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2018年2月24日 (土)

「グレイテスト・ショーマン」 THIS IS ME


音楽は全く詳しくないのですが、ミュージカル映画は好きという私ですが、予告編でミュージカル映画らしい高揚感を感じた本作を観に行ってきました。
予告編で使っていた「THE GRATEST SHOW」という曲でオープニングが始まります。
うん、ヒュー・ジャックマンがカッコいい。
「レ・ミゼラブル」で彼がミュージカル映画に相性が良いことがわかりましたが、ダンスもきびきびしていて絵になります。
彼が演じるのは、P.T.バーナムという興行師。
全く知らなかったのですが、実在の人物でサーカスという興行を確立させたのが、彼だったのですね。
予告を観た時は、彼が挫折から這い上がり、栄光を手にするアメリカン・ドリームの映画だと思っていました。
もちろん、そういう側面もありますし、また彼の家族愛を描く面もあります。
成功、家族愛といったアメリカ映画の王道のテーマの映画と言えるわけですが、もうひとつ大きなテーマがありました。
それが先に書いたサーカスという場にあります。
サーカスは昔は見世物小屋的な言われ方をし、普通ではない人々(奇形者など)を見せる悪趣味な興行という見方をされていました。
彼らはその見た目から差別され、忌避されていた存在であったわけです。
違うということを白眼視してしまうことは人にはあります。
そしてそのように見られる立場になかなかなることはできません。
自分の目の前に立つなと言われる気持ちとはどのようなものなのか。
自分の存在を否定される言葉や目線に晒される気持ちとはどのようなものなのか。
この映画では他の人とは異なる外見も個性であると言います。
そのような考え方は今、だんだんと浸透してきていますが、まだまだ色々な意見を持っている人がいるテーマであります。
なかなか難しいテーマを選んだチャレンジングな作品であると思いました。
そのような難しいテーマを選びながらも、高揚感を感じ、重苦しくないのは、彼らユニークな個性をもつ人々の気持ちを描いた歌「THIS IS ME」があったからかなと思います。
この歌は、自分たちが他の人とは異なることを自分らしさと認め、それに恥じることなく、堂々と生きていくという気持ちを歌い上げたものです。
この歌は非常に堂々としていて、自分自身を認める気持ちというのは、だれでも共感できるのではないでしょうか。
誰でも人とは違う、人より劣っていると思い、くよくよすることはあるかと思います。
けれどもそれでもいい、そういう自分も認めてあげるという気持ちは非常に前向きなんですよね。
これが多くの人に共感を呼んだポイントではないかと思います。
違う人を哀れむとか、差別をしてしまってはいけないという視点で語るのではなく、みんなが自分のことのように感じることができるこの歌の力は強かったと思いました。
バーナムの描き方も一つ間違うと金儲けのために奇形者を利用する山師的なものに見えてしまいそうですが、そのような人物には見えなかったですね。
彼は確かに成功を求める男でしたが、ただそれだけに純粋に成功を求めていたから、彼らユニークな人々も同等に扱っていた。
途中成功に酔い、それを忘れてしまった時期もありましたが、彼は失敗を通じて学びました。
彼も出身により差別された男でもあったわけです。
だから自分自身だけを信じ、がむしゃらに突っ走った。
そういう意味ではサーカスのファミリーとバーナムもいっしょなわけですね。
おそらく誰でもコンプレックスなり、引け目なりがあるのだと思います。
しかし、それこそが個性、それこそが自分と認めることが前向きに生きていくことにつながるのかなと感じました。

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2018年2月 5日 (月)

「スリー・ビルボード」 怒りと後悔と

DVな夫と別れ、二人の子供を育てている母親、ミルドレッド。
ある日彼女の娘、アンジェラがレイプされた上に殺されてしまう事件が起こる。
所轄署が事件を捜査するものの、操作は進展しない。
半年以上経った時、ミルドレッドは道路沿いの3枚のビルボードに署長ウィロビー宛の広告を掲出する。
その広告がミズーリの田舎町に様々な波紋を引き起こす。

ミルドレッドは娘が殺された日に、たわいもないことで喧嘩をする。
売り言葉に買い言葉。
ティーンの娘を持つ母親なれば、誰も経験があるような口喧嘩だ。
しかし、言ってしまった言葉にミルドレッドはその後、激しい後悔をする。
自分があんなことを言ってしまったから、悲劇が娘に起こってしまったのかもしれない、彼女はそのように思ったかもしれない。
いたたまれない、そんな自分自身への怒りを、彼女は何かに向かって吹き出さずにはおられなかったのだろう。
その怒りは事件を解決することができない警察へ向いたのだ。
しかし警察の署長は業務怠慢なわけではなく、むしろ住民に愛される善人であった。
そして彼は癌を患い、死を目前にしていた。
ミルドレッドの容赦のない攻撃は、署長に味方する人々の怒りを引き起こす。

「怒りは怒りをきたす」という言葉が劇中で引用される。

まさにミルドレッドの自己への怒り、そしてそれが翻った他社への怒りが、また他の者の怒りを引き起こしてしまう。
例えば、警官のディクソンのように。
彼は親愛する署長を攻撃するミルドレッドに敵意を燃やす。
そのような中、ウィロビーは自死をしてしまう。

ミルドレッドは自らが断罪したウィロビー署長の自殺と彼の手紙によって、自分の怒りを見つめ直す。
またディクソンは自らが怒りに任せて広告業の男レッドを突き落としたことを、自分が炎で焼かれ、憐れみをかけられた時に悔いる。
彼らが感じているのは後悔だ。
怒りに任せて振る舞った自分の行為に対する後悔。

けれど怒りの炎は己では完全には消す事はできない。
なぜなら後悔がまた自己への激しい怒りを生んでいるからだ
怒りが怒りを産み、後悔をもまた生む。
そして後悔が怒りを生む。
まさに怒りは怒りをきたす、だ。

同じような怒りと後悔を持った二人が最後に行く道を同じくするのは、必然であったのかもしれない。

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