« 2021年2月 | トップページ | 2021年4月 »

2021年3月20日 (土)

「すばらしき世界」 すばらしき世界とは?

西川美和監督の作品は人間や社会を深く抉るところがあるので、見る側としても、それなりに覚悟が要ります。
ですので、自分なりに調子がいい時に行こうと思っていたら、公開している劇場が絞られ始めてきていたので、慌てて見に行ってきました。
やはり本作も考えさせられる作品でした。
今年に入って見た「ヤクザと家族」でも描かれていましたが、昨今反社会的勢力という存在はなかなか生きにくい時代です。
もちろん一般庶民としては、そのような方々とは関わりたくないというのが本音です。
しかし、映画という世界の中ではヤクザはある種のファンタジーとして存在していました。
昭和の時代には東映のヤクザ映画が全盛でしたが、そこで描かれているのはファンタジーとしてのヤクザであったのかもしれません。
すなわち世間のしがらみや法律などには縛られない存在であり、義理や人情など損得勘定とは違った価値観で動いている人々。
戦後民主主義が押し進められ、そして一億総中流と言われた時代に、社会や会社に縛られない存在はある種の憧れであったのかもしれません。
しかし、今現在彼らは反社会勢力として徹底的に社会から排除されています。
もちろん犯罪を犯してしまってはいけませんが、その後の更生も非常に難しいものがあることが本作では描かれています。
以前はある種の憧れが反映されていると書きましたが、今は汚れたものを見るような目線であり、そういう点において以前とは逆の方向で社会から隔絶しているのですね。
社会の中では全ての人がそこにきちんと収まるということはなく、幾人かはドロップアウトしてしまいます。
人や社会から必要ではないというように感じてしまう。
本作の主人公の三上もそのような男でした。
彼の受け皿となったのがヤクザでした。
彼は数々の犯罪に手を染めましたが、少なくとも必要とされていると感じていました。
自分の居場所があったのです。
しかし、この現代10数年ぶりに社会に帰還した彼は自分の居場所を見つけられません。
どこに行っても元反社であるというレッテルはついて回りますし、また彼の性向としてもすぐにカッとしてしまう癖は無くなっていません。
それでも社会に馴染もうと思いますが、数々の問題が起こり、その度に彼は憤りを感じます。
幼い頃、彼は母親に捨てられました。
彼自身は捨てられたとは思わないようにしているのですが、母親に必要にされなかったという思いがあります。
やはり、社会に戻っても自分は必要とされていないという気持ちになったでしょう。
しかし、彼のことを思う人は決していない訳ではなく、身元引受人となってくれた弁護士夫妻、彼を取材しているディレクター、行きつけのスーパーの店主、役所の担当者などの支えがあり、ようやく居場所を見つけていきます。
やはり、人は誰かを必要とし、必要とされる関係性が確立できることにより、自分が生きていいという実感を得られる存在なのでしょう。
三上が最後亡くなってしまいますが、その時は彼は人生の中でも最も人に必要とされた時であったのだと思います。
決して悪くない人生であったと思って亡くなったのだと思いたい。
そこにタイトルの「すばらしき世界」という文字が入り、彼の思いを表しているような気がしました。
 
とはいえ、西川作品なので、そういう表層的な捉え方だけではないかとも思いました。
三上の就職祝いの席で弁護士夫妻は、彼の悪いことは許せないという正義感は認めつつも、社会に馴染むにはある種我慢したり受け流したりすることも必要だと諭されます。
その後、彼は職場でのいじめや陰口などを目にしますが、彼は恩人のアドバイスを大事にして、受け流します。
その時の三上の彼らしくない表情や苦しみは、これが本当に生きているということなのかという疑問を持たせるものでもありました。
弱きを助けてはいけないのか。
見て見ぬふりをするのが良いことなのか。
そういう社会が「すばらしき世界」なのかと。
そういう意味でこのタイトルはダブルミーニングとなっており、相変わらず西川作品は深いなと感じました。
 
今まであまり注目はしていなかったのですが、仲野太賀さんはいいですね。
次第に三上に共感を持っていく様子、そして彼の死に直面し、取り乱し呆然とする様。
演技ではありますが、彼が演じる津乃田の気持ちがありありと伝わってきました。
これからも要チェックの役者さんです。

| | コメント (0)

「ブレイブ -群青戦記-」 高校生の「戦国自衛隊」

突然、高校生アスリートたちが高校ごと雷と共に霧に包まれる。
彼らは突如戦国時代にタイムスリップしてしまったのだ。
混乱する彼らに戦国武者たちが襲いかかる・・・。
私の世代的には戦国時代にタイムスリップと言えば、「戦国自衛隊」です。
これは今でも名作だと思っています。
近代兵器で武装した自衛隊員が、戦国時代にタイムスリップするというプロットが当時すごく斬新でした。
武器を持っていながらも戦うことを禁じられている自衛隊員が、戦国時代で生きていく中で、次第にこの時代こそが自分たちが生きるべき時代であると感じていきます。
戦国時代が荒々しい時代であり、決してロマンチックな場所ではなく、ある種の野生が求められるということもこちらの作品では描いていました。
 
というように「戦国自衛隊」には思い入れがあったので、同様のプロットである本作については、見る前は懐疑的でした(原作は読んでいませんでした)。
トップアスリートとは言え高校生ですし、ロマンチックな戦国時代が描かれても、甘っちょろくて嫌だなと思っていたのです。
しかしその懐疑も冒頭で払拭されました。
野武士たちがいきなり高校生たちに襲いかかります。
彼らはまさに獣で、容赦がありません。
これにより彼らが送り込まれていった時代は、現代とは全く違う野生の時代であることがわかります。
仲間を救うため、彼らは織田信長の陣を攻めますが、次々に仲間たちは殺されていってしまいます。
その辺も全く容赦はありません。
主人公である蒼は懸命に生きるということの意味を見出せていない少年でした。
周りは部活に精を出し、自分を高めようとすることに意義を感じられていましたが、蒼はそこに価値を見つけられません。
悶々としていた彼でしたが、戦国時代にタイプスリップしてしまった後に、次第に自分の中にある強い思いに気づき始めます。
「戦国自衛隊」の伊庭は自分の中の野性に気付きましたが、蒼の場合は自分の中にある人を救いたいという強い思いとリーダーシップに気づくのですね。
そういう点では、本作は少年が大人になっていく成長物語という側面も持っていると思います。
終盤に彼に影響を与えた人物の死を目の当たりにして、蒼はそしてついに自分の役割をはっきりと認識します。
そういえば映画版は違いましたが、原作の「戦国自衛隊」では主人公の伊庭は織田信長的な役割を担う存在となっていました。
 
主演の新田真剣佑はさすがアクションは見事で立ち回りも絵になりました。
本作においての敵役となるのは渡邉圭祐さんですが、彼も見事な悪役っぷり。
「ジオウ」でもいい味を出していましたが、天性の演技巧者だと思います。
立ち回りも上手でした。
 
「戦国自衛隊」のことを取り上げましたが、こちらの主演は千葉真一さん。
そして本作「ブレイブ」の主演は新田真剣佑さんで、千葉真一さんの実の息子です。
親子で同じような役を演じるのは運命的ですね!

| | コメント (0)

「映画しまじろう しまじろうと そらとぶふね」 1年越しでようやく公開

子供と一緒に行ってきました。
最近は映画につれて行っても、ちゃんと座って見れるようになりました。
「しまじろう」の映画は通常春の時期に公開されますが、昨年はまさにコロナの拡大時期と重なり、延期になりました。
およそ1年余り経ったところで、ようやくの公開となりました。
今までは2Dであったり、着ぐるみの実写であったりがごっちゃになっていた形式でしたが、今回の「しまじろう」の映画は初の全編3Dでの作品となっています。
コロナ禍の中での公開ということで、感染対策についても考えられています。
今までは鑑賞の前に配られるメガホン状の入場者プレゼントを使い、子供たちが「しまじろう、がんばれ!」と大きな声をかけるというのが恒例でしたが、こちらは今回は見送り。
その代わり、拍手で応援となっていました。
入場した子供たちもその辺りはちゃんとわかっていて、しまじろうたちが言う通り拍手で応援していましたよ。
ストーリーとしては、大人から見ればたわいもないお話ではありますが、子供としては素直に楽しんでいたようでした。
確実に映画好きになってくれているので、大きくなってもいろんな映画を一緒に見に行ってくれるといいなと思っています。
今週末はおそらく新作の「プリキュア」の映画を一緒に観にいくことになりそうです。

| | コメント (0)

2021年3月17日 (水)

「太陽は動かない」 アクションサスペンスとしてしっかりできている、が・・・

藤原竜也さん、竹内涼真さんというホリプロの二枚看板によるアクションサスペンス。
二人が演じる産業スパイが所属するのは、AN通信という謎の組織で、彼らは心臓にチップを埋め込まれており、24時間毎の定時連絡が途切れるとそれが爆発してしまうのだ。
ある技術を巡り、彼らと別の産業スパイ、そして中国の企業が互いに騙し合い、裏をかき、戦いながら秘密情報を奪取しようとする。
彼らは香港、ロシア、ブルガリアなど世界各国を股にかけ、情報を奪い合う。
海外ロケをしっかりと行ったことによる映像のグローバル感、チップに埋め込まれた爆弾というタイムリミットサスペンスの要素、敵味方が目まぐるしく変わるストーリー、主人公鷹野の過去のエピソードなどスパイ映画として盛り上げる要素はしっかりと埋め込まれています。
メガホンを取るのは「海猿」「MOZU」など数々のアクション映画を撮っている羽住英一郎監督です。
一流の俳優・スタッフ、その他の物語の要素としてもアクションサスペンスとしてしっかりと作られており、本作は面白くない訳ではありません。
劇場で一度見ていて、つまらないとは思いませんでした。
ただ記憶に残っていく作品かというと、そうとはなかなか言えません。
邦画としては頑張っている、という印象でしょうか。
10数年前だったらもっと満足できたのかもしれません。
世界のアクションサスペンスのレベルはもっと上の方に行ってしまっている気がします。
公開が延期されていますが長年シリーズとして続いている「007」は、新たなボンド像を築き、時代に合わせたアップデートに成功しています。
「M:I」はアクションシーンに貪欲に今まで見たことがないものを目指しています。
「TENET」はアクションサスペンスを超えた衝撃を与えました。
こういう進化を観客である我々は目にしているで、確実に舌が肥えてきてしまっているのだと思います。
本作は決して面白くない訳ではなく、脚本なりアクションシーンなりは非常に頑張っていて見ていて面白くない訳ではありません。
しかし、新しい驚きがあったかというとそういうことはありません。
スパイアクションサスペンスのとして構築はされているとは思いますが、そこの枠組みから超えてはいないように思うのです。
その点がなかなか満たされない印象に繋がってしまったのかもしれません。
なかなか邦画では難しいのですけれどね・・・。
こちらの作品はWOWOWの方でも前日譚が放送されたとか(見てはいませんが)。
もしかするとそういう連続シリーズの方が向いているかもしれません。

| | コメント (0)

2021年3月 9日 (火)

「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」 ???からの大団円

ようやく「新劇場版エヴァンゲリオン」完結・・・。
長かったですねえ。
鑑賞に先立ち新劇場版を改めて見直すことなく、劇場へ。
・・・無謀でした。
初めにこれまでの新劇場版のおさらいはあるにはあるのですが、あまり親切な作りではないので、結局復習にはなりません。
前半は記憶をさらいながらの鑑賞でかなり大変ではありました。
前半はずっと「???」でした。
鑑賞に行く方はおさらいしてから行くことをお勧めします。
さて新劇場版ですが、本題に行く前にタイトルからの考察を。
新劇場版ではアニメで使用していた「エヴァンゲリオン」という記述ではなく「ヱヴァンゲリヲン」となっています。
なぜこのような旧仮名遣いになっているかはどこにも触れられてはいないのですが、旧劇場版と区別するためというのも一つであるかと思います。
それが今回は元々の「エヴァンゲリオン」となっています。
これに意味があるのか、ないのか。
そしてタイトルにある謎の記号「:||」。
これは楽譜で用いられるリピートを表す記号ということです。
繰り返しということですね。
これは本作を考えるにあたり、非常に意味を持ってきます。
そして最近の庵野作品に多く用いられる「シン」という言葉。
これには「新」「真」などの意味が込められていると言われます。
<ここからネタバレありです>
前にもレビューで書きましたが「破」は個人的に評価が高い作品でした。
テレビシリーズや旧劇場版にあったような内へ内へ向かっていく陰性のベクトルではなく、自分以外の他者とのコミュニケーションを前向きに捉えているように感じたからです。
しかし「Q」では再びディスコミニケーションに陥ってしまい、全てが混沌としてしまいます。
結局またテレビ、旧劇場版のようなカオスに陥っていくのかもしれない、と予感しました。
本作前半は「Q」からの混沌感は引き続いていました。
シンジは相変わらず陰々としているし、アスカはそんなシンジに攻撃的です。
ただそういったネガティブな感情が描かれるだけでなく、レイが村の人々に心を開いていく様や、シンジのかつての同級生であったケンスケやトウジ、ヒカリらが人の逞しさや優しさを感じさせてくれます。
「エヴァンゲリオン」という物語は、自分と他者の関わりをテーマにしていると思います。
碇ゲンドウが目指す人類補完計画とは人々の意識も肉体も全て一つとし、何も誰も失うことのない世界を目指すということであろうかと思います。
本作においては初めてゲンドウが彼の気持ちを彼の言葉で語るシーンがあります。
彼もまた息子であるシンジと同様に、周囲とのコミュニケーションでの違和感を感じていました。
彼の孤独でありたいと価値観を覆したのが、妻であるユイであったのです。
妻を失った彼は、そもそも自分と他者というものが分かれて存在することによる生じる摩擦、失うことによる苦痛を無くすために人類補完計画という考えに至ったのでしょう。
人とのコミュニケーションにおいて悩み、自分が人の間でどうあるべきか、自分の居場所はどこなのかと苦悩するという点では、シンジ=ゲンドウでもあるわけですね。
前作「Q」のレビューではシンジとカヲルも裏表のようだと書きました。
そして本作ではカヲル=ゲンドウであることも示唆されます。
つまりはシンジ=カヲル=ゲンドウであるわけですね。
ある意味カヲルは人との関わりをポジティブに捉えたシンジであり、逆にゲンドウはネガティブに捉えたシンジであるとも言えます。
本作の前半のシンジはいつものようにイジイジとしたネガティブなシンジですが、後半の最終決戦でのシンジには悲壮感はなく、前向きな感情を感じます。
これは「破」で感じたシンジにも通じ、ネガティブな感情に支配されたゲンドウを救おうとする意思すら感じます。
人間は人との関係性を厭う気持ちもありながらも、それを求める気持ちも合わせて持ちます。
それがせめぎ合って生きていると言ってもいいでしょう。
しかし厭う気持ちが強くなっていますと、その人の世界はもしかすると壊れていってしまうかもしれない。
誰しも心の中にシンジ=カヲル=ゲンドウを持っている。
 
あとタイトルのところで触れた「:||」ですが、前述したように繰り返しを意味します。
これは「エヴァンゲリオン」という物語が繰り返されてきたということを意味している、つまりはテレビシリーズ、旧劇場版、新劇場版と何度も繰り返しているということであるかと思います。
テレビシリーズ、旧劇場版は決してハッピーエンドであったかというとそうではなかったかと。
シンジは決して幸せとは言えないかと思います。
本作劇中でカヲルがシンジに向かって「君も成長しているんだね」(大人になっただったかな?)的なことを言っていたと思います。
これはこの作品の中でのシンジのことを言っているのでなく、繰り返されるエヴァンゲリオンの物語の中での成長を意味しているかとも思います。
明らかに新劇場版のシンジは人とのコミュニケーションについては旧作よりも大人になってきている。
本作においてもコミュニケーションを前向きに捉えるエピソードが盛り込まれています(レイのエピソード、ケイスケのエピソードなど)。
ようやく本作でシンジが人とのコミュニケーションに対し前向きに挑めるようになり、そして自分のマイナス面でもあるゲンドウにも向き合えるようになったことで、大人になったと言えると思います。
それによりようやく「エヴァンゲリオン」は物語を閉じることができたのだと思います。
そういう意味での「シン=真」であるのかなと。
ラストでは大人になったシンジとマリが付き合っているような様子が描かれます。
チラリとレイとカヲルが一緒にいるところも映ります。
レイ=ユイであり、カヲル=ゲンドウであるわけですから、彼らも幸せになれたようです。
シンジの相手がレイでないのは、彼女はあくまで母親の写し身であり、シンジは大人になるには母親ではなく、あくまで別の女性と結ばれるべきなのです。
ずっと存在が謎であったマリがいる意味というのもわかりました。
 
見てきた直後に書いているので、少々とっ散らかっていますし、読み違いもあるかもしれません。
とはいえ、長年に渡り続いてきた「エヴァンゲリオン」の物語、納得いく形で完結したと思います。

| | コメント (0)

« 2021年2月 | トップページ | 2021年4月 »