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2018年8月19日 (日)

「インクレディブル・ファミリー」 一粒で何度でも楽しめる

ピクサーの「Mr.インクレディブル」の続編です。
前作は2004年の公開だったので、もう14年も経っているんですね!
監督は前作に引き続き、ブラッド・バードです。
考えてみると「Mr.インクレディブル」は現在のアメコミヒーローブームの先駆けかもしれません。
マーベル・シネマティック・ユニバースが開始されたのは「アイアンマン」からで、公開時期は2008年。
「Mr.インクレディブル」の方が先になります。
ヒーローの存在が法律で禁じられている設定というのは、最近のマーベル・シネマティック・ユニバースでも展開されていますが、全然「Mr.インクレディブル」の方が先でした。
「Mr.インクレディブル」はレトロさを持ったタイツを着たスーパーヒーロー、そして懐かしいスパイ映画の雰囲気、昔からの映画ファンにはぐっとくるアイデアが詰まっている作品です。
そしてただヒーローが活躍する事件を描くのではなく、そのヒーローたちの私生活の部分を描くところが新しくもありました。
「ヒーロー×家庭」という意外な組み合わせが新鮮で、かつ普遍的なテーマでもあり、とても楽しめたのを覚えています。
久しぶりの続編はその基本的な「Mr.インクレディブル」の設定をさらに現代的なテーマを取り入れて、パワーアップしています。
その現代的なテーマとは「女性の社会進出」ですね。
本作を見て思ったのは、日本もアメリカも同じような課題に直面しているんだなということです。
女性が社会に出て働けるようにするには、家事や育児の負担を夫婦でしっかりと協力してやるということが大事です。
それは分かっていて、頑張ってやろうとするのですが、奥さんほどにはなかなかうまくできないのが旦那さんの悩みだということはどこでも共通なのですね。
自分もいろいろやろうとするのですが、奥さんにダメ出しされて凹むときが度々あります・・・。
本作のボブの気持ちにすっかり共感してしまいました。
奥さんが頑張って社会に出て輝いているのを見るのは嬉しい。
けれど自分は、家事もうまくできず疲労困憊で追い込まれてしまう。
これは男だからということではありません。
逆に仕事をしていた女性が子供が生まれて家庭に入ったときにも同じように思うこともあるでしょう。
だからこそ、夫婦で協力して家庭のことを考えるというスタンスが大事なのですよね。
それぞれの家庭の事情もあるので、どういうやり方がいいってことはないとは思います。
けどどういうやり方がベストかを夫婦で話し合うことが大事なのかな。
時々夫婦喧嘩とかがあると、改めてしっかり話すことが大切だと思います。
日々の生活の中で、お互い甘えちゃっていることがありますからね。
ちゃんと理解をするということが大切です。
とはいえ、「インクレディブル・ファミリー」はこういった現代の家庭事情の話だけではありません、もちろん。
そういう内容は別にして、ヒーロームービー、スパイムービー的な楽しみ方でも十分に堪能できます。
さすが「ミッション:インポッシブル」を監督した経験もあるブラッド・バードなので、アクション映画としての見せ方もさすがだと思います。
リニアモーターカーのチェイスシーンとか、最後の暴走する船を止めるシーン(「スピード2」か!)とか、見応え十分。
あと子育て真っ盛りの人も楽しめますよね。
赤ちゃんのジャック・ジャックが可愛い。
無邪気な彼が赤鬼になるところとか、自分の娘もそうなので、思わず笑ってしまいました。
赤ちゃんあるあるです。
社会的なテーマ、アクションムービー様々な側面で、一粒で何度でも楽しめる「インクレディブル・ファミリー」。
さすがピクサー、安定の品質です。

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2018年8月16日 (木)

「劇場版 仮面ライダービルド Be The One」 改めてわかる本編の力強さ

TVシリーズがいよいよ終盤になり、目が離せない展開となっている「仮面ライダービルド」の劇場版です。
「仮面ライダービルド」は一年に及ぶ長期のシリーズでありながら、1クール目から次から次へとどんでん返しが続き、ずっと緊張感のある物語になっています。
最近の平成仮面ライダーはかなり物語的にもビジュアル的にも盛り沢山になって来ていて食傷気味なところもあったのですが、「ビルド」はいい塩梅であるような気がします。
決してシンプルな物語でもないのですが、基本的には戦兎と龍我の二人を軸にストーリーが展開するので、観やすいのかもしれません。
また敵が圧倒的に悪い奴(エボルト)であるのも観やすいポイントかもしれないですね。
敵にも敵の事情があるというストーリーだと、ストーリーも複雑になりがちですから。
出物やキャラクター、またキーアイテムといった要素は多いお話だと思うのですけれど、主人公と敵役がしっかりと軸が定まっているので、「仮面ライダービルド」は安定感がある物語であり、最後まで引っ張る力強さがあるように思います。
というようにTVシリーズはしっかりと軸がある物語なので、劇場版はどうしてもそこからのスピンアウトになってしまいます。
仮面ライダーの劇場版というと、TVシリーズとは関係ないパラレルワールド的なストーリーにするか、もしくは後日談という展開がありますよね。
今回の劇場版はそのいずれでもなく、TVシリーズ本編の終盤に入る物語になります(「仮面ライダーW」の時と同じパターン)。
このパターンは本編との関係性が難しいのですよね。
本編とリンクがある展開にすることも可能ですが(例えば「仮面ライダー電王」の時など)、劇場版を観ないとTVシリーズの方がよくわからない展開になるというのも不親切です。
なので、本編にあまり影響のないサイドストーリーとならざるを得ないのですが、本編が力がある物語になっているとどうしてもサイドストーリー的な弱さが出てしまいます。
先に書いた「仮面ライダーW」の劇場版は、劇場版として独立させてもとても見応えのある作品に仕上がっていたと思うのですが、なかなかいつもこのようにうまくはいきません。
本作「仮面ライダービルド」の劇場版はあまりうまくはいっていなかったかなという印象です。
映画として劇場版がよくできていなかったというつもりはなく、どうしても本編の方が力強すぎて映画の方が傍流感が出てしまった感じですかね。
悪役でブラッド族というものが出て来ますが、凶悪さでいったらTVシリーズのエボルトの方が一枚も二枚も上手。
エボルトが圧倒的な悪役だからこそ、TVシリーズが盛り上がっているとも言えるわけです。
なかなか仮面ライダーたちがエボルトに勝てそうにないという緊迫感がたまらないのです。
そのエボルトに比べるとブラッド族の3人は役不足。
この辺りが本編の力強さに敵わないという理由でしょうか。

気になったのは、次回作「仮面ライダージオウ」です。
平成仮面ライダー20作目、最後の平成仮面ライダーとして、今までのライダーの力が使える究極のライダーとして登場するということは、すでにリリースなどで発表されています。
本作が映像で初登場となるわけですが、なかなかに期待ができそうな感じがします。
節目のライダーといえば10作目の「仮面ライダーディケイド」が思い出されます。
この作品でもそれまでのライダーの力を使えるというコンセプトがあり、また「ライダー大戦」という圧倒的なビジュアルインパクトのあるオープニングで圧倒されました。
今回のジオウ初お披露目となる場面は、その「ライダー大戦」の場面と同じロケ場所でしたね。
そしてそこでも大勢のライダーが戦っている。
これは意味がある場面なのですよね・・・。
「ディケイド」の時の「ライダー大戦」がまた再現されるのか。
「ビルド」のラストも気になりますが、「ジオウ」の初登場の時も気になります。

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「快盗戦隊ルパンレンジャーVS警察戦隊パトレンジャー en film」 TVシリーズをグレードアップ

そして人々と正義を守るために日夜ギャングラーと戦う警察戦隊パトレンジャー。
彼らはそれぞれに信念があり、ギャングラーたちと戦います。
また泥棒と警察官という立場ですから、彼ら同士でも戦うこともあり、ギャングラーと合わせて三つ巴の戦いになることも。
これが物語的にもアクション的にも緊張感を高め、30分の番組でありながら非常にエンターテイメントとして完成度の高いスーパー戦隊となっています。
劇場の監督を務めるのは、TVシリーズのパイロット監督も務めた杉原監督。
「ルパパト」のテイストを作った杉原監督ですので、劇場版もスピーディで見応えのある一本に仕上がっていました。
スーパー戦隊の映画は劇場版とはいえ、尺はほとんど30分程度なので、盛り込む内容が多すぎると破綻しやすいのですが、今回の作品は普通のTVシリーズと同じようなエピソードであったので、コンパクトで観やすかったです。
TVシリーズでは共闘することがあまりないルパンレッドとパトレン1号が一緒に戦うというのが、劇場版ならではの特別感ですかね。
あとTVシリーズでも特徴的であったアクションシーンでの、非常に動きのあるカメラワークもかなり使っていましたね。
これはゴープロとかを使っているのかな?
TVシリーズではこのような場面はやや画面の劣化が感じられましたが、劇場版ではそのほかのシーンと遜色のない画質のように見えました。
機材も奮発しているのかな。
あとロボ戦でも着ぐるみとCGを上手に使い分け、キャラクターのアクションシーンと同様にスピード感の感じられる戦いになっていました。
「ルパパト」は全体的にテンポがスピーディで小気味好いですよね。
劇場版だからと言って特別なことをするのではなく、いいところをグレードアップしている感じがします。
TVシリーズも今後の展開が楽しみです。

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2018年8月15日 (水)

「それいけ!アンパンマン かがやけ!クルンといのちの星」 初の映画館体験

個人的に初めての「アンパンマン」の映画鑑賞。
そして娘にとっても初めての劇場での映画鑑賞。
60分とはいえ、初めての映画館に耐えられるかと心配しながら連れて行きました。
今回はあえて母親はお留守番で、二人で観に行ったので、なおさらドキドキです。
途中で泣き出したらどうしようと心配しつつ、なんとか娘は頑張りました(途中、おやつをあげてなだめすかしましたが)。
とはいえ、本人も楽しんだようで途中では「アンパンマン、頑張れ!」とか言って応援していました。
2歳児も魅了する「アンパンマン」おそるべしです。
私が子供の頃はまだ「アンパンマン」のアニメは始まっておらず、個人的にはちゃんと今まで観たことはありませんでした(仕事でちょっと関係したことがあってキャラクターの知識はあったのですけれど)。
TVの方は最近娘に付き合って観るようになりましたが、だいたい展開は大いなるワンパターンですよね。
バイキンマンが何かしら意地悪なことをし、アンパンマンがやっつける。
基本的に本当に悪いキャラクターは出てこないですから、子供も安心して楽しめる作品です。
バイキンマンは悪役ではありますが、憎めないところがいいでね。
劇場版もTVと同じくいつものアンパンマンのパターンではありますが、映画ならではのテーマもさりげなく提示されていました。
ここが映画版ならではでしょうか(あくまでさりげなくです)。
例えば環境問題です。
今回の劇場版での事件の発端は、バイキンマンが宇宙の彼方に捨てていたゴミが原因でした。
彼はアンパンマンにやっつけられたロボなどのくず鉄をブラックホール的なところに捨てていました。
それが宇宙の彼方にある「いのちの星」を汚してしまったんですね
「いのちの星」はアンパンマンを生み出した素で、その星は毎年アンパンマンのところにやってきます。
その星が今年は真っ黒な星となってしまい、アンパンマンたちの街がそれによって汚れていってしまいます。
自分自身が見えないところにいらないものを捨てたことが、回り回って自分の住むところも汚してしまうことに繋がってしまう。
悪気はないけどわからなければいいや、みたいな気持ちでやったことが大事になってしまうということがさりげなく子供にも伝わるように描かれていたと思います。
またバイキンマンも根っからの悪いやつではなく、ライバル(?)であるアンパンマンのことを実は大事に思っているというところも描かれます。
アンパンマンとバイキンマンが協力して、事件を解決します。
やはり助け合いは大事だということですよね。
「アンパンマン」が多くの親に支持されるのは、このような良心的なテーマを設定しているので、安心して見せられるのですね。
娘の初の映画体験は無事に終わりました。
これからだんだんと映画好きになってくれると嬉しいです。
大きくなっても一緒に映画に行ける関係でずっといたいですね。

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2018年8月10日 (金)

「未来のミライ」 小さいけど大きなの積み重ね

ネットでのレビューはあまり華々しい結果ではないですが、個人的には共感度が高い作品でした。
細田監督の前作「バケモノの子」が公開された時は私には子供がいなかったのですが、現在はイヤイヤ期真っ盛りの2歳児がうちにはいるので、クンちゃんのお母さんとお父さんの奮闘ぶりに思わず「あるある」と頷いてしまったわけです。
クンちゃんのパパが言った「子供って、昨日までできなかったことが、突然できるようになるんだな」というセリフはまさにその通りで、そういう何気ない、けど大きな子供の成長に日々驚いていて、それが子育てのだいご味であると感じている毎日です。
苦労は絶えないのですけれど(クンちゃんのパパのように、ママにいつも怒られています・・・)。
おそらくほとんどの親は子供が成長していく過程で、大変さや驚きや喜びを感じているわけで、そういった方にとって本作は感情移入しやすい作品になっていると思います。
そういう意味でこの作品は今までの細田作品以上にターゲットが絞り込まれている作品で、
共感しやすいのは現役の子育て世代、もしくは子供たちが巣立ってしまった世代ではないかと思います。
今までの細田作品は家族や親子を中心テーマにしつつも、作品としてはスケールの大きなエンターテイメント作品となっています。
「サマーウォーズ」にしても「バケモノの子」にしても、後半は世界を守るための戦いになっていて、エンディングにはカタルシスもあり、単純に誰でも楽しめる作品です。
そのため世代を選ばず、作品も良質であったため、総合的に作品への評価が高かったと考えられます。
それに対して先に書いたように「未来のミライ」のターゲットは今までの作品に比べて狭いので、誰でも同じように共感できる作品ではありません(特に子育ての経験がない方にとってはとても退屈かもしれません)。
本作はタイムリープといったギミックは入っているものの、大きなうねりがある大がかりストーリー展開ではなく、日常的なエピソードの積み重ねが描かれています。
ですので、今までの細田作品のようなカタルシスを期待した方にとっては期待外れに見えるかもしれません。
ただし、ある意味それは挑戦的であると言えるでしょう。
細田監督作品は共通して、監督個人の個人的な経験を元にして、家族をテーマにストーリーを紡いでいます。
彼の個人的経験から感じたことを誰でも楽しめるエンターテイメント作品として仕立て直していたのが今までの作品です。
だからこそエンターテイメントでありながらもエモーショナルな作品になっていたのでしょう。
しかし、本作のテーマは、子供が日々成長していくことへの感動、そしてそれは時代を問わず連綿と人が生きている中で繰り返されているということであると感じます。
ほんとに小さな営みなのですが、そういうミクロで些細な出来事に大きな感動があるということが言いたかったのではないでしょうか。
ですので、あえてあえてカタルシス感のある強いストーリーラインではなく、エピソードを積み重ねていく展開を採用したのではと思いました。
なかなか一般的に受け入れられにくいかもしれませんが、個人的には感じ入るところがたくさんあった作品でした。

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2018年8月 6日 (月)

「ジュラシック・ワールド/炎の王国」 滅びた王国

「炎の王国」という日本語サブタイトルだったので、てっきり火山爆発する島からの脱出劇なのかと思ったら、それはただの前振りだった・・・。
原題は「Fallen Kingdom」なので、訳せば「滅びた王国」となるかと思いますが、この「王国」が何を指すですね。
素直にとれば、前半で大噴火により、大被害を受けてしまった恐竜たちの楽園、イスラ・ヌブラル島のこととなるかと思います。
しかしラストまで見ると、その「王国」は現在の人間の社会であるとも言えるかもしれません。
人間たちの欲望により解き放されてしまった恐竜たち。
彼らは生存本能により、世界に拡散していくことでしょう。
それは生命の頂点として人間が君臨していたこの社会=王国の亡びの前兆であるのかもしれません。
人間が自然を、そして生命をコントロールできると考えるのは、あまりに自然と生命を甘く見ているのかもしれないということですね。
生命は狡猾であり、どこかしらに生き残る道を探し求めるもの。
人間が考えた防御策など完璧であるわけはなく、ほんの小さな隙間を見つけ、生命は生き延び、広がっていく。
それこそ人間の祖先となる哺乳類たちは、多くの恐竜たちが滅んでいく中で、しぶとく生き残ったわけです。
今度は適応できずに滅んでいくのは人間側かもしれません。
そして皮肉なのは適応できない環境を作り出してしまったのは、人間自身なわけです。
次回作があるようですが、そこでは人間と恐竜が共存する世界が描かれるのでしょうか。
それとも人間の世界が「滅びた王国」となってしまったことが描かれるのでしょうか。

作品のテーマとして上記のようなことをつらつら考えてしまったわけですが、単純にエンターテイメント映画として見てもおもろかったと思います。
やはり「ジュラシック・パーク」、「ジュラシック・ワールド」と言ったら、襲いかかってくる最強の生物である恐竜に対して人間がサバイブしていく緊迫感溢れる展開ですが、そちらも本作は健在。
後半のインドラプトルと人間の攻防は見応えありました。

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2018年8月 4日 (土)

「ワンダー 君は太陽」 コンプレックスの克服

主人公のオギーは生まれつき顔の形が変形しているという病気で、何度も手術を繰り返し受けていたため、ずっと学校に通ったことがありませんでした。
しかし容体が安定してきたため、彼は初めて学校に通うことになりました。
奇異なものを見る目で見られることへの恐ろしさ、ひとりぼっちになるかもしれないという不安、そんな気持ちを持ちながら、初めておギーは学校に足を踏み入れました。
案の定、当初はクラスメートからいじめを受け、彼は孤独感に苛まれます。
オギーは学校にはいっていませんでしたが、母親からしっかりと家庭学習を受けていたため、見た目以外は他の子供たちと能力は何ら変わりません。
それどころか、サイエンスについては強い関心があり、他の子供たちよりも優秀なくらいです。
どうしても人は他の人を見た目の印象で判断してしまいます。
肌の色や、見た目の年齢、美醜やスタイルなど、そんなことは人間本来の価値ではないはずなのに。
オギーの周りで起こる出来事は、少なからず我々大人たちの世界でも日常的に起こっていることでもあります。
オギーは周囲の態度に憤慨したり、落ち込んだりしながらも、徐々に自分らしさを出していき、周りに認められ、友人ができていきます。
友人となるジャック・ウィルは劇中で「はじめはギョッとしたけれど、そんな見た目はずっといれば慣れてくる」と言っていました。
見た目ではなく、その人の本質が見れてくれば、本当の友人となる人はその本質をこそ好きになるのですよね。
我々も人の本質を見るようにし、また自分の本質を素直に出して行くことを心がけていくべきなのでしょう。
オギーにとってとてもよかったのは、家族の皆がオギーのことを心底愛していて、彼の全てを認めてくれていること、そして先生たちも彼の味方になってくれたことです。
やはりサポートをしてくれる周囲の人々の理解は欠かせないものであると思います。

また本作で良かった点は、オギーの視点だけでなく、姉のヴィア、ヴィアの親友のミランダ、オギーの友人になるジャック・ウィルの視点でも語られていたことです。
オギーの事例はとても極端な例で、ややもすると特殊な状況における感動物語となってしまう可能性もあったかと思います。
けれどもオギー以外の彼らの視点が入ったことにより、本当に普通の子供たちも自分自身が持つコンプレックス(大きい小さいに関わらず)に悩み、周囲とうまくやれないことに苦しんでいることが伝わってきました。
例えば、オギーの姉のヴィアはとても良い子で、弟の特殊な事情のため、親たちの関心が全て彼に注がれることがあってもずっと我慢してきました。
けれどもそこに不満があったわけではありません。
彼女も弟のことを愛していたからです。
しかし「弟が太陽ならば、私は月」と言っていたように、親の自分への関心が少ないことは彼女のコンプレックスではありました。
しかし、高校に入り演劇を始め、その主役を務め上げたことにより、自分らしさに気づき、また両親が自分のこともちゃんと愛してくれていたことに気づきます。
ミランダにしても、ジャック・ウィルにしてもそれぞれがコンプレックスを持っています。
この作品は子供たちがそれぞれのコンプレックスを周囲の力を借りながら、克服していく物語と捉えることができるかと思います。

親として感じたのは、子供たちの良いところをなるべく伸ばせる環境を作り、彼らが感じるコンプレックスを克服できるようにさりげなくそして安心できるようサポートしてあげることが大切だということでした。

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