「ワンダー 君は太陽」 コンプレックスの克服
主人公のオギーは生まれつき顔の形が変形しているという病気で、何度も手術を繰り返し受けていたため、ずっと学校に通ったことがありませんでした。
しかし容体が安定してきたため、彼は初めて学校に通うことになりました。
奇異なものを見る目で見られることへの恐ろしさ、ひとりぼっちになるかもしれないという不安、そんな気持ちを持ちながら、初めておギーは学校に足を踏み入れました。
案の定、当初はクラスメートからいじめを受け、彼は孤独感に苛まれます。
オギーは学校にはいっていませんでしたが、母親からしっかりと家庭学習を受けていたため、見た目以外は他の子供たちと能力は何ら変わりません。
それどころか、サイエンスについては強い関心があり、他の子供たちよりも優秀なくらいです。
どうしても人は他の人を見た目の印象で判断してしまいます。
肌の色や、見た目の年齢、美醜やスタイルなど、そんなことは人間本来の価値ではないはずなのに。
オギーの周りで起こる出来事は、少なからず我々大人たちの世界でも日常的に起こっていることでもあります。
オギーは周囲の態度に憤慨したり、落ち込んだりしながらも、徐々に自分らしさを出していき、周りに認められ、友人ができていきます。
友人となるジャック・ウィルは劇中で「はじめはギョッとしたけれど、そんな見た目はずっといれば慣れてくる」と言っていました。
見た目ではなく、その人の本質が見れてくれば、本当の友人となる人はその本質をこそ好きになるのですよね。
我々も人の本質を見るようにし、また自分の本質を素直に出して行くことを心がけていくべきなのでしょう。
オギーにとってとてもよかったのは、家族の皆がオギーのことを心底愛していて、彼の全てを認めてくれていること、そして先生たちも彼の味方になってくれたことです。
やはりサポートをしてくれる周囲の人々の理解は欠かせないものであると思います。
また本作で良かった点は、オギーの視点だけでなく、姉のヴィア、ヴィアの親友のミランダ、オギーの友人になるジャック・ウィルの視点でも語られていたことです。
オギーの事例はとても極端な例で、ややもすると特殊な状況における感動物語となってしまう可能性もあったかと思います。
けれどもオギー以外の彼らの視点が入ったことにより、本当に普通の子供たちも自分自身が持つコンプレックス(大きい小さいに関わらず)に悩み、周囲とうまくやれないことに苦しんでいることが伝わってきました。
例えば、オギーの姉のヴィアはとても良い子で、弟の特殊な事情のため、親たちの関心が全て彼に注がれることがあってもずっと我慢してきました。
けれどもそこに不満があったわけではありません。
彼女も弟のことを愛していたからです。
しかし「弟が太陽ならば、私は月」と言っていたように、親の自分への関心が少ないことは彼女のコンプレックスではありました。
しかし、高校に入り演劇を始め、その主役を務め上げたことにより、自分らしさに気づき、また両親が自分のこともちゃんと愛してくれていたことに気づきます。
ミランダにしても、ジャック・ウィルにしてもそれぞれがコンプレックスを持っています。
この作品は子供たちがそれぞれのコンプレックスを周囲の力を借りながら、克服していく物語と捉えることができるかと思います。
親として感じたのは、子供たちの良いところをなるべく伸ばせる環境を作り、彼らが感じるコンプレックスを克服できるようにさりげなくそして安心できるようサポートしてあげることが大切だということでした。
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