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2020年7月24日 (金)

「ステップ」 共感、ただ共感

しばらく前に予告編を見た時から泣けてしまった作品です。
というのも自分も3歳の娘の子育て真っ盛りで、やはり自分のことのように感じてしまうのですよね。
主人公の健一は娘が1歳半の時に病気で妻を亡くしてしまったシングルファーザー。
それから男手ひとつで娘を育てていく様子が、娘が小学校を卒業するまで描かれます。
うちは夫婦二人で育てているのにも関わらず、子育てには悪戦苦闘です。
それをたった一人で仕事をしながらと考えると、その苦労は想像できないくらいです。
私も自分の親の世代に比べてみれば、断然子育てに関与しているとは思います。
イクメンという言葉が普通になり、父親が子育てにちゃんと関わるというのが一般的になっていたので、そのことにはあまり抵抗はありませんでした。
とは言いつつも、妻との家事分担ではそれぞれ言い分があり、喧嘩もしますし、また子供のことでイレギュラーなことが発生するとやはり大変です。
本作でも健一が仕事と娘の世話の両立がうまくできない時に「ああ、もう無理かもしれない」と呟く場面がありますが、こういうのは分かりますね。
彼ほど大変ではないにせよ、仕事と家庭の負担が一気にくると泣き言の一つでも言いたくなるというのは、子育てしているお母さん、お父さんは一度ならずあるのではないでしょうか。
とは言いつつも、それでも子育てを続けていけるのは、やはり子供の成長を感じられるからだと思います。
うちは今3歳ですが、もう会話は大人並みで、基本的に体が小さいだけで基本的にはもう大人と中身はそうそう変わらないのではいかと思うくらいです。
お友達と喧嘩したらちょっとボヤいたりしていますし、泣いている子がいたら慰めたりもする。
赤ちゃんに対してはお姉さんぽく世話をしてみたりする。
私が玄関にくつを出しっぱなしにしたりすると片付けて、と注意してきますし。
いろいろな場面でそういう成長を感じられる時、日々の苦労は忘れてしまいます。
世の中の風潮的に男性の育児参加が普通になってきたということもあるのですが、娘が生まれた時になるべく子育てには関わろうと思っていました。
私は結構歳をとってからの子供でしたので、二人目はあまり考えられませんでした。
ですので、子供の成長を見られるのは一度きり。
子供の成長は早いので、そのたったひとつの機会を見逃したくないと思ったのです。
もしかすると娘が成人する時まで生きているのかしらとも思ったりも時々思うのですよね。
先日、初めて娘が補助輪なし自転車に乗りました。
他の子に比べて圧倒的に早いタイミングなのですが、ほとんど苦労することなくパッと乗れたんです。
その瞬間に立ち会っていたのですが、結構感動したのですね。
こういう瞬間があるからこそ、親は頑張れる。
本作でも健一が日々仕事と子育ての両立に苦労しながらも、やっていけるのは娘の成長を感じられたからだからこそだとも思います。
ずっと一緒にいるからこそ、他の父親は見過ごしてしまったことを彼は見ることができた。
それは彼にとって宝物だと思います。
本作は2歳頃の娘、6歳ごろの娘、12歳頃の娘との日々が描かれます。
自分の子供の頃はあまりしっかりしていた記憶はないのですが、子供は子供ながらにしっかりと考えているというのは、自分の子供を見ていても思います。
6歳くらいになったら、こんな大人びたことを言うようになるのかなと思ったりしながら見ていました。
ありふれた言い方ですが、やはり優しい子になってもらいたいと思いますね。
本作の健一の娘も、親の愛情、そして周囲の人からの愛情を受けて育ったからこそ、優しい心根の女の子に育ちました。
自分が子供の親になるまでは全く実感は持っていなかったですが、子供が成長し、それを助けられることにこそ自分が存在する意味があるのだということを本気で思うようになりました。
そのようなことは映画や本などで見たり聞いたりして、表面的にはそうだなと思っていたのですが、リアルに自分の気持ちとしてそう思っているのです、今は。
本作も子供がいない時に見ていたら、違う感想になっていたかもしれません。
この作品は親の感じる気持ちを本当にストレートに素直に描いてくれて、そのため直球で心に響いた作品でした。
 
死んだ奥さんが残した壁のマジックの跡。
これの使い方が非常に印象的でした。
こういうセンスがある監督さん、いいですね。

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2020年7月12日 (日)

「水曜日が消えた」 巧みな脚本

事故により奇妙な多重人格となってしまった青年の物語。
彼は7つの異なる人格を持っている。
そしてその人格は曜日ごとに切り替わっていく。
すなわち、月曜日の人格は月曜日だけ、火曜日の人格は火曜日しか生きていない。
彼らは同時には存在できないので、日毎の申し送りを付箋で行っている。
この物語は7人の人格の中の一人「火曜日」の視点で語られる。
彼らは夜中に人格が入れ替わるため、12時前には必ず就寝する。
朝起きた時には翌日の人格に切り替わっているのだ。
しかし、ある日「火曜日」が目覚めた時、それが水曜日であることに気づく。
今までなかった出来事に「火曜日」は驚くが、火曜日には会うことができなかった図書館の女性に初めて出会い、心惹かれる。
そしてその翌週も「火曜日」に水曜日は訪れた。
「水曜日」が消えたのだ。
そしてとうとう「木曜日」も消えた。
7つあった人格が次々に消えていっているのだ。
そして最後に二つの人格が残った。
「火曜日」はどうなるのか、消滅するのか、生き残るのか。
非常にアイデアに満ちた脚本だと思いました。
原作ものかと思いきやオリジナルの脚本とのこと。
そしてそれを書いているのは本作の監督も務める吉野耕平さん。
し、知らない・・・。
短編映画は何作か監督されているようなのですが、実写の長編は本作が初めてらしいです。
予告を見た時から、面白そうだなという期待がありましたが、どちらかというとサスペンス的な作品かと思っていました。
多重人格というとそういう展開になる作品が多かったので。
本作はどちらかというと、ロマンチックでもあり、ハートウォームでもある作品でした。
脚本・監督の両方を務めているので、いくつかのカットにその後の展開で意味が出てくるように工夫されていて、ハッとするところがいくつもあります。
新人監督とは思えない巧みさだと思いました。
上記であらすじを書きましたが、その後の展開はネタバレになるので、なかなか書きにくいですね。
何度か象徴的に出てくる同じようなカットがあるのですが、同じように見えて実はちょっとづつ変わっています。
そのこと自体にとても意味があるので、注意して見ていてくださいね。
最近の邦画はわかりやすいストーリーのものが多いので、この作品のように凝った脚本のものがなかなか出てこない。
見ていて展開に唸る、といったものが少ないのですよね。
「カメラを止めるな」などもその部類かと思うのですが、出来が良ければ当たるのですから、こういう作品をもうちょっと作ってくれると嬉しいと思ったりします。

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2020年7月 1日 (水)

「ランボー ラスト・ブラッド」 原点への回帰

「ランボー」シリーズの最新作「ランボー ラスト・ブラッド」です。
最終作とは言いません。
今までも何度となく最終作っぽかったことがありますからね(笑)。
とは言いながら、本作はサブタイトルに「LAST BLOOD」あるように第一作「ランボー(RAMBO FIRST BLOOD)」と対になるところがあるかと思います。
第一作ではランボーはベトナムから帰還したばかりの兵士でしたが、国のために戦ってきたにも関わらず保安官たちに迫害され、結果的に一人だけで軍隊と戦うことになります。
彼が戦うのは、自分と仲間が命をかけて国を守ってきたという想いを、全て否定されたと感じたからでしょう。
つまりは彼は存在してきた意義、生きてきた理由を奪われたわけです。
その後の「ランボー」シリーズでは彼はヒーローとして、その当時の「アメリカの敵」と戦います。
彼が戦う理由は用意はされていますが、初回作のように自分の生きる意味を問うような戦いではなかったと言えます。
しかし、本作においては再び彼が生きてきた意味を賭けた戦いをします。
前作後、ランボーは故郷に帰り、そこで知人とその孫娘と暮らしていました。
その娘をランボーは実の娘のように愛しみ、育てます。
しかし、彼女はメキシコの人身売買組織に拐われ、薬漬けにされた上に、最後は殺されてしまいます。
ランボーは老年において生きる意味を見つけていたその娘を奪われたのです。
彼は再び自分が存在していた意義を失ったのです。
本作において人身売買組織を迎え撃つランボーには容赦はありません。
それだけに彼の内面の怒りを感じます。
見ている私の方も前作を観た後から今までの間に娘を授かりました。
それこそ目の中に入れても痛くない、ということを実感していますが、自分の娘がこのような目にあったらと考える、血が凍るような思いです。
怒りで何も見えなくなるかもしれない、とも思います。
それだけに子供の存在は自分が生きる意味を与えてくれるものだとも思います。
彼の戦いは、本作において第一作と通じるような自己の存在を賭けたものに回帰しました。
そういう意味においては本作は上手にシリーズを締め括ったと言えるかもしれません。

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