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2020年8月13日 (木)

「ドラえもん のび太の新恐竜」

「ドラえもん」という漫画は、絵を描くことや映像への興味、歴史や科学への好奇心という今の私を形作る重要なファクターとなっていると思う。
発売されるコミックは何度も何度も読み返したし、毎日放映されたアニメはテレビの前にカセットレコーダーを構えて全て録音をしていた。
その「ドラえもん」が映画になった時、ワクワクしながら見に行ったのを覚えている。
同時に連載をしていたコロコロコミックも毎月発売日を心待ちにしていた。
「のび太の恐竜」は長編であるだけに舞台も壮大で、かつドラマチックであった。
短編の「ドラえもん」しか知らなかった私にとって、「ドラえもん」の可能性が広がったのを感じたのを覚えている。
しかし、3、4作を見たあとは劇場版の「ドラえもん」を見に行くことがなくなった。
その頃はもう中学生となっていたから、「卒業」をしていたのだ。
しかし「のび太の恐竜」から40年の時を経て、私は再び「ドラえもん」の映画を見に行くことになった。
今度は4歳の娘と一緒である。
今回の「ドラえもん」の映画のテーマを 奇しくも一作目と同様に恐竜。
本作は川村元気さんによるオリジナル脚本ということだが、冒頭からの展開は「のび太の恐竜」と類似している。
のび太が育てるのはフタバスズキリュウのピー助ではなく、始祖鳥のように羽毛を持つ双子の恐竜キューとミュー(ピー助はちらりと本作にも登場します)。
4歳児の娘と見に行ったのだが、本作の尺は2時間弱、最後まで耐えられないだろうと思っていた。
昨年見に行った「アンパンマン」ではふらふらと席を離れてしまっていたから(「アンパンマン」の場合は OKなのだが)。
しかし、今回は基本的にしっかりと席に座り、最後まで映画を観賞してくれていた。
物語をきちんと理解する力がついているのだなと、子供の成長を実感した。
「のび太の恐竜」でもあった描写だが、のび太が育てた恐竜を白亜紀の仲間の群れに戻そうとする描写がある。
現代で育てられた恐竜はすぐには群れに馴染みにくい。
「のび太の恐竜」ではそこはわりとあっさりと描かれるのだが、本作では違う。
飛ぶことができず体が小さいキューは同じ種である恐竜たちに攻撃されてしまうのだ。
同族ではないと思われたのか、それとも異なる者は排斥されるのかは分からない。
うちの娘はこの場面で泣いていた。
他にも恐竜が襲ってくる場面があって怖がってはいたが、泣いてはいなかった。
この場面は他者と異なる者が、仲間外れにされる場面である。
泣いた理由を聞いたら、かわいそうだからと言っていた。
登場人物に共感できる優しい気持ちを持っていていい子に育っていると私は感激した。
この場面は本作が「のび太の恐竜」とは異なるオリジナル作品としても重要である。
現代ではダイバーシティの価値観が重要視されているが、なかなかそれが実践できているとは言い難い。
見かけが違う者、能力が違う者、価値観が異なる者が排斥されるのは日本に限らず世界各国で見られている。
異なる他者を受け入れることが大切であるのに、それがなかなかできない。
その異なることがもしかすると次のイノベーションにつながる可能性もあるかもしれないのに。
無様な動きで滑空ができなかったキューが、羽ばたきを覚え鳥への進化の道筋を作ったように。
そう考えるとこの作品のテーマはダイバーシティだと思う。
多様性こそがディープインパクトという世界を滅ぼすような出来事があっても、生物種は生き延びた。
異なる者を排斥することは、結果的に我々自体の生き延びる選択肢を狭めることにつながっているかもしれない。

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