「スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け」 まさに夜明け
公開後より賛否両論が巻き起こっておりますが、皆さんは「スカイウォーカー・サーガ」の最終作をどう見られたでしょうか?
私個人としては「スター・ウォーズ」シリーズとしてとても楽しめる作品だと思いましたし、この長いサーガを完結させるにあたりこういう終わりか方しかなかっただろうと思いました。
本作をあまり評価しないという方の意見としては、旧来のファンに媚びすぎ旧来の作品の焼き直しのように見えるといったものが多いように思います。
このような意見はその通りだとも思いますが、反面この非難は昨今のハリウッド映画においては「スター・ウォーズ」以外のシリーズでも多く見られることです(最近で言えば「ターミネーター」等)。
そのような多くの作品よりも多く、激しくその点において非難されるのはこのシリーズへの期待の裏返しとも言えます。
私としては旧来のファンにちゃんと目配せしつつ、「スター・ウォーズ」らしさ、世界観はしっかりと守りながら、話をまとめ上げた手腕を評価したいです。
なんとか話をまとめあげることができただけ、という意見も見かけましたが、これだけの大河ストーリーを破綻させずにまとめあげるのがどんなに大変なことか。
新三部作に関してはルーカスの手を離れたため、予定されたゴールはなかったのだと思います。
そのため「フォースの覚醒」は初期三部作を擬えただけという非難を受けました。
個人的には手堅くファンの反応を見ながらリスタートさせることができたと思いました。
次のライアン・ジョンソンによる「最後のジェダイ」は「フォースの覚醒」への非難を受けてか、問題提起型の挑戦的な内容であったと思います。
新三部作の主人公であるレイがスカイウォーカーとは何の縁もゆかりもないと衝撃の事実を提示しました。
ある意味「最後のジェダイ」はそれだけであったとも言えます。
無茶振りともいえるこの課題を本作では非常に見事に回収し、さらには過去の全ての作品を締めくくることができる結末を用意したと言えるかと思います。
<ここから先はネタバレ>
予告編でパルパティーンの笑い声が聞こえたときは、ちょっと嫌な予感がしました。
それこそ過去三部作をなぞるような結末になるのではないかと。
確かに新三部作のファースト・オーダーは帝国軍の焼き直しに見え、迫力不足であることは確かです。
ただそれでパルパティーンによる帝国の復活が描かれたとしたら、私もこの作品を支持はしなかったでしょう。
前作においてレイはスカイウォーカーとゆかりがないことは明らかになりました。
けれども本作のサブタイトルは「スカイウォーカーの夜明け」です(英語ではTHE RISE OF SKYWALKER」)。
このタイトルが意味するものは・・・。
スカイウォーカー家の血筋ではないのにもかかわらず、なぜレイはジェダイに匹敵するほどのフォースを操ることができるのか。
前作で提示されたこの謎の答えはシンプルではありましたが、意表をついたものでもありました。
かつて多くのジェダイがいたことからわかるように、元々フォースを操れるのはスカイウォーカー家だけではありません。
中でもスカイウォーカー家の血筋の者は強力な力を持ってはいますが。
しかし、スカイウォーカー家と同じほど、いやそれ以上の力を持つもう一つの別の家系がありました。
それこそがパルパティーン。
かつてアナキンをダークサイドへ導き、ダースベイダーとした皇帝パルパティーンはスカイウォーカー家以上の力を持っているのは明らかです。
レイはその血筋であったのです。
今考えると予告のパルパティーンの笑い声は非常にフェアな仕掛けで、レイの出生の謎の答えのヒントでもあったのですね。
完全なるダークサイドであるパルパティーンと、あくまでもライトサイドに踏みとどまるレイの対決は見応えがありました。
カイロ・レンは新三部作においてとても微妙なキャラクターであったと思います。
善と悪の間で揺れ動き、それこそダースベイダーになりきれない子供のような印象がありました。
しかし本作において自分が立つべきポジションをしっかりと見定めることができたのは良かったと思いました。
子供が大人になった時と言えるかもしれません。
ラストの戦いのあたりでは、最後はカイロ・レンとレイが結びつき、新たなスカイウォーカー家が始まるという終わりかたになるかと思いきや、そうはなりませんでした。
結果、カイロ・レンは逝き、スカイウォーカー家は断絶してしまったのです。
全ての戦いが終わり、レイは物語の始まりの場所タトゥイーンのルークの生家を訪れます。
そこで通りかかった老女にレイは名前を尋ねられます。
彼女は「レイ・スカイウォーカー」と答えます。
レイだけがこのシリーズにおいてラストネームを持っていませんでした。
それは彼女が孤児であったからと説明をされていました。
元々そこには意味はなかったと思いますが、その設定を非常にうまく利用したラストシーンであったと思います。
血筋としてのスカイウォーカーは絶えました。
しかし、レイにとってルークは父、レイアは母、そしてカイロ・レンは兄のような存在であるのだと思います。
彼らの意思を彼女は継いでいくという決心をしたのでしょう。
スカイウォーカーはただのラストネームではなく、大いなる役割を持つ称号のようになったのかもしれません。
かつてのジェダイのように。
このシーンではタトゥイーンの二つの太陽の日の出が映し出されます。
まさにこれは夜明け(RISE)であり、新たなるスカイウォーカーの始まりでもあったのだと思います。
プロデューサーのキャスリーン・ケネディが再びスカイウォーカーが登場するかもしれないといった発言があったようですが、可能性としてはあり得ますよね。
私としては期待したいところです。
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