「ラプラスの魔女」 これは三池作品なの?
タイトルの「ラプラスの魔女」は、フランスの数学者ラプラスが未来の決定性を表現し、のちに「ラプラスの悪魔」と呼ばれた概念からきています。
これはある瞬間における全ての物質の状態が全てわかり、それを解析できる能力があるのであれば、未来が予測できるというものです。
唱えられた19世紀には概念的なものでしたが、今の時代でしたらどうでしょうか?
様々な事象をデータ化することができ、それを解析できるコンピュータもある。
未来予測はできそうでしょうか?
けれどそれは原理的には無理です。
「ラプラスの悪魔」の概念はいわゆるニュートン物理学に基づくものです。
しかし、現在では不確定性原理により、粒子の場所と運動量を両方とも特定することは不可能とされています。
ですので、どうしても絶対的に確実な未来予測はできません。
特に気象などという様々な要因が絡まる事象では、特定の場所や時間に何かが起こると予想するのは難しいでしょう(「この辺りにこういうことが起こりそう」ということまでは言えるかもしれませんが)。
ですので、未来予測ができるという話には個人的には少々入りづらかったところがありました。
ま、フィクションなのであまりその辺突っ込んでもしょうがないのですけれども。
観に行こうと思ったきっかけは、監督が三池崇史さんだったからです。
三池さんは個人的には好きな監督なのですが、最近の作品ではあまりこれはいいと思った作品がなかったのですよね。
最近の数作品は三池監督らしくはあるのですが、どうも映画としてとっ散らかってしまっている感じを受けてしまっていました。
やりすぎと言われるくらいやってしまうというのが三池監督らしさではあるので、暴走とまとまりのバランスは難しいところではあるのですが。
さて本作ですが、観終わってみると、逆に三池監督らしさというのはほとんど感じられず、寂しい感じがしました。
言ってしまうとなんなのですが、監督名を聞かなければ誰の作品かわからなかったような印象です。
三池監督の作品は名前を聞いていなくても、観れば三池作品であることがわかる印がついてように感じるくらい個性が強いと思うのですが、それがほとんど抑えられていました。
ミステリーですので、あまり監督の個性を出しにくいということもあるのかもしれませんが、そうなるとあえて三池監督を起用した意図も良くわかりません。
主役は櫻井翔さんが演じる青江という地球化学の教授ですが、これも大変存在感がありません。
観客とともに不可能な事象を解き明かして行くというナビゲーターの役割なので致し方ないのかもしれませんが、ラストくらいにもなると、本当にそこにいるだけという感じになってしまいます。
クライマックスの場面では、他の人物たちに焦点が行ってしまっているのでナビゲータ役としても終了してしまっている感がありますね。
主人公なのに。
監督の件も、主役の件も何かチグハグな感じがする作品となっていました。
三池さんにはもっと個性が出せる作品をやってもらいたいです。
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