「ワイルド・スピード/スーパーコンボ」 ファミリーというDNA
「ワイルド・スピード」シリーズ初のスピンオフ作品。
とは言っても、2作目も3作目もスピンオフ的ではあったのですよね。
だからもしこの作品をシリーズ9作目と言われても全く不思議な感じがしません。
初期3作を受けて4,5,6作目を監督したジャスティン・リンが、サイドストーリーも許容できる懐が深いシリーズ、サーガとして確立したのが大きな功績であると思います。
それでは「ワイルド・スピード」らしさというのは何なのでしょうか?
アクションムービーで長年続いているシリーズは世にいくつかあります。
例えば「007」シリーズであったり、「ミッション・インポッシブル」であったり。
これらのシリーズの「らしさ」を成立させているものの大きな一つとして主人公のキャラクターがあげられると思います。
それがジェームズ・ボンドであり、イーサン・ハントであるわけですが、これらのシリーズは主人公が変わってしまうと成立しないと考えられます。
物語のトーンを具現化しているのが、主人公キャラクターとなっているので、外すことができないのですよね。
それに対して「ワイルド・スピード」シリーズは主人公すら変わっている時があります。
主要キャラクターも出入りがある。
それでも一つのシリーズとして成立しているというのは、かなり珍しいと思います。
それでは主人公キャラクターに変わってシリーズのトーンを作っているのは何なのでしょうか。
それは今までのこのシリーズのレビューでも取り上げてきた「ファミリー」という概念でしょう。
本作の登場人物たちは世界を救うために悪人と戦うというわけではなく、自分にとっての大切な家族を守るために戦っています。
結果的にそれが世界を救うことにつながる。
ファミリーが最も重要な要素だからこそ、主人公が変わっても、あるキャラクターが登場できなくなっても作品のトーンは継続できるというわけです。
本作においてホブスにしてもショウにしても戦うための理由の第一は家族です。
そこは「ワイルド・シリーズ」サーガの一つの作品としては外せない。
外さないからこそ、シリーズの1作として成立しているのです。
ずっとシリーズを牽引していたポール・ウォーカーが不慮の死を迎えた時、その後のこのシリーズがどうなるかを心配した人は多かったと思います。
私もその一人でした。
しかし、このシリーズはますますスケールアップをして続いています。
ファミリーという要素が中心に据えられているからこそ、それができたと思います。
本作では今までのシリーズの中で脇であったキャラクターを主人公にしても成立することを証明しました。
逆に言えば、ファミリーという要素さえしっかりと守っていれば「ワイルド・スピード」シリーズは末永く続けていくことできるかもということなのかもしれません。
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