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2018年12月30日 (日)

2018年を振り返って<映画>

恒例ですので、今年2018年の映画の振り返りをしたいと思います。
このところずっと毎年の映画鑑賞本数がずっと減少傾向にありましたが、今年は昨年よりも少しだけ増えました。
昨年は45本だったのですが、今年は54本です。
全盛期よりはまだまだ半分くらいなのですが、すこしは時間を作る余裕が出てきたと言うところでしょうか。
今年のトピックとしては子供と初めて映画館に行ったことですかね。
「アンパンマン」でしたけれど(笑)。

さて今年のベスト10です。

「カメラを止めるな!」
「ボヘミアン・ラプソディ」
「シェイプ・オブ・ウォーター」
「ワンダー 君は太陽」
「焼肉ドラゴン」
「スリー・ビルボード」
「アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー」
「GODZILLA 決戦機動増殖都市」
「リメンバー・ミー」
「プーと大人になった僕」

観ている映画はビックバジェットのハリウッドのシリーズ物が多いのですが(劇場に行く回数が限られているとそういうのを優先してしまう)、ベスト10に入ったのはそういうのではなく、インディーズ系のも多くなっていますね。
ビックバジェットものは楽しめるのですが、あとあと考えさせられるものではないので、印象に残りにくいのかもしれません。
あとは子供ができてからというもの、家族ものにはちょっと弱くなっている気がします。

1.「カメラを止めるな!」
1位にしようかどうか迷ったのですが・・・。
多くの人が上げてくるとは思ったのですが、本作は今年の中で一番「やられた!」と感じた作品だったので上げました。
最初の30分は「なんだこの映画」と思ったのですよね。
世間に話題になっているほどのものじゃないじゃん、自主映画的なのが物珍しいだけなのじゃないかと。
しかし、みなさんご存知の通りの展開でちょっと驚きました。
私が観たのは世間でかなり評判になったあとだったので、おのずとハードルは高かったと思います。
しかし、それを遥か上に越えるような印象でしたね。
なんというかシャマランの「シックスセンス」を最初に観たときのような「そうきたか!」という感じです。
注目を集めた上田監督、次回作以降が勝負です。

2.「ボヘミアン・ラプソディ」
こちらも現在も大ヒット中の作品。
最近の映画は公開後1、2週で勝負が決まったりするものですが、本作は公開してしばらく経ってからどんどん客足が伸びたようですね。
「カメラを止めるな!」もそうですが、リピーターや口コミの獲得がヒットにはより重要になってきます。
本作については初日に鑑賞しました。
予告を観た時から、本作は観たいと思ったのですよね。
特別クィーンのファンというわけではないですが、やはり時代としてはいっしょなので、自分の中に彼らの曲が刷り込まれているというのはあります。
なので同世代には受けるとは思いましたが、ここまでヒットするとは思いませんでした。

3.「シェイプ・オブ・ウォーター」
デル・トロの世界観と趣味が好きなもので。
「ヘルボーイ」とか「パシフィック・リム」とかも好きなんですけれど、彼の場合はこういう小規模の作品で趣味丸出しなのがやはりいい。
「パンズ・ラビリンス」のような寓話的で、ダークな物語が彼らしい。
おとぎ話というのはもともとの話を読むとかなりダークだと言われますが、まさにデル・トロが紡ぐ物語は現代のおとぎ話。
その中に様々な意味や解釈を孕んでいるところもおとぎ話的です。

4.「ワンダー 君は太陽」
この手の家族ものには弱い。
本作に登場する両親のように子供の力を信じてあげられる親でありたいと思います。
なかなか難しいですけれど、子供の持ついいところを引っ張り上げて、背中を押してあげられるようにいたいですね。
この作品のいいところは、単なる難病と向かう親子だけを描いているのではなく、主人公のオギーだけでなく、彼の姉やその友達などの他の子供たちの抱える悩みについても語っていること。
オギーを中心にして複数の視線が入ることで物語に深みが出ていると思います。

5.「焼肉ドラゴン」
これは誰も入れてこないのではないかと思ったりもします。
こちらも家族ものです。
戦後間もなくの在日の家族を描いた作品です。
誰も頼ることができない日本で、彼らが本気でぶつかり合って、それでも離れられない家族というものをユーモアと涙で描きます。
なかなか日本人にはない家族間の会話のストレートさが小気味いい。
ラストの家族に対するお父さんの気持ちが心に沁みます。
泣けました。

6.「スリー・ビルボード」
この作品もインディーズ系ですね。
こちらは予告を観て予想していたよりも、さらにハードで深かったという点で印象に残りました。
特にキャラクターの描き方が深かったです。
主人公のミルドレッドもそうですが、予告では敵役のような署長のウィロビーや、警察官のジャクソンなどがああいう展開になってしまうとは思いもよらなかったです。
それが人間がもつ怒りという感情のコントロールできなさみたいなものを描いており、観た後も考えさせられました。

7.「アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー」
本年の作品で最もお金をかけ、最も当たったのではないかという作品。
どうしても人気シリーズゆえ、ハードルが高くなってしまいますので、この順位。
キャラクターが多い分、盛り込むエピソード量が多くなってしまうため、話が分かりづらくなってしまっている気がしました。
情報量が多いので、これは何度か観るのがいい作品かもしれませんね。
長尺ですが終盤になっても話が終わらなそうで観ていてドキドキしましたが、ほんとに最後になっても話が終わらないとは・・・!
次回作は3時間越えの長尺になるようです。
どうなることやら。
しかし、こういう展開を力押しでやってしまう作品はなかなかないのも事実。
今までの実績があるからこそできるのでしょう。

8.「GODZILLA 決戦機動増殖都市」
昨年のアニゴジの1作目をランクインさせましたが、本年も2作目がランクイン。
今までの「ゴジラ」とは異なりハードSF感を出してきたこのシリーズで、2作目はメカゴジラが登場と予告されていましたが、想像していたのとは全く違う方向で度肝を抜かれました。
「コレジャナイ!」という人も多いかもしれないですが、ゴジラとしてではなくハードSFとしてまさに硬派な展開で私は好きです。
だからといってゴジラらしくないかというとそうでもなく、人間の意思とは全く関係がないまさに荒ぶる神のような存在であることは共通していて、そこをゴジラらしさとして担保しているのもうまいなと思いました。

9.「リメンバー・ミー」
こちらも家族ものですね。
やはり弱い・・・。
この作品は自分の父が亡くなった後に見たので、親としてというよりは子として家族を考えながら観た作品です。
亡くなってからこそわかるというのは、よく言われますが、まさにそう。
逆に自分の子供に対しては自分ができる限りいろいろと思いは伝えたいなと思いました。

10.「プーと大人になった僕」
こちらも親子ものといえばそうかもしれません。
忙しいからといっていろいろなことを後回しにすると、ほんとに大切なものを失ってしまう。
例えば子供が成長する様というのは、後になっても取り戻せないですよね。
当たり前すぎて気づかないことにほんとに大切なものがある。
子供の頃は自然とわかっていたのが、大人になるとわからなくなってしまう。
そういうことに気づかされる映画でした。

さて、最後に今年のワーストを3作品。
「音量を上げろタコ!なに歌ってんのか全然わかんねぇんだよ!!」
何が面白いのか全然わからなかった・・・。
「ラプラスの魔女」
去年も三池監督作品入っていたな。
この作品は三池さんらしさも感じられない。
最近どうした?
「ザ・プレデター」
どうにも劣化版のオリジナルという気がしてならない。

来年はもう少しインディーズ系も行きたいですね。
最近シネコン化が進み、お客が入らない作品はすぐに公開が終わったり、時間が行きにくい時間になったりするのでなんとかならないですかね。
昔みたいな単館も減ってきたし。
とはいえ、もう少し映画を観れるよう時間を作ることをがんばります。

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「シュガー・ラッシュ:オンライン」 擬似親子関係

前作「シュガー・ラッシュ」は懐かしのアーケードゲームを題材にしていましたが、続編である本作は、時代の必然でインターネットがテーマ。
現代の生活には欠かせないあの企業やこの企業も登場します。
しかしながらGAFAのうちF◯cebookやA◯pleは登場していなかったですが、いろいろ権利系が整理できなかったのかしらん。
インターネットの仕組みを、擬人化したり何かに模したりするアイデアはよくできていましたね。
検索エンジンを模したノウズモアが、一こと言うたびになにか先回りして検索結果を言おうとするのはなかなか俊逸でした。
パケット通信もほんとにパケットでデータが送られているようで面白かったです。

予告編ではディズニープリンセスたちが登場する楽屋落ちネタ(まさに楽屋が舞台だったのだが)にスポットが当たっていたので、そういうマニア向けのネタ系の作品となっているかと思っていたら、豈に図らんや親子の愛情が感じられる物語でした。
もちろん主人公のヴァネロペとラルフは友人であるのですが、本作で描かれる二人の関係は擬似親子そのものでした。
ラルフはまさに父親そのもの。
かわいい娘と幸せに暮らしていければそれば一番いい。
彼女のために自分が頑張れることが生きがい。
私も幼い娘がいるのですごくこの気持ちはわかります。
けれども彼にとって擬似的な娘であるヴァネロペは、若く成長していこうとしています。
新しく刺激的なものに心を惹かれ、自分がもっと成長できる場を求めていきます。
しかし、それはすなわち居心地の良い親の元を離れ、外の世界に飛び出していくということ。
ヴァネロペは外に飛び出すことには躊躇がありません。
逆に自分を大切に思ってくれるラルフの気持ちはわかるものの、それを自分を縛りつけるもののようにも感じてしまいます。
ラルフからすれば、危なっかしい外の世界に飛び込んでいこうとするヴァネロペの行動が心配で仕方がない。
彼女の気持ちもわからないわけではないので、とても不器用なやり方で彼女を止めようとしたりします。
まさにラルフは不器用な父親ですよね。
自分の娘はまだまだ甘えん坊なので、親元を離れるなんて随分先のような感じもしますが、あと十数年経ったらそういうこともあるのだと思うとちょっと寂しい気持ちにもなります。
父親目線でラルフの気持ちにすごく共感してしまいました。

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2018年12月28日 (金)

「仮面ライダー平成ジェネレーションズ FOREVER」 ライダーの足跡

来年、平成が終わる。
現在も続いている「仮面ライダー」シリーズは、いつしか平成仮面ライダーと呼ばれるようになっていた。
それもすでに現在公TVで放映されている「仮面ライダージオウ」で20作目。
「ジオウ」は20作を総括する位置付けで、平成仮面ライダー全てが1年間を通して登場していく予定だ。
同じようにそれまでのシリーズを総括した作品としては10作品目であった「仮面ライダーディケイド」があったが、これは異なるライダーの世界観を文字通り別世界=パラレルワールドとして描いていた。
しかし「ジオウ」の設定では今までの仮面ライダーとジオウは同じ時間軸にあるというもの。
すなわち、ジオウの登場前の過去に19人もの仮面ライダーがいたということなのだ。
こうなると毎回異なる世界観のライダーがどのように同じ時間軸に存在しうるのかということになるのだが、それが歴史を改変しようとしているタイムジャッカーという存在。
これがテレビシリーズにおけるジオウの敵となっているわけだが、説明しようとするとかなりややこしいのでここでは割愛する。
正直、「ジオウ」は時間を行き来するので、「ディケイド」よりも数倍話がややこしいため、見ていてもかなり疲れる。
設定上アラがないかが気になってしまうのだ。
ただ最近どんどん話が複雑になっていくので、あまり考えずに見る方がいいのではないのかという気になっている。
こちらの劇場版はさらにややこしい。
なぜなら同じくタイムトラベルをテーマにしていた「仮面ライダー電王」が大きくストーリーに関わってくるからだ。
また予告でも語られていたように、仮面ライダーは虚構なのか、現実なのかというテーマが挙げられており、かなりメタ的要素も強まっている。
そのため、序盤はどのような状況になっているのかを理解するのが非常に苦労した(正直、一回見ただけだと理解できているか自信がない)。
何回か見て色々な仕掛けや設定を味わうのが通的な楽しみ方だとは思うが、後半までいくとそういうのはどうでもいい気分にもなった。
まずは「仮面ライダー電王」で主人公野上良太郎を演じていた佐藤健さんが登場したシーンで、思わず声が出た。
直前のリリースで佐藤さんが登場することを聞いていたわけだが、それでも画面に登場すると感慨深いものがある。
「仮面ライダージオウ」では過去のライダーの出演者が友情出演をするのが話題の一つだが、やはり有名になった俳優はスケジュールどりなどで出演が厳しいことも想像がつく。
「フォーゼ」編では福士蒼汰さんが出るかと思いきや、後ろ姿だけの別人であったということもあった。
佐藤健さんといえば、出演作が途切れることなく公開されており、忙しさという点では歴代の仮面ライダー出演者の中でも随一であろう。
その佐藤さんが出てくるだけで、画面がガラリと変わる。
またファンとしては単純に嬉しい。
その時、なるほどと得心がいった。
「ジオウ」はあまり考えすぎずに見るのが良いと。
設定やら何やらを考えすぎずに見た方が単純に楽しめる。
クライマックスで20人のライダーが勢ぞろいし、それぞれのスタイルで戦う。
ラスボス相手に歴代20人のライダーが、それぞれの必殺技であるキックを放つ。
20作品目の記念作品ということを示す「仮面ライダージオウ」のキャンペーンマークがあるのだが、それは歴代仮面ライダーの足型をモチーフとしている。
仮面ライダーと言えばやはり「キック」だし、それゆえ足型をモチーフにしたのだと思っていたのだが、それだけではないということに気づいた。
足型はまさに仮面ライダーの足跡なのだ。
平成仮面ライダーというシリーズが20作品に渡って紡いできた歴史の足跡という意味が込められているのではないのだろうか。
平成仮面ライダーは「クウガ」から「ディケイド」までを第1
期、「W」以降を第2期と呼ばれることが多い。
本作のプロデューサーでもある白倉プロデューサーは雑誌のインタビューで第1期は昭和ライダーへのカウンターであり、第2期は第1期へのカウンターであるという見解を述べていた。
冒頭に書いたように「ジオウ」は作品として第2期を総括する役割を持っている。
そして総括した先に新しい時代の仮面ライダーがあるのだろう。
また仮面ライダーの新しい足跡が刻まれていくことになるのを見守っていたい。

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2018年12月26日 (水)

「くるみ割り人形と秘密の王国」 主演のマッケンジー・フォイに注目

「くるみ割り人形」と言えばチャイコフスキーのバレエが有名ですが、こちらはその原作である「くるみ割り人形とねずみの王様」の映画化作品です。
良くも悪くもこの作品はファミリー向けのクリスマスムービーで、ディズニーらしいと言えばディズニーらしい。
子供と一緒に安心して楽しめる映画だと思います。
そのためではあるのですが、ストーリー上はそれほど驚くような展開はないので、大人が見ると少々物足りないところもあるかもしれません。
今回、私が注目したのは主人公クララを演じるマッケンジー・フォイです。
本作まで彼女は全く見た記憶がありません(「トワイライト」シリーズに出ていたようなのですが、全く覚えがない)。
クララは知的で自立心がありながらも、母親を失ったばかりでその悲しみに打ちひしがれている少女です。
彼女はまさに精神的に大人と子供の中間くらいとなる微妙なお年頃なわけです。
ちょうど演じるマッケンジーは撮影時が17歳だったので、ちょうど役柄とも同じくらいとなります。
彼女のルックスがまさに大人っぽい凛々しい女性のように見える時もあれば、あどけない少女のように見える時もあり、クララの微妙な年頃をうまく体現しているように見えました。
また現代的で活動的な側面もあるかと思えば、プリンセス的な美しさも兼ね備えているので、このようなディズニー映画にはぴったりだったと思います。
あまり予告を時は美少女という印象は持たなかったのですが、作品の中で動いているのを見るととても美少女に見えました。
個人的には乃木坂の白石麻衣さんに印象が似ているなと思いました。
演技もしっかりしているので、今後出演していく作品に注目していきたいと思います。

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2018年12月18日 (火)

「ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生」 広がる伏線

「ハリー・ポッター」シリーズの前日譚となる「ファンタスティック・ビースト」シリーズですが、2作目に入り「ハリー・ポッター」シリーズとのリンクする部分も出てきて、コアなファンにはたまらない展開となっていますね。
私はそれほどコアなファンではないのですので(とはいえ小説も読んでますし、映画も全部観ていますが)、サブキャラまであまり覚えているわけではないので、あまり偉そうなことは言えないのですけれど(笑)。
鑑賞後パンフレットを読んで驚いたのは、本作で登場した蛇に変身することができるミステリアスな女性が登場しましたが、あれは「ハリー・ポッター」シリーズに登場していた大蛇だったのですね。
大蛇=ナギニはヴォルデモートに仕えていましたが、それが本作に登場することで俄然本シリーズと「ハリー・ポッター」シリーズの関連が気になってきます。
本作からダンブルドアも本格的に登場し、敵役であるグリンデルバルドとの関係性も明かされました。
もしかするとグリンデルバルドとダンブルドアとヴォルデモートとの因縁なども明らかにされるかもしれません。
「ファンタスティック・ビースト」シリーズは当初3部作と言われていましたが、脚本のローリングは5部作になると言っているそう。
たしかに本作で「ハリー・ポッター」シリーズとの関連に関わるいろいろと謎が提示されているので、それがあと1作で回収しきれるとは思えないですね。
本作は5部作の中の序盤になるのでまずは大きく伏線を張っている時期なのだと思われます。
また「ハリー・ポッター」シリーズもそうでしたが、全体的にダークなトーンに転調しています。
登場人物たちもそれぞれの運命に流されて、出会い別れていくことが本作で示されました。
特に興味深いのはグリンデルバルド側につくことにしたクイニー。
この決断により、彼女は姉ともジェイコブとも敵対する関係になってしまいます。
「ハリー・ポッター」シリーズでも友人同士や肉親同士が戦いあう展開がありました。
ヴォルデモートは恐怖で人を操り支配し、それから逃れられない者が彼に取り込まれていきました。
対してグリンデルバルドは人の弱みを理解し許容することにより、人を取り込んでいくように見えます。
彼が本当に人のことを思い、仲間を増やしているのかどうかはまだ明らかになっていませんが、もし彼が人の弱さにつけこんで彼らを利用することだけを考えているのだとすると、ヴォルデモートとは違った意味で恐ろしい存在であると言えます。
これから続く彼の意図が明らかにされていくのでしょう。
ローリングの物語はファンタジーでありながらも、人間の闇の面を描いているようにおもえます。
「ハリー・ポッター」シリーズがそうであったように、本作もますますダークなトーンになっていくでしょう。
主人公でありながらまだその本質が見えてこないニュートについても、彼が抱えているものが深く掘り下げられるかもしれません。
5部作となったので、それぞれのキャラクターがより深く描かれてることは間違いないでしょう。
そしてどのように「ハリー・ポッター」に繋がるかも気になります。
次回作も楽しみに待ってみたいと思います。

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2018年12月15日 (土)

「機動戦士ガンダムNT」 ガンダムらしいガンダム

「機動戦士ガンダムUC」の続編の位置付けで、ガンダム作品としては「F91」以来27年ぶりの劇場向け作品です。
私にとってガンダムは自分という個性を形成している大きな要素の一つと言ってもいいくらいです。
いわゆるファーストガンダムで衝撃を受け、その後のガンプラブームにどっぷりとつかりました。
ちょうど中高生の頃に「Zガンダム」や「ガンダムZZ」がオンエアだったので、いわゆる今は無きアニメックなど専門誌で喧喧諤諤と語られていた「ニュータイプ論」を読み、じ自分でも色々と書いたりしていた輩でしたね。
その頃の私にとって、ニュータイプ論というのは、ある種、青年が哲学的な問答に憧れて難しいことを考えることにはまるようなものであったかもしれません。
作品の表面で語られていること、そしてその意味性や意図などを深読みしていくという鑑賞の仕方は「ガンダム」を通じて培われたもののような気もします(面倒くさい見方ですが)。
大学生になった頃に公開されたのがいわゆる「逆シャア」でした。
いい歳をした大人となっていましたが、それだからこそそれまでに自分なりのニュータイプ論的なものがあった上で「逆シャア」を観たのですが、感想としては「はぁ?」という感じでした。
クライマックスで地球に落下しようとしているアクシズをアムロを中心とした多くのモビルスーツが止めるわけですが、これが理解できなかった。
ニュータイプというのはこのような物理的な力を発生することができるものなのか、と。
私の解釈ではニュータイプは人の意識が拡張し、より人と深くコミュニケーションできるようになる能力と捉えていたので、このような物理的な力を発揮するところを描かれた時、理解を超えていたのですね。
もはや超能力者のようだと感じたように思います。
そのあと、急速にアニメーションへの傾倒がなくなったのですが、「逆シャア」はその一つの要因かもしれません。
しばらくアニメから離れていたのですが、再び観るようになったのもガンダムでした。
「OO(ダブルオー)」を何かの拍子で観たら、とてもはまってしまいました。
それまでは宇宙世紀以外は邪道と(観てもいないのに)思っていたのですが、いい作品があるじゃないかと。
最近では「鉄血のオルフェンズ」も秀逸でした。
もちろん「ガンダムUC」も観てましたね。
ファーストガンダムだとやはりニュータイプ論についてはモヤモヤ感はありますが、「UC」はそのあたりを深く掘ってはいないので、それほど違和感は感じませんでした。
そしてこの「NT」です。
まず感想としては非常に「ガンダムっぽい」。
この「ガンダムっぽい」というのはニュータイプ論的な話が再び喧喧諤諤と起きそうな匂いがするのですね。
「UC」の直接の続編なわけですが、作品の匂いとしては「Zガンダム」あたりが似ているような気がします。
全体的に救いがない話でもありますし、台詞回しもそれっぽい(特に敵役となっていたゾルタン・アッカネンのセリフは非常にガンダムっぽかったです)。
「NT」で描かれているニュータイプも今までのニュータイプともちょっと違う。
ファーストでもシャアやアムロが死んだララァと話しているような場面がありますが、あれはあくまで比喩で、自分の意識の中にある彼女と彼らが内面で会話をしていたというように私は捉えていました。
死人と交信しているわけではないということです。
しかし本作ではフェネクスがいわば死んだ人間の意識によって稼働しているように描かれているので、死んだ人間の意識が現実の世界に影響を与えているというややオカルトっぽい要素が出てきているような気がします。
もう私は大人になったので、「逆シャア」の時のように「こんなのガンダムじゃない」と駄々をこねる年でもなくなったので、今は「こういう解釈をしたんだ」というような見方で観ましたが。
なので作品にハマるというよりは割と距離を置いて冷静に観てしまった感じがします。
もはや宇宙世紀の作品はそのような距離感でしか見れないかもしれません。
「鉄血のオルフェンズ」とかのほうが設定が違う分、しっかりと作品世界に入っていけるでしょう。
宇宙世紀についてはこの後もサンライズは作品を展開していく様子です(「閃光のハサウェイ」の予告が「NT」でもかかっていました)。
どんなふうに展開していくのでしょうか、楽しみに見守りたいと思います。

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2018年12月 1日 (土)

「スマホを落としただけなのに」 命の次に大事なもの

現代社会の命の次に一番大事なものといったら確かにスマホかもしれません。
多くの人がそう思っているのではないでしょうか。
今や、手帳にスケジュールを書き込むこともしない、知り合いの連絡先はすべてスマホ、写真などのプライベートな記録もスマホに。
自分に関わる多くのことがスマホの中に入っています。
これを落としたりなどしたら・・・。
ちょっと恐ろしくなってしまいます。
そしてそれを拾った人が悪意を持っていたとしたら・・・ゾゾッ。
その恐ろしさを描いたのが、本作「スマホをおとしただけなのに」です。

<一部、ネタバレ的なところがあります>

ちょっと前に知り合いがFacebookのアカウントを乗っ取られて、なりすましで
「ともだち」にいくつもメッセージを送っていたということがありました。
なりすましは話には聞いてはいましたが、身近で起こるとちょっと薄気味悪くなりました。
乗っ取りの手口はけっこう巧妙で、本作の劇中でもあったようにログインのパスワードまで相手に変えられてしまったということです。
恐ろしい・・・。
あまり使っていないアカウントはそういうことになりやすいようなので(本人に気づかれにくいので)、アカウントを持っているならしばしば使うようにした方がいいかもしれません。

映画としてはシンプルに楽しめるサスペンスとなっていました。
スマホという現代人にとって欠かせないアイテムを中心に事件が進んでいくので、観ている人は自分の身にも同じようなことが起こるかもしれないという恐ろしさを感じながら観ることができると思います。
そういう意味で共感性の高い題材であったと思います。
また後半はサイコスリラー的な要素やミスリードや入れ替わりトリックなどミステリー要素もあり、サスペンスとしても素直に楽しめます。
ただそれほど複雑なことをしていないので、ミステリーに馴染みがない方でも楽しみやすいかと思います。
北川景子さんは当然前から知っていていくつも作品は観ていてはいるのですが、綺麗だなと思うことはあっても、すごく演技がうまいという印象ではありませんでした。
しかし、本作の中での恐怖表情はなかなかのものであったと思います。
もともと美人であるからこそ、すさまじい恐怖に襲われているときの表情が落差があっていい。
とてもホラームービーに向いている女優さんなのではないかと思いました(褒め言葉です)。
成田凌さんは今までほとんど作品を観たことがなかったのですが、サイコな犯人役はぶっ飛んでいてよかったです。
ほんとにアブナイ奴っぽい臭いがプンプンしていました。
北川さんにしても成田さんにしても、ふつうの邦画としてはくどい演技ではあると思うのですが、非日常であるホラー、サスペンス映画としては合っていると思います。
特に本作は日常的なパートがほとんどで後半で急にサスペンス色が強まるので、非日常的な落差を強調するためにも二人の演技はマッチしていると感じました。

ちなみに個人的にはスマホの中だけにしか様々なデータを置いておくと、無くしたり壊したりしたときにほんと死ぬほどがっくりくるので、多くのデータはクラウド上に置くようにしています。

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「GODZILLA 星を喰う者」 文明は何のために存在しているのか

いわゆるアニゴジシリーズ第3作にして最終章となる「GOZILLA 星を喰う者」です。
このシリーズはゴジラを扱いながらも従来の特撮とは異なった解釈で人を超越するゴジラという存在をハードSFテイストで描いています。
また脚本が虚淵玄さんが担当しているので、ある種、哲学的であり、また一面無情なテイストがあります。
虚淵さんのテイストに慣れている人にとっては馴染みのある感触ですが、初めての方は少々面食らうかも知れません。

1作目、2作目と見てきてこのシリーズは何をテーマにし、そしてどこに帰結するのかということが全く見えませんでした。
これら2つの作品ともにラストは鑑賞前に予想していた展開とは全く異なる方向に物語は転がっていきました。
そういう点においては3作目である本作も同様です。
しかし、シリーズをすべて見終えるとこれら作品のテーマが浮かび上がってきます。
それは「人間は、そして文明は何のために存在し、生きていくのか」です。
虚淵さんらしいテーマであると思いました。

エクシフはその発達した超科学により、未来を完全に予想することができるようになりました。
彼らの結論は宇宙は有限であり、それゆえ生命がどんなに栄えているように見えても、いずれは必ず滅んでしまうというものでした。
これは何を意味するのか。
いや、これをどう受け止めるのか。
初めてこの結論に達したとき、エクシフたちは大きな絶望と直面することになったのでしょう。
この結論は自分たちが存在することの意味は何もなく、宇宙の行く末にもなんら影響を与えられないということですから。
存在意義を否定された彼らは、そのままでは終わりません。
いや、終われなかったのかもしれません。
彼らは自分たちが存在していた意味を自ら作り出します。
自分たちとは異なる次元にいる存在、神とも呼べる存在であるギドラと接触することを彼らの超技術で可能とし、その神に自らを捧げることで自分たちの存在意義を作り出したのです。
彼らは自ら神を作ったと言えます。
その後、彼らは宇宙を放浪し、数知れない生命・文明を見てきました。
そしてそれらがいずれは自らの文明を滅ぼすほどの存在を生み出してしまうことを知ります。
人類にとってはそれはゴジラであるし、ビルサルドにとってはメカゴジラであるのでしょう。
文明はいずれ自らを喰らうモンスターを産み、そして最終的には神に喰らわれる。
これがエクシフの生命観であり宇宙観となっていったのです。
しかし、すべての生命がいずれ滅びることになったとしても、すべての生命・文明が無意味であったのでしょうか。
エクシフは結果こそがすべてと考えているように思えます。
しかし、滅びるのが運命としても、そこに至る過程のすべてがすべて無駄であったとは言い切れません。
生命が生まれ、文明を発展させる過程の中で、人々は確かに笑い、喜び、幸せな時を過ごしたわけです。
それが無駄であるわけはありません。
ハルオの生命が引き継がれていくように、生命の営みは連綿と続いていく。
その過程こそに意味がある。
文明は必ず滅ぶ。
そうであるなら存在する意味がないのか。
人は必ず死ぬ。
そうであるなら生きることは意味がないのか。
そうではありません。
生まれてから死ぬまでの過程、すなわち人生こそに意味ある。
そうであるならば文明もその過程にこそ意味があるのだと思います。
人生も山谷があるように、文明にも滅びに瀕する時がある。
それを乗り越え、繋いでいく過程こそが重要なのです。
いつかは文明も滅びる。
だから意味がないとは言わせない、言わせたくないとこの作品は訴えているように感じました。

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