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2018年3月30日 (金)

「リメンバー・ミー」 家族の絆

最近は数々3Dアニメーションを作るスタジオが増えてきていて、公開数も多いですが、やはりピクサーの作品は別格な感じがします。
卓越した美しい映像の素晴らしさも一段上のような気がしますが、やはりそれだけにとどまらず、非常にエモーショナルであることがピクサーらしいんですよね。
一言で言えば、必ず心を揺さぶられるところがあるということ。
ピクサーの映画が大人にも子供にも楽しめるというのは、そういうエモーショナルな部分も格別であることからだと思います。
本作は家族の絆を描く物語です。
こう書くと陳腐な感じに聞こえるのですが、誰でも何かしら自分の中に経験があるところを感じられると思います。
若い頃は家族の絆とかいうと、何かこそばゆいというか、斜に構えて見ていたところがあるのですよね。
けれど、子供ができたり、最近父を亡くしたりなんていうことがあったりすると、家族というものを考えたりするようになります。
息子と父というのは、成人になって独立してしまうとなかなかしっかりと話す機会はないものだと思います。
別段不仲というわけでもなかったのですが、それぞれが独立して自分の生活があると改めて話をすることもなかったのですよね。
照れ臭かったのもありますが。
しかし、いざ突然亡くなってしまうと、父親は自分に対してどう思っていたのだろうかと考えたりもしました。
いい息子であったのだろうかなどと。
死んだ人と話をしてみたいという人の気持ちもわからなくはなかったしもします(以前は想像もつかなかった)。
そういう意味では、本作の主人公ミゲルは死者の国に行き、記憶にもなかった先祖と一緒に冒険をします。
先祖が何を考え、何を感じていたか、それを知ります。
それは得難い経験ですよね。
そういう思いがあると、それを何かしら繋げていきたいと思うのだと思います。
繋げていきたいという気持ちが絆なのでしょう。
自分の子供にも何か自分なりに思いを残してあげたいと思いますし。
本作のココが父親を思っていた気持ちのように、娘にも思ってもらえたら嬉しいなと。
ココが最後に父親の思い出を語る場面では思わず涙が出てしまいました。

日本語版を見たのですが、ミゲルを演じていた子の歌がうますぎてびっくりしました。
まだ13歳だとか。
凄すぎです。

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「ちはやふる –結び–」 一瞬を永遠に

「上の句」「下の句」ともに好きな作品で、2作見終わってから彼らのその後が見たいと思っていたところでした。
確か映画を公開中に続編を作ることが発表され、公開されるのを心待ちにしてい作品でした。
監督も変わらずなので、前作の良さをそのまま引き継いでいる作品になっており、また題材が百人一首であることを踏まえた良いまとめになっていたと思います。
特に今回印象的であったキャラクターが競技かるたの最高峰にいる周防名人ですね。
比較的熱い思いを持ったキャラクターが多い中で、一人冷静でかつ前向きではない人物で非常に印象に残りました。
彼が異質感を持っているというところもありますが、競技かるたのど真ん中にいるにも関わらず、一人離れた位置に立っているとも言える立ち位置みたいなものからくるのかもしれません。
離れた位置に立っているからこそ、物事の真理が見えているのか、彼が話す言葉には非常に重みがありました。
彼が並外れた「感じ」を持っているのは、特異な超能力のようなものではなく、皆が同じように聞いている音の本質を何もフィルターにかけずに聞いているからなのですね。
人は先入観や思い込みなどで、自然にリミッターをかけて、音を峻別してしまう。
そのリミッターを外してしまえば、音の本質が、そのものが聞こえてくる。
これは音に限った話ではないのでしょう。
自分の能力、自分の未来、いろいろなものに自分でリミッターをかけてしまっている。
そのリミッターやフィルターを外せば、一瞬の時も永遠になる。
限界がなくなる。
それは百人一首そのものが示しているのでしょう。
一千年も前の人の詠んだ歌で、今でもその当時の人々の気持ちがそこにあるように思える。
一瞬が永遠になっている。
これは限界がなくなったということなのですよね。
太一は自分の能力の限界をずっと気にしていました。
彼は勉強もスポーツも万能な男ですが、かるたにおいては天才的な新や千早には叶わないとずっと考えていました。
だから彼らの中に本当に入っていけない苦しさを持っていたのですよね。
しかし、それは彼が彼で設定していたリミッターでした。
彼は周防の言葉によって、自分が設定していたリミッターを外すことができました。
また千早はどちらかというと一瞬に生きていた女の子だったかもしれません。
その時、かるたをやっている瞬間が楽しい。
そのために頑張っている。
しかしその自分の一瞬のために人々が力を貸してくれたことに気づいた。
東京予選で負けそうになった時、その一瞬がなくなることに彼女は愕然としました。
しかし仲間の頑張りによって、その一瞬が続くことができるのだと知りました。
彼女は素晴らしい一瞬を永遠につなぐために、頑張ろうと思うようになったのです。
ラストで彼女がやがて先生となり、後輩たちを指導する立場になり、かるたを引き継いでいこうとしていることが示唆されます。
これは良いラストだなと思いました。
限界を取り払い、一瞬を永遠にする。
それだけの可能性を人は持っている。
ただの青春映画ではないメッセージを持っている気がしました。

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2018年3月21日 (水)

「ブラックパンサー」 手の届く範囲

久しぶりに単体ヒーローでシンプルな作品を観れたなという感じがしました。
たくさんヒーローが出てくる「アベンジャーズ」のようなタイプの映画も楽しいですが、本作のように一人のヒーローの活躍をじっくり見れる作品も良いですね。
ブラックパンサー(ティ・チャラ)は「シビル・ウォー」でマーベル・シネマティック・ユニバースには初登場していますが、主人公となるのは初めて。
本作では彼が父の後を継ぎ、ブラックパンサーとなる過程を描いています。
彼はワカンダ王国の国王としてなるべく育てられた、それにより高潔な精神性と強い肉体を持った男です。
まさにヒーローになるべくしてなる人物で、それがかえって現在のヒーロームービー花盛りの時代においては珍しく見えるかもしれません。
最近のヒーローはヒーローになる、もしくはなってしまったことに葛藤するというタイプが多かったですから。
高潔な精神性と様々なテクノロジーを駆使する財力を持っているという点は、キャプテン・アメリカとアイアンマンを足しているようなイメージでもありますね。
ある意味、ヒーローとしては完璧であった彼ですが、その彼にも課題がなかったわけではありません。
彼は彼の葛藤があり、それが本作のドラマとなります。
彼が守ろうとしているのは、彼の祖国ワカンダのみでした。
彼の一族は人間というものの危険性を知っており、それらから自分たちを守るためにだけ卓越したテクノロジーを使ってきました。
そのためワカンダ王国は長年に渡り、平和な生活を維持できたわけですが、知っての通り外界は戦争や貧困など様々な問題が続いています。
人々を守るために存在するという意識はブラックパンサーは高い。
しかし、その「人々」とは誰なのか。
ワカンダ王国の人々だけで良いのか。
外界には苦しんでいる人々がいるのに。
それらを救う力を持っているのに、救わないのか、と。
ブラックパンサーはその視野を問われるのですね。
最近のスーパーヒーロー映画はヒーローの内面の葛藤を描くことが常道となっていますが、その切り口としては今までと異なる葛藤であったと思います。
自分の手(力)が及ぶ範囲をどこまで広げて戦うのか。
もちろん、その範囲を広げれば広げるほど困難な戦いになることはわかっている。
それでもやろうとする気持ちがヒーローらしいと思います。
次回のマーベル映画は「アベンジャーズ:インフィニティ・ウォー」でそちらにもブラックパンサーは出演します。
戦いの相手は宇宙最大のビラン、サノス。
一気に宇宙規模の戦いになります。
その時にブラックパンサーは何を考えるのか。
自分が守ろうとする人々をワカンダから地球へ、そして宇宙へと広げることができるのか。
そういった視点でも「アベンジャーズ」の次回作を見てみようと思います。

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2018年3月11日 (日)

「シェイプ・オブ・ウォーター」 本当の強さ

ロマンティックでありながらも何か不穏さも感じるギレルモ・デル・トロ監督らしい予告編で魅了されて鑑賞に行ってきました。
20世紀フォックスサーチライトの映画なので、割とマニアックな部類の作品ですが、結構大きな映画館でもかかっていましたね。
そうしたらアカデミー作品賞受賞!
興行的にもかなり期待されていたのでしょうか。
デル・トロらしくオタク心もありつつ、グロテスクさもありつつつ、そしてまたロマンティックでもあるという彼らしさの出ている作品でした。
そういった作品で作品賞を取れたのですから、デル・トロ監督も本望でしょう。
彼の作品では、異形のものへの愛情が溢れています。
「ヘルボーイ」シリーズもヒーローらしからぬ異形のヘルボーイをヒーローとして描いていて、荒々しい外見に関わらず彼は信頼がおける男であり、またガールフレンドのリズへの恋心などには奥手なキャラクターとして描かれています。
そういえば「ヘルボーイ」ではテレパシー能力があり、心優しい半魚人エイブが登場しますが、これがもしかすると本作にも影響をしているかもしれませんね。
デル・トロは普通でないものへの偏愛がある監督ですが、それが普通の人から見ると奇異に見えることを知っているのでしょう。
そういった普通でないものへの世間の懐の狭さも。
本作においては世間の普通とは異なった者たちが主人公です。
主人公のイライザは言葉を話すことができない女性。
もう一人の主役は半魚人です。
その他の登場人物では、イライザの同居人はホモセクシャルの作家、友人は黒人女性。
描かれている時代は昔の時代なので、彼らもいまほどには世間では受け入れられる存在ではありませんでした。
差別的な表現もいくつか描かれます。
彼らを迫害する軍人、ストリックランドは彼らかすれば「まともな男」です。
「まともである」ということは劇中でもしばしば使われてる言葉ですが、これは何か既存の価値観に縛られているということなのでしょうね。
その価値観から外れた外見、行動をしてしまった時、その価値観を重視する社会からドロップアウトしてしまう。
そうすることに常に恐怖を感じているのが、ストリックランドなのかもしれません。
その恐怖が彼の攻撃的な行動に現れているのでしょう。
そういう意味では彼は本当は弱い。
自分が立っている基本が崩れた時、彼はどのように生きていくのでしょうか。
ラストシーンで彼は半魚人に襲われます。
しっかりと描かれているわけではないですが、喉を傷つけられたので、今後は声を出すことはできなくなると思われます。
まさに彼が迫害をしていたイライザや半魚人と同じくなるのですね。
彼はそういった立場になった時、どのように感じるのでしょうか。
その点においてはイライザは強い。
自分の心だけを信じ、行動をする。
目に見えるもの、聞こえるものを信じるのではなく、自分の心がどう感じるのかだけを信じる。
余計なものには惑わされない。
最初は弱者に見えたイライザが最後には最も強い人に見えてきます。
ストリックランドは逆に追い込まれて、もろく崩れそうに見えmした。
人の本質的な強さは、自分の気持ちに素直になり、それを信じることなのかもしれません

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2018年3月 4日 (日)

「空海−KU-KAI− 美しき王妃の謎」 豪華絢爛な映像と異質感のある演技

夢枕獏さんの「沙門空海唐の国にて鬼と宴す」を原作として、チェン・カイコーが映画化した作品です。
原作は随分前に読んだので、細かいストーリーは忘れてしまったのですが、かなりボリュームのある作品であったと記憶しています(厚いハードカバーで4巻くらい)。
なので、映画化する時にはかなりイメージが変わるのではないかと思いました。
この作品の原題「妖猫传(Legend of the Demon Cat)」から受ける印象は、日本のタイトルの「空海」とは異なり、怪しげな猫が引き起こす事件そのものをテーマにしているように思います。
確かに内容もその通りで、空海はその謎を紐解くナビゲーターのような役割になっているかと思います。
その方がボリュームのある原作をまとめるには都合がいいかもしれませんね。
ただ日本のタイトルの印象で身始めるとあまり空海が主役っぽく見えないかもしれません。
空海と白楽天の関係性は夢枕獏さんの作品にある典型的なパターンですね。
例えば「陰陽師」シリーズの安倍晴明と源博雅の関係性が近しいと感じました。
非常に論理的で様々な道理に詳しい安倍晴明と、対照的に己の心に素直に物事を眺めることができる源博雅の関係は、そのまま空海と白楽天の関係に映し出されているように思います。
そういう意味では夢枕獏さんの作品の忠実な映画化作品であるなと感じました。
しかし映像スタイルとしては、非常に中国的で豪華で圧倒的なものになっているので、邦画とはまた異なる感じがしますね。
画面全体がキラキラしている感じと言いましょうか。
また俳優さんの演技のスタイルもちょっと芝居っ気がある感じなのですよね。
京劇の影響とかがあるのでしょうか。
そのようなテイストとしてはあまり得意な方ではなかったので、作品としてはちょっと好きかというとそうでもない感じです。
ただ日本とは異なる感覚を感じますので、そういうところを楽しめばいいのであるのだろうと思いました。
ちょっとひどいなと思ったのは、吹き替えですかね。
有名な俳優さんたちが吹き替えをしていたのですが、あまり皆さんうまくない。
そういうところで人を呼びたいというのはわかるのですが、やはりここは得意な声優さんとかにやってもらった方が良かったのではないでしょうか。
特に向こうの俳優さんの演技が日本とはちょっと違うので、そこに割と平坦な声を当ててしまうとなんか盛り上がらない感じを受けたのですね。
だったら字幕の方が良かったです。
とはいえ、日中合作の大作ですので、これがうまくいって次に続くといいですね。

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