンマフィアが、ハッチの家族を狙ってしまったことにより、彼はさらにヒートアップ。
情け容赦のない反撃をマフィアに食らわします。
ハッチはまさに無双状態なので、相手になんか同情してしまいます。
マフィアとの最後の決戦は自分が勤めていた工場を即金で買取、要塞化。
トラップを仕込んでいきますが、まさにそれはランボーばり。
血気盛んに挑んできたマフィアたちは飛んで火にいる夏の虫。
さらにはマットの親父さん(老人ホームに入っている)も参戦。
この親にしてこの子あり、を体現している、クレイジーな親父もショットガンを打ちまくり、マフィアを血祭りにします。
一方的な大虐殺とも言えましょう。
多少のピンチもありましたが、プロとアマの差が如実に出て、勝負は終了。
悪い奴をコテンパンに叩きのめすので、爽快感はあるっちゃあるのですが、よく考えるとハッチも相当に恐ろしいやつですよね。
急にキレてここまでやるとは・・・。
お友達になりたくはありません。
ノッチを演じるのはボブ・オデンカーク。
すいません、全く知りません。
見るからに普通のおじさんです。
これがキレるんです。
あなたの方がマフィアよりも恐ろしいです。
そしてその親父さんを演じているのが「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のクリストファー・ロイド。
相変わらずいい味出してます。
続編あるのかな。
「ジョン・ウィック」みたいに続いていくような・・・。

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2021年7月 8日 (木)

「それいけ!アンパンマン ふわふわフワリーと雲の国」 アンパンマン卒業?

毎年夏休み前に公開される「アンパンマン」の映画ですが、昨年は多くの作品と同様に公開延期となり、結局1年遅れでの公開となりました。
前作と引き続き、娘と見に行ってきました。
「アンパンマン」の映画は娘にとって初めて劇場で見た作品ですので、感慨深いです。
と思っているのは親だけで、今年は娘は今までとちょっと違っていました。
私「アンパンマンの映画やるってよ。一緒に見に行こうか」
娘「行ってもいいよ」
・・・なんか違うぞ。
前回までは「行くっ!」って感じだったのに。
「プリキュア」を見に行った時は「行く行くっ!」だったので、映画が嫌いになったわけではないのです。
考えれば娘ももう4歳、「アンパンマン」はもう卒業なのかもしれないですね。
こんなところで娘の成長を感じる私でした。
映画の方は意外にもアンパンマンではなくドキンちゃんが主役のお話でした。
こういうアプローチもあるのですね。
ドキンちゃんは「アンパンマン」の中でも人気があるキャラクターの一人です。
ちょっとわがままだけど自分に素直で、感受性も高くて、優しいところもあって、なんか憎めない。
娘も好きなキャラクターの一人です。
私からするとなんか娘を見ているような感じもするキャラクターですね。
本作はドキンちゃんが赤ちゃんの雲の子フワリーと出会い、育てて、最後は別れが来るというお話。
娘も4歳になると、年下の子のお世話をしたがったりするお年頃。
なんかドキンちゃんには共感した様子。
でも、もう「アンパンマン」は卒業なので、来年は一緒に来ることはないんでしょうね。

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