「浅田家!」写真のチカラ
いろいろあって鑑賞してから記事を書くのに1ヶ月かかってしまいました。
今回は鑑賞した時のことを思い出しつつ、になってしまいます。
まずは本作を見た時、かなりの部分で泣いてしまったのを思い出します。
数年前ではそんなことにはならなかったかもしれないですが、自分で家族を持ち、子供ができたことが大きいかと思います。
脳腫瘍の子供を持った家族のエピソード。
死が間近に迫っている子供を持つ親御さんの気持ちは如何ばかりか。
自分だったら耐えられない。
主人公であるカメラマンの浅田が撮った写真がこれがまたとてもよく。
幸せそうに眠る子供を両親が挟んで川の字で寝転んでいる姿。
平和な一枚だけど、それはずっと続くものではないというのはわかっている。
それでも子供たちを見て優しく微笑んでいるご両親の顔。
泣けてきました。
あとは、後半の東日本の震災の時の写真を持ち主に返すボランティアのエピソード。
このボランティアは報道か何かで聞いたことがありました。
それに浅田さんも関わっていたのですね。
こちらのメインのエピソードとなる女の子のお話にも涙を流してしまいました。
少女は毎日のように写真を再生しているボランティア現場を訪れて、写真を探します。
自分たちの写真は見つかりましたが、亡くなったお父さんの写真だけが見つからない。
少女はお父さんは自分たちのことが好きでなかったから、写真が出てこないのではないかと言います。
けれどそうではありませんでした。
お父さんは家族の幸せな時を切り取った写真を撮ることに夢中になり、自分の写真は残していなかったのです。
確かにそうだ、と思いました。
私も時折iPhoneで家族の写真を撮りますが、確かに自分の写真はほとんどありません。
子供の笑顔とかそういう瞬間を残したい、とばかり思ってしまうのですよね。
浅田が家族写真を撮りたいと少女の願いをかなえるところも素敵でした。
お父さんはもういない。
だから一緒に写真に写ることはできません。
けれどいつも、お父さんがつけていた腕時計を浅田は腕に巻き、シャッターを切ります。
いつも少女のお父さんがそうしていたように。
少女にとっては、いつものように写真を撮ってくれていたお父さんを感じながら写真に写ることができたのではないでしょうか。
浅田さんが家族のインタビューをしてから、写真の構想を考えるというやり方はとっても素敵だなと感じました。
家族の歴史、思い出、夢、関係性、そして未来が一枚の写真の中に凝縮されています。
まさに一枚の写真のチカラはとてつもないものがあると感じました。
映画を見てから、今まで撮ってきた家族の写真を見返しました。
写真を見るだけでその時の情景が蘇るのですよね。
子供がこんなこと言っていたとか、そういうようなことが。
まさに写真のチカラです。
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