「キャッツ」 延々と続く自己紹介
ちょうど大学生の頃、劇団四季の「キャッツ」が大ブームとなっていました。
私は映画はよく観るものの、舞台鑑賞は全く馴染めなかったので、そのころはそのブームには全く興味を惹かれませんでした。
また当時はミュージカルにも興味はなかったのです。
そして何十年か過ぎ、舞台には今もなお興味は持てないのですが、ミュージカル映画は大好きになっているので、あの「キャッツ」が映画になると聞けば、見たくなるものです。
とは言いながらも、色々と忙しくしているうちに公開日から3週間程度経ってしまいました。
ようやく観に行こうとして、上映時間を調べてみると1日に1回くらいしか上映していません。
早く観に行かなくては!と焦って出かけたのですが、やや嫌な予感があったのも確かです。
何でまだひと月も経っていないのに、上映時間が絞られているのだろう・・・。
「キャッツ」はタイトルの通り、猫たちが主人公です。
ロンドンの路地裏で、ある夜に開催される猫たちの舞踏会。
そこでNo1のパフォーマンスを見せた猫は天上に昇って、新しい生を得ることができるといいます。
本作ではその舞踏会に参加する個性豊かな猫たちが、それぞれユニークなパフォーマンスを見せていくのです。
しかし、この猫たちのパフォーマンスが一匹づつ順番に延々と続いていくのが、非常に退屈なのです。
最初の1、2匹くらいまで我慢できるのですが、猫たちの自己紹介だけでほとんどの時間を使い、ほとんどストーリーらしきものはありません。
途中、ほんとに睡魔と戦うのに苦労しました。
超有名な曲「メモリー」がかかるのはかなりの終盤となります。
ただそれを歌うキャラクターの背景が丁寧に描かれているとは言えず、そこに込められた想いが伝わってきません。
歌は上手いと思いますが。
ミュージカルの歌はキャラクターの想いを表現するものであり、それが伝わってこないのはミュージカルとして落第であると思います。
個人的にはあまりに酷い出来だと思ったので、舞台版を観たことがある人に話したら、舞台の方もストーリーらしきものはあまり強くないとのこと。
ストーリーが薄いというのはオリジナルからしてそうらしいので本作のせいではないのかもしれません。
ただ舞台の場合はストーリーが薄くても、それを演じる役者のパフォーマンスを直に感じることができるので、それはそれで成立するのかもしれません。
ただそれを映画というメディア、すなわちスクリーンと観客との距離があるメディアに落とし込んだときはそのような演者と観客が共有するライブ感はないため、ストーリーの薄さが目立つのかもしれません。
また本作では役者をCGで猫風にアレンジしているという映像処理をしていますが、これが非常に微妙です。
人間が猫を演じているわけでもなく、猫そのものでもない。
リアリティがあるわけではなく、かといってファンタジーらしからぬ生々しさがあります。
舞台はあくまで人間が猫を演じてるという体ですが、本作は人間と猫が融合しています。
その奇妙な合成が生理的にやや気持ちが悪い。
演者にはバレリーナやダンサーを起用し、その躍動的なパフォーマンスを活かしたかったのだと思いますが、奇妙な人間と猫の合成生物が変に肉体感を持っているのが、生理的にむず痒さを感じさせます。
成功したミュージカルを映画化して成功した事例はたくさんありますが、舞台というメディアの特性、映画というメディアの特性を理解して移植しないと、このような失敗を生むという教訓になる作品だと思いました。
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