「ノマドランド」 自分の生き方を自分で決める
この作品をみようと思った理由は二つあります。
一つ目は監督がMCUの公開予定作「エターナルズ」の監督を務めるクロエ・ジャオであるということ。
私はこの監督については全く知らず、どんな作風の人なのかが見てみたかったのです。
もう一つは「スリー・ビルボード」の演技が素晴らしかったフランシス・マクドーマンドが主演しているということ。
彼女の演技は演技とは思えないリアリティを感じさせてくれるのですよね。
本作で描かれるノマドとは、季節ごとの仕事を求めてアメリカ中を旅する高齢労働者のことです。
例えば、クリスマスシーズンには消費が進み、物流が激増するので、アマゾンの拠点での臨時の仕事が増えるため、そこに彼らは集まってくるのです。
彼らの多くは今世紀初頭の経済危機により、車上生活を余儀なくされた者たちです。
日本で言えばなんとなくホームレスのようなイメージを持ってしまいますが、本作を見ているとそれとはまたちょっと違う存在なのだなと感じました。
マクドーマンドが演じる主人公ファーン自身は「ホームレスではなく、ハウスレス」だと言っていました。
Houseは建物としての家、Homeは人が住む場所としての家という違いがあります。
建物としての家は持っていないが、住む場所(ヴァン)は持っているというところでしょうか。
車上生活というのは狭い日本ではなかなか考えられません。
しかし、アメリカではトレーラーで暮らすというのは昔からありました。
劇中でも言われていましたが、彼らのような生き方は幌馬車でフロンティアを目指すアメリカの開拓民のようでもあります。
彼らは経済的な問題からそのような生活をすることになりましたが、それを前向きに捉えて生きている人もいます。
例えばスワンキーという人物は、自然の中で生き、自分の行きたいところに旅をするという生き方を愛しています。
彼女は結局、旅先で病気のために亡くなってしまいますが、本望であったでしょう。
デヴィッド・ストラザーンが演じるデヴィッドは、若い時に家族を顧みなかったことに負い目を感じていることで、ひとり車上生活を送っていました。
しかし、あるとき息子が彼を探し出し、自分の家で暮らすように誘います。
結果、彼は息子家族と一緒に暮らすようになり、再びホームを手に入れました。
本作ではスワンキーのような生き方が良い、またデヴィッドのような生き方が良いといった結論は出しません。
そこにあるのはそれぞれが自分の生き方を選択するということです。
これはとても自由でアメリカ的であると思いました。
それではファーンはどうだったのでしょうか。
彼女は愛する夫に先立たれ、それでもその思いを断ち切れず、ひとりで彼と過ごした街で暮らしていました。
しかし、企業城下町であるその町は不況により閉鎖され、彼女は住む家をなくしてしまいました。
彼女の車上生活は自分で選んだものではなく、そうせざるを得なかったということだったのだと思います。
終盤、彼女は「思い出に縛られすぎた」と言います。
それは夫への思いを大切にしていたため、自分の新しい人生を楽しむということができなかったということなのだと思いました。
彼女にとって車上生活はそのような思いを振り切るためのモラトリアムであったのではないでしょうか。
彼女自身も自由を感じ、魅力を感じてきているノマド生活を続けるのか、または惹かれるところもあるデヴィッドと暮らすような道を選ぶのかはわかりません。
いずれにしても、彼女は自分の生き方を自分で選んでいくのだろうと感じました。
マクドーマンドとデヴィッド・ストラザーン以外の出演者は皆、本当にこのようなノマド生活をしている人なんだということ。
なので、本作はノンフィクション的なリアルさを持っているのでしょうね。
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