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2018年3月30日 (金)

「ちはやふる –結び–」 一瞬を永遠に

「上の句」「下の句」ともに好きな作品で、2作見終わってから彼らのその後が見たいと思っていたところでした。
確か映画を公開中に続編を作ることが発表され、公開されるのを心待ちにしてい作品でした。
監督も変わらずなので、前作の良さをそのまま引き継いでいる作品になっており、また題材が百人一首であることを踏まえた良いまとめになっていたと思います。
特に今回印象的であったキャラクターが競技かるたの最高峰にいる周防名人ですね。
比較的熱い思いを持ったキャラクターが多い中で、一人冷静でかつ前向きではない人物で非常に印象に残りました。
彼が異質感を持っているというところもありますが、競技かるたのど真ん中にいるにも関わらず、一人離れた位置に立っているとも言える立ち位置みたいなものからくるのかもしれません。
離れた位置に立っているからこそ、物事の真理が見えているのか、彼が話す言葉には非常に重みがありました。
彼が並外れた「感じ」を持っているのは、特異な超能力のようなものではなく、皆が同じように聞いている音の本質を何もフィルターにかけずに聞いているからなのですね。
人は先入観や思い込みなどで、自然にリミッターをかけて、音を峻別してしまう。
そのリミッターを外してしまえば、音の本質が、そのものが聞こえてくる。
これは音に限った話ではないのでしょう。
自分の能力、自分の未来、いろいろなものに自分でリミッターをかけてしまっている。
そのリミッターやフィルターを外せば、一瞬の時も永遠になる。
限界がなくなる。
それは百人一首そのものが示しているのでしょう。
一千年も前の人の詠んだ歌で、今でもその当時の人々の気持ちがそこにあるように思える。
一瞬が永遠になっている。
これは限界がなくなったということなのですよね。
太一は自分の能力の限界をずっと気にしていました。
彼は勉強もスポーツも万能な男ですが、かるたにおいては天才的な新や千早には叶わないとずっと考えていました。
だから彼らの中に本当に入っていけない苦しさを持っていたのですよね。
しかし、それは彼が彼で設定していたリミッターでした。
彼は周防の言葉によって、自分が設定していたリミッターを外すことができました。
また千早はどちらかというと一瞬に生きていた女の子だったかもしれません。
その時、かるたをやっている瞬間が楽しい。
そのために頑張っている。
しかしその自分の一瞬のために人々が力を貸してくれたことに気づいた。
東京予選で負けそうになった時、その一瞬がなくなることに彼女は愕然としました。
しかし仲間の頑張りによって、その一瞬が続くことができるのだと知りました。
彼女は素晴らしい一瞬を永遠につなぐために、頑張ろうと思うようになったのです。
ラストで彼女がやがて先生となり、後輩たちを指導する立場になり、かるたを引き継いでいこうとしていることが示唆されます。
これは良いラストだなと思いました。
限界を取り払い、一瞬を永遠にする。
それだけの可能性を人は持っている。
ただの青春映画ではないメッセージを持っている気がしました。

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