「HOKUSAI」 葛飾北斎と田中泯
富嶽三十六景などの浮世絵で知られる葛飾北斎、その生涯を描いた作品。
青年期を柳楽優弥、老年期を田中泯が演じます。
実は我々がよく見知っている北斎の作品が生み出されたのは50歳過ぎのこと。
大器晩成にも程があります。
平均寿命が短かった江戸時代でしたら、それこそ隠居という歳だったのかもしれませんが、彼は老いても尚創作意欲がなくなることはなかったようです。
彼は90歳まで生き、臨終の時の言葉が「あと10年、いや5年生かしてくれたら真の絵描きになれるのに」だったということです。
死ぬその時まで、自分に満足することなく道を探究し続けた執着、熱意は驚くべきものがあります。
私が本作を見ていて、感じるものがあったのは、老年期を演じる田中泯の演技でした。
彼を初めて知ったのは「たそがれ清兵衛」でした。
舞踏家として活躍していた田中泯にとって初めての映画出演作です。
鬼気迫るという表現がまさに当てはまるような演技でした。
俳優として映画に出演するのは初めてとは思えませんでした。
自らの肉体を使って表現する舞踏家というバックボーンが、普通の俳優とは異なる見たことのない演技を生み出したのかもしれません。
俳優としては北斎と同様に遅咲きではありますが、誰も真似できない田中泯という存在感を放ちました。
本作の彼の演技を見たときに、やはり彼の舞踏家としてのバックボーンを感じるシーンがいくつかありました。
まず一つ目は街中を旋風が通った時の人々の慌てぶりを目撃した時の北斎の様子です。
彼の目には、人の肉体の動きが克明に刻まれました。
人間の肉体がどのように動くのか。
その時筋肉の形はどのようになっているのか。
彼はそれを筆と紙でどのように定着していこうかということまで一瞬のうちに考えたのかもしれません。
そしてそれを目撃した時の北斎の表情がとても良い。
純粋に絵を描くことの悦びに満ちた表情です。
何かを表現することの喜悦です。
そしてもう一つは北斎の画で印象的な藍色を発見した時のシーンです。
その藍と出会った時、彼は雨中に飛び出し、まさに舞うように全身でその喜びを表現します。
この演技は田中泯のアドリブだったようですが、まさに舞踏家としての真骨頂だったと思います。
北斎の肉体の内面から湧き上がる言葉にできない感情、衝動。
それをこの演技で田中泯は表現したと思います。
北斎と田中泯がオーバラップしたように感じました。
まさに北斎とはこのような人ではなかったか、と感じさせられました。
柳楽優弥も悪くはなかったですが、やはり老年期のハマり方に比べると部が悪いかもしれません。
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