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2019年11月23日 (土)

「ターミーネーター/ニューフェイト」 正統な続編ではあるが、越えてはいない

「ターミーネーター2」の正統な続編として宣伝されている本作。
「2」以降のこれまでのシリーズはなかったことにされているわけですが、それは今回に限ったわけではありません。
逆に言えば「2」が革新的であったため、その後の作品がそれを越えることができなかった歴史と言うこともできます。
果たして「正統な続編」である本作は「2」を越えることができたのでしょうか?
興行的には人は入っているようですが、私見では本作は偉大な「2」を越えることはやはりできなかったと思います。
と言うよりは、本作については様々な点で既視感があり、「2」を焼き直したように感じたのです。
「ターミネーター2」が革新的であったのは、成功した一作目をそのまま発展させるのではなく、思い切って新たな切り口を用意して提示したことによります。
一番のポイントは敵役であったアーノルド・シュワルツェネッガー演じるターミーネーターを一転して主人公たちの守護者として描いたことです。
公開当時、私はその展開にとても驚いたことを覚えています。
あまつさえ、そのターミネーターが死ぬ(あえてこう書きますが)シーンでは、泣けてきさえしたのです。
ターミネーターが死ぬシーンで涙を誘われるとは!
もちろん液体金属でできた新型ターミネーターのCGの描写にも驚かされました。
激しい攻撃にも頑丈さで不死身の強さを見せていた旧型ターミネーターに対し、柔軟さと変幻自在さで対抗するというのも発想の転換で面白かったです。
この作品はコンピューターグラフィックスの使い方でその後の作品に計り知れない影響を与えました。
続編に前作とは全く異なるアプローチをするのは、ジェームズ・キャメロンが「エイリアン2」でも見せていたところです。
今まで見たことのないSFホラーとして仕上げられ大ヒットした一作目を、SFミリタリーとし、さらにはリプリーをタフな女性ヒロインとして描きました。
これも予想外の展開でしたが、それゆえに革新的でした。
ジェームズ・キャメロンは「アバター」でも3Dといった新しい表現方法に挑むなど、常に革新的なアプローチをするクリエーターです。
今回は彼がプロデューサーに名を連ねているということで期待もあったのですが、しかしそれは期待通りにはいかなかったと感じました。
本作においての敵である新しいターミネーターは二つに分裂することができるという新しい能力を持っているとは言え、「2」でT-1000が登場したときの衝撃度には全く及びませんでした。
それは本作においてだけではなく、歴代の「ターミネーター」シリーズが越えられなかった点でもあります。
それだけ「ターミネーター2」のアイデアが秀逸であったことの証左でしょう。
未来から刺客が送り込まれ、また未来から来た戦士がそれを守るという構造も今までのシリーズと同様です。
「2」は前作で刺客であったT-800の役割を守護者とし、全く逆にしたところがアイデアとして優れていました。
その後のシュワルツェネッガーが演じるT-800は守護者となり、それは本作でも変わっていません。
そのため細かいディテールは変わっていたとしても、基本的には「ターミネーター2」と同じような物語に見えたのです。
 
<ここからネタバレ>
 
見る前にエドワード・ファーロングが出ているといった噂を聞いていて、本作を観始めた冒頭で、なるほどこれか、と驚きました。
さらにはその後の展開ではさらに驚きました(悪い意味で)。
「エイリアン3」を観たときのざわざわした気持ちになったのですよね。
あの映画でも「エイリアン2」でリプリーが必死な思いをして救った少女ニュートがいきなり死んだことにされていました。
本作でもそうです。
「エイリアン2」も「ターミネーター2」にも思い入れが強くあり、登場するキャラクターにも深い愛着を感じていたので、このような展開をされるとぞんざいに作品を扱われた感じをしてしまいます。
その時点で私の本作に対しての心象は悪くなったことは否定しません。
 
「ターミネーター2」と同じような話が繰り返された意味を深く解釈してみましょう。
「2」でサラ・コナーはジョンを守り抜くことにより、「審判の日」を回避することができました。
しかし本作では「審判の日」を迎えなかった未来からの刺客が別の人間を殺すためにやってくるのです。
ターミネーターを作ったのはスカイネットではなく、別の覚醒したAIでした。
つまりいくらターミネーターを作ったコンピューター(AI)を破壊したとしても、いずれ別のAIが覚醒し人類を滅ぼうそうとするということになるのではないかということです。
つまりニューフェイトとは、人類が進むであろう運命、それも悲劇の運命を表しているとも読めるかもしれません。
昨今AIの開発が進み、近い未来にシンギュラリティが訪れるとも言われています。
その時にコンピューターは人類をどう見るのか。
そういうことを考えると、「今」を掴んだテーマであるかもしれません。

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コメント

ファーロングの私生活の乱れがなく、もっと早くキャメロン監督による続編が製作されていれば、ジョン・コナー不在の物語にはならなかったのではないかと思いました。
やっぱり、ジョン・コナーはいてほしかったです。

投稿: 風子 | 2019年11月24日 (日) 22時31分

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