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2020年2月23日 (日)

「1917 命をかけた伝令」 超絶技巧の撮影

全編がワンカットで構成された超絶技巧の戦争映画です。
実際はいくつかの長回しを編集したものですが、どこで繋いだのかはなかなかわかるものではないでしょう。
それだけ計算され尽くした撮影だったということです。
通常のカットを重ねていく映画であれば、不都合なところや難しいところは編集でうまく逃れるということができます。
しかし長回しの場合は、演技やカメラの動き、そして天候などのコンディションが合わなかった場合は、それで全てやり直しとなってしまいます。
メイキング映像を見ましたが、前半の延々と続く塹壕でのシーンは模型を作り、俳優とカメラの動きを何度もチェックしたということです。
机上での計算を経て、それを実際のスケールのセットを作り、実際の俳優が要求されるタイミングで演技できるようにリハーサルを重ねます。
非常に根気のいる作業であったと思います。
カメラは俳優たちとともに歩き、時にはカメラマンからワイヤーに、そして自動車に受け渡され、延々と彼らの動きを追っていきます。
ただ単純な長回しでは、観客は退屈してしまいます。
自在なカメラワークがあってこその長回しです。
見ていて驚いたのは戦闘地域の街でのナイトシーンで、闇の中を移動する主人公の周囲に照明弾が次々と上がるシーンでした。
ご存知の通り照明弾は打ち上げれて激しい光を放ち、そしてゆっくりと地上に向かって落ちていくものです。
光源が移動するので、照らされている部分と影の部分も動いていきます。
そしてこの作品は長回しなので、俳優もカメラも動いています。
俳優、カメラ、照明といった画面を構成する全てが動いている。
どれかのタイミングが合わなければ成立しません。
全てを計算し、それを本番でぴったりと再現できたらこそこの表現ができているのです。
長回しは技術的な卓越性を表現するだけのためではいけません。
本作では長回しのカメラが捉えているのは主人公だけです。
基本的にカメラはずっと主人公を追いかけます。
それにより見ている我々も彼と一緒の目線となります。
特に中盤から彼が一人となってからは、彼の焦りと不安をともに感じるようになります。
夜の街の陰から敵が突然現れるかもしれない。
砲撃により吹き飛ばされてしまうかもしれない。
そういった恐怖を感じつつも、進み続ける主人公の強い意思をともに感じることができます。
客観的に描くカメラではできない、臨場感があります。
主観視点のカメラとも違います。
まさに寄り添う視点でのカメラです。
本作は今年のアカデミー賞で撮影賞、視覚効果賞、録音賞を取りましたが、それも納得できる結果だと思いました。

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2020年2月15日 (土)

「AI崩壊」 テーマはタイムリー、しかし・・・

「2001年宇宙の旅」(1968年)のHAL、「ターミーネーター」(
1984年)のスカイネットと、昔から映人間に害を与えようとする人工知能が映画の中で描かれてきました。
しかし、その当時はまだそれは夢物語でしたが、2020年の現在、AI=人工知能はリアルな技術として社会に浸透し始めています。
AIという言葉を聞かない日はないほどですが、HALやスカイネットのように自律的に作動するマシンにはなっておりません。
しかし、シンギュラリティ(技術的特異点:自律的に作動する機械的知性が誕生すること)は間近であるという説もあります。
本作に登場するAI「のぞみ」は人間のヘルスサポートから発展したAIですが、ある日突然暴走し、人間の峻別をしようとします。
それぞれの人が生み出す生産物・効率性、その人が生きるためにかかるコストから算出し、生きるべき人間と、生きていくべきでない人間とを区別し、そして生きていくべきでないと判断された人間を抹殺しようとするのです。
厳密には「のぞみ」は意思を持っているわけではありません。
AIは学習することにより、的確な答えを出していくように成長していくわけですが、「のぞみ」に対して人間のネガティブな面を学習させていくことにより、人間を峻別するという結論に導く悪意が裏にあったのです。
ちょうど現在オンエア中の「仮面ライダー」シリーズの最新作「仮面ライダーゼロワン」もAIがテーマとなっており、その敵となっているAI「アーク」も人間の悪意をラーニングすることにより、人類を抹殺するという結論に達しています。
機械そのものが悪ということではなく、悪を学習させた人間の悪意があるということです。
この二作品は共通のテーマであると言えるでしょう。
また本作は最近見た別の作品と別の観点で共通点があると思いました。
それは「カイジ ファイナル・ゲーム」です。
この作品でも国家が、赤字財政・格差の拡大・貧困の増加などを背景に、下級国民を峻別し搾取する様が描かれています。
本作も生きるべき人とそうでない人を峻別しようとしているという点では同じです。
「上級国民」という言葉が昨年はキーワードとして出てきましたが、国民の中で確実に格差というものが認識されてきているということでしょう。
一億総中流という時代はいまは昔ということです。
映画というのは確実に作られた時代の影響を受けているので、同じような時期に同じようなテーマの作品が作られたということで、今の時代の空気が感じられます。
AI、格差社会といった現代を表すテーマをタイムリーに取り上げ、エンターテイメントとして作ったのは評価できると思います。
しかし、それが映画として面白いかどうかというのは別問題です。
映画としては全体として、御都合主義感を感じる脚本であったと思います。
サスペンスとして盛り上げるためでしょうが、いくつか真犯人ではない人間へのミスリードがあるのですが、あまりにあからさまなので、ミスリードされません。
「カイジ」を見ていると大体背景が想像できるので、真犯人も大体わかってしまいます。
テーマは悪くないだけに、もう少しストーリーはなんとかならなかったのかと思ってしまいます。
最後にAI「のぞみ」のデザインはよかったです。
従来のスーパーコンピュータの無味乾燥さがなく、有機的で美しい。
人間のDNAの二重らせんのようでもあり、花弁のようでもあります。
ライティングにより禍々しくも見えたり、優しくも見えたりもする。
エンティングでピンク色に証明され、それが桜の花びらとオーバーラップするところは演出上の狙いがはっきりと伝わってきました。
返すがえすもストーリーが残念です。

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2020年2月 9日 (日)

「ジョジョ・ラビット」 偏見

第二次世界大戦中のドイツ、少年ジョジョにとってヒトラーはアイドルであった。
彼はファシズムがなんたるかを理解して、ヒトラーを好きになっているわけではない。
大人を含めて世の中が彼に熱狂していたから、ジョジョも熱に浮かされているようにヒトラーを崇拝していたのだろう。
冒頭のナチスの熱狂を表すシークエンスにビートルズなどの音楽を当てているのはうまいアプローチだと思った。
こちら側がビートルズに熱いコールを送ったのと同じように、彼らは「ハイルヒトラー」と声を上げたのだ。
ナチスというと、人間とは違う生き物ほどに違う人々にも思えてくるが、彼らも同じ人間であるということが伝わってくる。
おそらく戦時の日本も同じようなところがあったのだろう。
あまりに大きな熱狂の渦の中にいると、それ以外のものが見えなくなってくる。
同調圧力もあるだろうし、そもそもその他の選択肢の情報が入ってこないので、価値観が単一になってしまう。
ジョジョはそういう熱狂の中で成長してきたので、ヒトラーを崇拝してしまうのも無理もない。
彼にとっての唯一の社会であるヒトラー・ユーゲントでジョジョをいじめる少年たち、また教官のミス・ラームなどはファシズムの思想で凝り固まっているので尚更だ。
ジョジョは気が弱く優しい少年なので、心の奥底ではナチスの思想には共鳴していないのだが、そのような社会の中で馴染めない自分の方が悪いと思ったのだろう。
その結果、イマジナリー・フレンドとしてのアドルフを生み出したのだ。
しかし、彼の唯一無二の価値観を揺るがすのが、壁の中に隠れていたユダヤ人の少女エルサとの出会いだ。
ジョジョが教わってきたユダヤ人像とは全く異なる、賢く美しい少女に彼は惹かれていく。
彼の価値観が次第に綻んでいくのだ。
また熱狂の中にあっても、その渦の中に飲み込まれず自分が信じる視点に立っている者もいる。
ジョジョの母ロージーもその一人だ。
彼女は人知れずエルサを匿い、そして秘密裏にナチスに対しての抵抗運動をしていた。
あの時代のドイツというと全ての人がナチスの思想に支配されているというように思ってしまいがちだが、そうでない人もいたということだ。
よく考えてみれば、日本でも少なからず戦争に反対していた人がいたわけで、ドイツでも同じような人々がいたというのは当たり前なのだ。
しかし、彼らにとっては生きにくい時代であったということは変わらない。
結局ロージーは悲劇的な結末を迎えるようになってしまう。
ジョジョの世界観はエルサとの出会い、そして愛する母との別れによって決定的に変わる。
守りたいものを守りきれなかった経験を経て、彼の中に守りたいものを守ろうという勇気ができたのだ。
感銘を受けたキャラクターがもう一人いる。
ジョジョが所属しているヒトラー・ユーゲントの教官の一人であるキャプテンKだ。
彼はやる気があるのだかないのだかわからない男だが、陰ながらジョジョのことを気にかけている。
彼自身もナチスの思想に共感していないように見えるが、適当な感じを装って生きにくい世の中で生きていっているように感じる。
彼は何度かジョジョのピンチを救うが、最後は彼を救うために「ナチスとして」殺されてしまう。
皮肉的ではあるが、とてもカッコいい男だと思えた。
ナチスがユダヤ人をある種の枠をはめた見方で見て、迫害していたのと同じように、現代の我々もあの時代のドイツ人が全てナチスであったように思いがちである。
しかし、それは実は人々をある型にはめて見ているということでは同じであるということに気づく。
どうしても人はステレオタイプに捉えがちである。
それが偏見なのだが、それはかなり意識しないとなかなか自分がそのようなフィルターで見ているということに気づかない。
本作はコメディようなところもあるが、そういう人間の本質に気づきを与えてくれる作品であると思う。

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