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2019年11月21日 (木)

「マレフィセント2」 与える愛と奪う支配欲

前作「マレフィセント」の記事では何を書いていたのか忘れていたので、確認をしたらエル・ファニングが破壊的に可愛いと書いてありました。
本作を観ても、その可憐さは健在です。
オーロラ姫はピュアでありながらも芯の強さを持つ女性として描かれていますが、その役柄にエル・ファニングはぴったりです。
前作は「眠れる森の美女」をベースとしながらも、主人公を魔女にした点が新鮮でした。
過去のディズニー作品では女性は守られる者、愛を与えられる者として描かれることが多かったですが、最近のディズニー作品に登場する女性は自立しています。
最近多く作られるアニメの実写化作品でも、女性キャラクターに関しては再解釈され今の時代にあった自立した存在措として描かれています。
「マレフィセント」ではただのヴィランであった魔女・マレフィセントが裏切られ愛を失った者として位置付け、その彼女が「真実の愛」を得て再生する物語を描いたのでした。
マレフィセントがオーロラに呪いをかけるに至ったのは、愛する者が野望に心を支配され裏切ったからです。
前作のテーマは愛とは与えられるもの、ましては奪うものではなく、与えるものということであったのではないでしょうか。
マレフィセントとオーロラの間にある「真実の愛」は、互いに相手に愛を与えられることによって成されたものであったのだと思います。
与える愛に対立するのは、全てを奪おうとする支配欲です。
本作においてもマレフィセントとオーロラが対峙するのは巨大な支配欲です。
それを体現しているのが、ミシェル・ファイファーが演じるイングリス王妃。
彼女は幼い頃の体験から、全てを支配したいという欲望に囚われています。
その欲望により、再びマレフィセントはオーロラとの間にある愛を奪われ、またオーロラも自身の国の民を失おうとしています。
オーロラはただ守られるだけの姫ではなく、強く自分の意志を持った女性として描かれているのは、前述した最近のディズニー作品の傾向の通り。
エル・ファニングが成長して大人の女性の側面が出ているところも役柄に合っていました。
物語的にも前作よりはオーロラの比重が高まっていたように思います。
その分、マレフィセントはややキャラクターとして深みがなくなった気がしました。
彼女に関わるエピソード・新設定に関してはややご都合主義的な感が否めません。
映画として物語を派手にする側面はありましたが、前作のような良い心と悪い心の間にあるような深さがなくなったのが残念です。

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