「ジョジョ・ラビット」 偏見
第二次世界大戦中のドイツ、少年ジョジョにとってヒトラーはアイドルであった。
彼はファシズムがなんたるかを理解して、ヒトラーを好きになっているわけではない。
大人を含めて世の中が彼に熱狂していたから、ジョジョも熱に浮かされているようにヒトラーを崇拝していたのだろう。
冒頭のナチスの熱狂を表すシークエンスにビートルズなどの音楽を当てているのはうまいアプローチだと思った。
こちら側がビートルズに熱いコールを送ったのと同じように、彼らは「ハイルヒトラー」と声を上げたのだ。
ナチスというと、人間とは違う生き物ほどに違う人々にも思えてくるが、彼らも同じ人間であるということが伝わってくる。
おそらく戦時の日本も同じようなところがあったのだろう。
あまりに大きな熱狂の渦の中にいると、それ以外のものが見えなくなってくる。
同調圧力もあるだろうし、そもそもその他の選択肢の情報が入ってこないので、価値観が単一になってしまう。
ジョジョはそういう熱狂の中で成長してきたので、ヒトラーを崇拝してしまうのも無理もない。
彼にとっての唯一の社会であるヒトラー・ユーゲントでジョジョをいじめる少年たち、また教官のミス・ラームなどはファシズムの思想で凝り固まっているので尚更だ。
ジョジョは気が弱く優しい少年なので、心の奥底ではナチスの思想には共鳴していないのだが、そのような社会の中で馴染めない自分の方が悪いと思ったのだろう。
その結果、イマジナリー・フレンドとしてのアドルフを生み出したのだ。
しかし、彼の唯一無二の価値観を揺るがすのが、壁の中に隠れていたユダヤ人の少女エルサとの出会いだ。
ジョジョが教わってきたユダヤ人像とは全く異なる、賢く美しい少女に彼は惹かれていく。
彼の価値観が次第に綻んでいくのだ。
また熱狂の中にあっても、その渦の中に飲み込まれず自分が信じる視点に立っている者もいる。
ジョジョの母ロージーもその一人だ。
彼女は人知れずエルサを匿い、そして秘密裏にナチスに対しての抵抗運動をしていた。
あの時代のドイツというと全ての人がナチスの思想に支配されているというように思ってしまいがちだが、そうでない人もいたということだ。
よく考えてみれば、日本でも少なからず戦争に反対していた人がいたわけで、ドイツでも同じような人々がいたというのは当たり前なのだ。
しかし、彼らにとっては生きにくい時代であったということは変わらない。
結局ロージーは悲劇的な結末を迎えるようになってしまう。
ジョジョの世界観はエルサとの出会い、そして愛する母との別れによって決定的に変わる。
守りたいものを守りきれなかった経験を経て、彼の中に守りたいものを守ろうという勇気ができたのだ。
感銘を受けたキャラクターがもう一人いる。
ジョジョが所属しているヒトラー・ユーゲントの教官の一人であるキャプテンKだ。
彼はやる気があるのだかないのだかわからない男だが、陰ながらジョジョのことを気にかけている。
彼自身もナチスの思想に共感していないように見えるが、適当な感じを装って生きにくい世の中で生きていっているように感じる。
彼は何度かジョジョのピンチを救うが、最後は彼を救うために「ナチスとして」殺されてしまう。
皮肉的ではあるが、とてもカッコいい男だと思えた。
ナチスがユダヤ人をある種の枠をはめた見方で見て、迫害していたのと同じように、現代の我々もあの時代のドイツ人が全てナチスであったように思いがちである。
しかし、それは実は人々をある型にはめて見ているということでは同じであるということに気づく。
どうしても人はステレオタイプに捉えがちである。
それが偏見なのだが、それはかなり意識しないとなかなか自分がそのようなフィルターで見ているということに気づかない。
本作はコメディようなところもあるが、そういう人間の本質に気づきを与えてくれる作品であると思う。
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