「罪の声」大人のエゴ
時効となったグリコ・森永事件をモチーフとした原作小説の映画化作品です。
この事件の当時はすでに高校生くらいだったので覚えてはいますが、脅迫に子供の声が使われていたのは忘れていました。
結局犯人は誰だったかというところも気になりますが、確かに脅迫に使われていた子供は今、何をしているのか、謎ですよね。
本作ではグリコ・森永事件に関して今までいくつかあった事件の仮説を複合したような形で、架空の事件であるギン萬事件の犯人グループに迫っています。
その中で、脅迫に使われた子供たちの現在も描きます。
主人公の一人は脅迫に使われた声の本人である曽根俊也。
彼は偶然、古いテープを発見し、それを再生したところ自分の子ででギン萬事件の脅迫文が録音されていたことに気がつきます。
誰が自分の声を録音したのか、自分はどう事件に関わったのか、彼は独自に調査を始めます。
もう一人の主人公は阿久津英士。
彼は大日新聞の記者であり、時効になったギン萬事件の再取材を命じられます。
彼らが事件を掘り起こす中で、次第に俊也の他にも声を使われた子供たちの存在が明らかになっていきます。
また犯人グループたちの姿も。
最終的に彼らは事件の首謀者たちに迫ることができ、直接彼らから話を聞き出すことに成功します。
これについてはネタバレになるので、こちらでは書きません。
ただし触れたいのは、大人たちのエゴにより、人生を滅茶苦茶にされた子供たちの存在です。
主人公である俊也はたまたま何も知らずに幸せな人生を生きてくることができました。
けれども事件に人生を翻弄された子供たちもいたのです。
大人たちは自分たちがやってきたことはちゃんとした理由があると言います。
世の中を変えたかった、既得権益層に一矢報いたかったなど。
けれども子供たちにはそんなことは一切関係がありません。
大人が自分の責任で自分の主義主張を通すのはまだわかる(事件を起こし、被害を出すのはもってのほかですが)。
ただそれに無関係の子供たちを巻き込むのは許しがたい。
大人は失敗しても自分としてはやり切ったという気持ちはあったかもしれません。
そんなことも子供には関係がありません。
大人のエゴが子供の人生に影響を与える。
自分も子の親ですから、ちょっといろいろ考えることがありました。
こんなふうに育ってもらいたいという親としての理想もあったり、自分の都合で子供にいろいろ言ったりすることもあります。
けれど、子供には子供が生きたいように生きる権利があります。
親の無理強い、エゴの押し付けなどをするのもあまり良くないなとも感じました。
本作で描かれている大人とエゴとその結果の子供の人生というのは極端な例ではありますが、少なからずどの家にもあることかもしれないとは感じました。
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