「ファースト・マン」 閉塞感と解放
最初から最後まで見ていて息がつまるような印象がある作品でした。
まず冒頭の大気圏脱出のテストフライトのシーン。
個人的に飛行機とかジェットコースターとかがとても苦手なので、手に汗握るというよりも脂汗をかくような気持ちで見ていました。
中盤のジェミニ計画の中の一つドッキングミッションの場面もそうですね。
宇宙船のバランスが狂い、高速度で機体が回転を始めてしまうが、それを止められない。
このシーンは見ていて途中でもう止めてと思うほどでした。
初期の宇宙船は作品の中で描かれているようにペラペラな金属の殻で覆われているだけで、かつとても狭い空間。
そしてその薄い隔壁の外には真空の世界があります。
これは圧倒的な閉塞感です。
そう、この作品のテーマは閉塞感があると思います。
作品の冒頭で、主人公ニールは愛娘を病気で失います。
この時彼の気持ちは外界と何か壁のようなもので覆われてしまったように感じました。
娘を失ったという現実からの逃避かもしれません。
引きこもってしまうわけではありません。
妻や息子たちとも話はします。
同僚たちとお酒を一緒に飲んだりもします。
けれど、ニールの本当の気持ちは何かベールに覆われているかのように見ていて感じます。
それは妻のジャネットにも伝わっていて、彼女は夫と確かなコミュニケーションを得られないことにずっと苛立ちを感じています。
ニールは決して妻や子供たちを愛していないわけではありません。
でも娘の死をきっかけに、それらをはっきりと自分の外に気持ちを出すことができなくなってしまったのかもしれません。
このようなニールの心情も閉塞感であると思います。
作品を通してもやもやとした閉塞感が続き、ずっと重い緊張感が存在しています。
その閉塞感が様々な意味で解放されるのが、月面着陸でした。
何年にもわたるミッションが成功を迎えたその時。
極度に狭い宇宙船から広い月面に降り立ったその時。
ニールの気持ちはそれまで彼の心と外界を隔てていたベールが払われた気持ちになったのではないでしょうか。
娘の思い出の品をそっと月面に置いた時、ようやく娘を失ってしまったという現実から解放された。
長く心を支配していた閉塞感から解放された時であったのでしょう。
月面着陸は人類が月面に立つまでの長い旅路が終わった瞬間でした。
そしてまたニールの心の中にあったわだかまりがなくなった瞬間でもありました。
地球帰還後、ニールは防疫室から窓越しで妻に面会します。
ニールから妻に向かって手を差し出します。
彼はようやく自分の殻から出ようとしているところなのかもしれません。
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