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2019年10月 5日 (土)

「アド・アストラ」孤独に焦がれ、孤独を恐れる

本作はスペース・アクションと銘打たれているが、その本質は違う。
確かにオープニングの宇宙エレベーター(?)のシークエンスや、月面車でのチェイスシーンは今まで見たことがない、宇宙でのアクションシーンとは言えるし、舞台の多くは宇宙である。
しかし、本作はそのようなシーンをことさらに見せたかったわけではない。
どちらかと言えば、何が起こっても異常なほどに沈着冷静であるロイというキャラクターを描くためにあったと言ってよい。
私は本作のテーマは「孤独」であると考える。
その反対の「繋がり」であると言ってもいいだろう。
宇宙というシチュエーションはその「孤独」を描き出すには最適の舞台であるがゆえの選択であるように思う。
これが「深海」であっても成立するような気もするが、ただ後に描く理由により、やはり宇宙の方がベターであるだろう。
主人公ロイは孤独な男である。
普通に社会生活をおくれているようであっても、彼はその内面を他の者にされけだすことはない。
妻であった女性にもそれは同じであり、それ故に彼女は彼から離れていった。
ロイは劇中の多くのシーンで宇宙服を着ているが、まさに宇宙服が彼と他の人々との関係性を象徴している。
自分を守る厚い皮膜、直接触れることができない関係性だ。
彼は自身のそのような性向に気づいているものの、それをどのように解消していいかわからない。
またそのような状態でいる方が心地よいとも感じてしまう。
これは個人的にはわからない感覚ではない。
自分もどちらかというと内面をさらけ出す方ではないし、一人を好む性向がある。
直接的な感情表現をする人は付き合っていても苦手であるのだ。
一人になりたいということもしばしばある。
もう一人の主要な登場人物はロイの父親であるクリフォードだ。
彼は地球外生命体の探索のため、遠く海王星まで遠征し、そこで消息を絶った。
彼を探しに行くことが、ロイのミッションとなる。
クリフォードは地球外生命体の探索に異常なほどの熱意を燃やす。
結果、彼の方針についていけないプロジェクトのクルーを殺害してしまったほどだ。
そのプロジェクトは努力にも関わらず、成果をあげられなかったようだ。
すなわち人類以外の知的生命体の痕跡を見つけられなかったということだ。
それは人類がこの宇宙において唯一の知的生命体であったということ意味する。
それをクリフォードは認められない。
なぜか。
彼は人類が「孤独」であることを知るのを恐れたのであろう。
孤独であることは恐怖を伴う。
なぜならば自分が存在することに誰にも気づいてもらえないことを意味するからだ。
そうなると自分が存在する意味はあるのかという根源的な問いに至ってしまう。
一方、クリフォードは妻と子を捨て、宇宙へ旅立った男でもある。
彼は自分のやりたいことのため、しがらみを一切捨てたのだ。
この感覚もわからないではない。
家族は愛しているものの、一人になりたいと渇望することもあるものだ。
つまり人間には孤独になりたくないという気持ちと、孤独になりたいという気持ちは同時に存在しているのだ。
ロイは父親を見つけるために深太陽系を目指す旅の中で、地球から離れるほどに精神的に不安定になる。
より孤独になる環境に向かう中で、人々との繋がりが薄れることによるのだろう。
孤独になりたいという気持ちは遠心力だ。
また繋がりたいという気持ちは引力だ。
ロイは遠心力で深宇宙に旅をしていったが、より孤独が深まる中で、人と人とをつなぐ引力が切望するようになったのかもしれない。
遠心力と引力のバランスが取れた場所が軌道である。
人間は孤独になりたいという気持ちと、孤独になりたくないという気持ちのバランスが取れた軌道を見つけなくてはいけないのかもしれない。
そしてそれはパートナーと同じ軌道に入れることが望ましいのだ。
ロイは旅路の果てにそのバランスを見つけることができた。
クリフォードの場合は正反対になる。
彼が恋焦がれるのは、つまり引力の方向が外宇宙なのだ。
彼は他の生命体とのコネクトを求めている。
その方向性が引力で、地球に向かう方向性は彼からすると遠心力なのだ。
結局、彼は強い引力に引かれ一人宇宙に旅立った。
冒頭に書いた宇宙を舞台にしたことの意味はここにある。
人間の関係性における遠心力と引力を描くためのメタファーとして宇宙が適しているのだ。
人との関係性の遠心力と引力のバランスが取れた軌道を見つけられれば、人は心地よく安らかに生きていけるのだろう。

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