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2017年12月28日 (木)

「カンフー・ヨガ」 点心×カレーライス

タイトルからしてビデオリリース作品的な突飛な感じがするので、普通でしたらスルーするところですが、ジャッキー出るからなあ。
世代的にはバッチリとジャッキー・チェンの洗礼を受けているので、彼の作品となると観に行きたくはなります。
また社会人になった頃、インド映画ブームがあっていくつか観たのですが、ダンスと歌のハイテンションなノリにしばらくはまっておりました。
そういうことで、カンフーとヨガという異色の組み合わせ、いわば点心とカレーライスを一気に頼む的な欲張り気分で観にいってきました。
最初のハードルを思いっきり下げていったので思ってたよりはちゃんとしていたという印象です。
監督はベテランでジャッキーと何度も組んでいるスタンリー・トンですから、ちゃんとまとめあげていました。
点心(カンフー映画)とカレー(インド映画)のミックスという印象なのだろうと思っていたら、さらに「インディ・ジョーンズ」や「ワイルド・スピード」的な調味料もふりかけてありました。
ジャッキーたちが探そうとしている宝物の隠し場所の仕掛けはほぼ「レイダース」と一緒。
「パクリじゃーん」と思ったら、ジャッキーが「I love Indiana Jones」と言っていました。
ほぼ確信犯ですな。
考古学者という設定も丸かぶりです。
ドバイでのカーチェイスシーンは「ワイルド・スピード」のようにスーパーカーが勢ぞろい。
パトカーまでスーパーカーなので、「そんなバカな」と思ったら、実際のドバイでもランボルギーニのパトカーがあるそう。
逃走者もスーパーカーの可能性もあるから、パトカーもそうでないと務まらないのかな?
日本とレベルが違う。
字幕版で見ましたが、彼らが話している言葉は中国語、ヒンドゥー語、英語と国際色豊か。
ジャッキーもインドの俳優さんもしちゅえーしょんごとに話す言葉を変えていて、何気にグローバル感が漂っています。
英語もアジア人の彼らが喋っているので、欧米系の俳優さんたちよりは日本人としては聞き取りやすかったです。
中国、インドの双方の文化へのリスペクトも感じられたので、バランス感覚がよかった感じもしますね。
この辺りは国際都市香港出身のジャッキー・チェン、スタンリー・トン監督の感覚なのかな。
正月映画としてあまり何も考えずに観るのにはいいかもしれないですね。

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2017年12月24日 (日)

「スター・ウォーズ 最後のジェダイ」 ジェダイとは何か?

<ネタバレ要素があるのでご注意です>

「スター・ウォーズ」シリーズにおいて欠かせない「フォース」そして「ジェダイ」という存在について、やや哲学的であるにせよルークの口からしっかりと語られていたと思います。
私の解釈としては、「フォース」は世界を作り上げている「理(ことわり)」のようなものであると感じました。
その理とはモノとモノとの物理学的な関係性だけにとどまらず、出来事の因果や運命といったものも含まれるもののように思います。
そしてその理を感じることができ、そしてそれに何かしら影響を与える力を持っている者が、「スター・ウォーズ」世界においては、ルークなどの「ジェダイ」であると言えるでしょう。
しかし、フォースを扱える者=「ジェダイ」であるわけではないということです。
これも個人的な解釈になるのですが、「ジェダイ」という存在は武道で言う所の「○○流」といったような意味合いであると思います。
フォースを正しく扱う力を身につける技術体系を継承していく流派が「ジェダイ」ということではないでしょうか。
師匠と弟子という関係性でジェダイという組織が成り立っているということもその考えを補足すると思います(Ⅰ〜Ⅲなどの過去作で「ジェダイ」が和風テイストであったのも武道の一流派というイメージを想起させます)。
ルークが「ジェダイが滅びることでフォースがなくなることはない」と言った意味はここにあると思います。
あくまで「ジェダイ」は「フォース」を正しく扱う一つの流派な訳です。
「ジェダイ」の対極にあるのが「シス」というわけですね。
「シス」は「フォース」を暗黒面で使う流派というわけです。
「スター・ウォーズ」シリーズはⅠ〜Ⅵまでいわばスカイウォーカー家の歴史とも言える物語となっています。
そのためにスカイウォーカー家の者が「フォースを操れる者」の第一人者というイメージが強くなっていますが、決してそうではありません。
マスターヨーダとか、オビワンとかもスカイウォーカー家ではないですから。
今回、新たな3部作の主人公であるレイがスカイウォーカー家と縁もゆかりもないことが明らかになりました。
それはそれで衝撃的な事実ですが、それゆえに「フォース」がスカイウォーカー家の特別な力ではないということが明らかになりました。
それゆえに「スター・ウォーズ」シリーズはスカイウォーカー家の縛りから解き放たれたとも言えます。
今後新たに「ジェダイ」に変わるライトサイドのフォースの力を操る者が登場してくるかもしれません。
物語の世界が一気に広がり、スピンオフなども作りやすい環境になったと思います。

スペースオペラ作品としては、前回の「フォースの覚醒」の方が上だった感じがします。
今回はルークの話、レイの話、反乱軍の話など複数の物語が並行して語られるので、仕方がないかなとも思うのですが、スペースオペラ映画としての爽快感は前作に及ばない感がありました。
とはいえ、上記のような「フォース」についてしっかり語られることも今まではなかったので、「スター・ウォーズ」シリーズとしては重要な節目の回であったと思います。
ルークの最後も穏やかで良かったと思いました。
彼が最後を迎える星では太陽が二つあり、一つが雲に隠れ、もう一つが雲から現れるという描写がありました。
これはルークの時代が終わり、それをレイが引き継ぐことを暗示しているのでしょう。
彼にフォースが共にあらんことを。

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「探偵はBARにいる3」 男は女を理解できない

最近の邦画では珍しく作り続けられているシリーズですね。
和風なテイストではありますが、ハードボイルドな物語であることも昨今の中では珍しい。
本作の「探偵」のようなハードボイルドな男は最近ではあまり見かけませんが、だからこそこういう生き方もカッコいいと思ってしまいます。
ハードボイルドだけなのではなくて、それを押し切れない情けなさみたいなところに共感性もあったりします。
ススキノにあるバー「ケラー・オオハタ」にたむろする「探偵」のところに謎の美女からの依頼がやってくるというのが、このシリーズの基本的なフォーマット。
女は悪女なのか、それとも聖女なのか?
女というものはその間を自由に行き来することするから、男は翻弄されますよね。
男というのは不器用なもので、ハードボイルドな生き方しかできないといったように、自分のスタイルというものにかえって縛られてしまうものです。
だから女のことを理解することはできない。
この作品でも「探偵」は女に翻弄されます。
過去、自分が言ったことで生き方を変えた女に。
ハードボイルドなだけに女に振り回されてしまう「探偵」に少なからず、男は共感してしまうものですよね。
今後もこのフォーマットを守っていけばいくらでも話を作っていけそう。
あとはコンビを組む高田くん。
予告では彼と「探偵」のコンビが解消されてしまうような感じが漂っていましたが、やはりそういうことはなく。
やはり高田と「探偵」は無二のバディですよね。
このバディというのも一つの大事なフォーマットです。
フォーマットを大事にしながらも、新しい事件が巻き起こっていく。
これがこのシリーズが続いていくコツなのでしょうね。
以前のシリーズに登場した人物もさりげなく絡んでくるところもシリーズの魅力となっています。
今後もこのシリーズには期待していきたいと思います。

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2017年12月16日 (土)

「仮面ライダー平成ジェネレーションズFINAL ビルド&エグゼイド with レジェンドライダー」 シリーズファンとして満足度高し

今年の冬の仮面ライダー劇場版は久しぶりに公開第1週目のランキングが1位だったとか。
最近のライダー映画はやや苦戦が続いていたと聞いていたので、ファンとしては嬉しい限り。
それも納得な作りでした。
昨年の冬の劇場版も良いできであったのですが、それには理由があります。
冬の劇場版は「ディケイド」以来、その時の現役ライダーと一昨前のライダーの競演というフォーマットとなり、それにその前のライダーも絡んでくるというのが最近の定番となりました。
このこと自体は「仮面ライダー」ファン向けのお祭り映画であるので構わないのですが、過去ライダーが出てくれば出てくるほど、その扱いはちょっとした客演くらいな扱いになってしまうのが残念なところでした。
やはりそれぞれのライダーにはそれぞれのライダーの物語があるわけで、そこを大事にしてほしいというところがファンとしてはあるわけです。
しかし、昨年の冬の劇場版では登場する過去ライダーのウィザードやドライブにも、彼ららしい役割が与えられていて、そこが満足度が高かった理由であったと思います。
そして今年の冬の劇場版では、タイトルに入っているビルド、そしてエグゼイドに加え、オーズ、フォーゼ、鎧武、ゴーストが登場します。
今回についても過去のライダーたちにもそれぞれの物語を経て数年たったという描き方になっており、彼らのシリーズが好きであったファンも満足できるものになっていると思います。
またそれぞれのライダー役を演じていた俳優陣もしっかり素面で登場しているところもよかったですね。
過去ライダーが登場するときはスーツだけっていうのも過去には多かったですから。
「仮面ライダー」出身の主演俳優はその後ブレイクする方も多く、なかなか登場が叶わないので、かなりスタッフの方達も頑張ったのではないかと思います。
「フォーゼ」の如月弦太朗役の福士蒼汰さんなどは結構難しいかなと思ったのですが、いやいやどうしてあの時の弦太朗の雰囲気そのままで驚きました。
それぞれのライダーのアクションシーンで流れるBGMもその時のシリーズで使われていた音楽が使われていて、否が応でもファン的には盛り上がります。
今回の監督は平成「仮面ライダー」シリーズの助監督をしていた堀内佳寿也さんなので、それぞれのライダーに対する愛情が感じられました。
現在オンエア中の「仮面ライダービルド」も個人的には久しぶりに毎週楽しみな作品になっています(昨年の「エグゼイド」は複雑すぎてやや冷めてしまっていました)。
劇場版も含めて復活の兆しのある平成「仮面ライダー」シリーズ、元号が変わったとしてもこの調子で今後もいい作品を作っていってほしいです。

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2017年12月15日 (金)

「オリエント急行殺人事件(2017)」 原作を読んでいても楽しめる

アガサ・クリスティーのミステリーは大好きで、もちろん原作も読んでいます。
この作品の結末は実に驚くべきもので、初めて読んだときはポアロの謎解きの内容にひっくり返りそうになった覚えがあります。
驚くべきところは、謎の答えは非常にシンプルでありながら、(それゆえに)それまで誰も思いつかなかったというところでした。
ミステリーの謎解きというと、複雑な仕掛けがあったりというイメージがありますが、単純な答えこそ人は見逃しがちであるということがわかります。
「オリエント急行殺人事件」以降は同じような答えのミステリーを誰も書けなくなるほどのものであったと思います。
それだけオリジナリティのあるアイデアでした。
アガサ・クリスティーは他にも「アクロイド殺し」など、驚くべきトリックが仕掛けられている作品がいくつもあるので、この映画を観てミステリーに興味が出た方は、手にとってはいかがでしょうか。
(「アクロイド殺し」はその仕掛け上、映画化は難しそうですが・・・)
結末を知っているので、映画を楽しめなかったかというと、そんなことはありませんでした。
「オリエント急行殺人事件」は以前にも豪華キャストで映画化されていますが、本作も出演者は豪華でしたね。
主人公の探偵「灰色の脳細胞」を持つエルキュール・ポアロはテレビシリーズのぽっちゃりなイメージが強く残っていたのですが、ケネス・ブラナーが演じるポアロもなかなかに良かったです。
ポアロはやや偏執狂的にきっちりとした人間で、だからこそ人が見逃しそうな些細な違いにも違和感を感じ、それを手掛かりにして論理的に推理を組み立てていくというアプローチをしていきます。
最近でも古典と言えるくらいに古くなったクリスティーの作品ですので、ポアロのことを知らない人も多いかと思うのですが、オープニングのエルサレムのくだりで彼の性格が簡潔に描写されていました(卵の大きさが揃っていないと気に入らないという場面)。
また彼はベルギー人であり、彼の活躍の場となるイギリスでは異邦人ということになります。
そのためか、非常に客観的な立場の目線で事件を見ることができるわけですね。
この辺りはクリスティの設定の妙でしょう。
他の出演者もまさに主役級を集めていると言ってもいいですね。
ジョニー・デップ、ミッシェル・ファイファー、ペネロペ・クルス、ジュディ・ランチ、ウィレム・デフォー、そして「スター・ウォーズ」のレイ役で注目を集めたデイジー・リドリー。
誰が犯人でもおかしくないというところがミソになるので、やはり登場人物もこれだけ豪勢でないとこの作品は成り立ちません。
以前に読んでいて結末は知っていたとはいえ、細かい部分は忘れているので、観ていて素直にハラハラしました。
最近は本格ミステリーの映画は少ないので、堪能できました。
ラストではポアロがエジプトに呼び戻されるようなところで終わりました。
「ナイル殺人事件」に繋がったりして・・・と思いましたが、本当に作るらしいですね。
本作のヒットを受け、そのようなことになったようです。
ケネス・ブラナーのポアロは良かったので、再び彼でやってくれるといいなあ。

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2017年12月 6日 (水)

「鋼の錬金術師」 等価交換の法則

公開前に試写会で観た知人の評価はイマイチ。
原作とのイメージが違うというのが理由でしたが(特にヨーロッパ的な設定なのに全員日本人というところ)、自分は原作を全く読んでいないのでフラットな気持ちで鑑賞しました。
原作を読んでいなかったからか、事前に期待しすぎていなかったからか、結構楽しめました。
日本人が演じているというのも、それほど気になりませんでしたね。
よほど「進撃の巨人」の方が気になった(苦笑)。
曽利監督なのでCGバリバリで作り物めいた感じに仕上がっているのかなと思っていたら、意外にもナチュラルな感触の画だったように思います。
冒頭の街のシーンなどで海外ロケで本当の街並みが出ていたので、そういう自然な空気感が出ていたのかもしれません。
CGはかなり使ってはいましたが、そのような空気にうまく馴染んでいたと思います。
海外でも日本でもファンタジーでCGを使いすぎて、作り物感というか、箱庭感が出てきてしまっている作品も見受けられますからね。
上手にCGを使っていると思いました。
原作の数巻分をまとめて一本の映画にしているようですが、うまくコンパクトにまとめられていたと思います。
エドたち、軍人たち、そしてホムンクルスたちの三つ巴で、それぞれがそれぞれの思惑で動き、ストーリーが展開していきますが、複雑さが程よいバランスでした。
観ていてストレスがなく、気軽に楽しめます。
「等価交換の法則」というのは「鋼の錬金術師」の特徴的な設定だと思いますが、この設定がうまく機能していました。
何かを得るには何かを失わなければならない。
古来、錬金術とは価値のないものから価値のあるものを生み出す試みのことでした。
いわば無価値から価値を生み出すのが錬金術なわけですが、この物語においては得たい価値と同じ価値のものを差し出さなければ得られないというのが、面白いです。
錬金術によって生み出される無機物から生み出される人工生命をホムンクルスと言いますが、この物語においてはやはり生命を生み出すには生命を犠牲にしなくてはいけないということとなります。
それではどの生命が無価値で、どの生命が価値があるのか、という難問にエドたちは向かいあることとなるのです。
結局その答えは出せずに保留となるのですが、これは答えを出すことはできない問題であり、それを出さないということも一つの答えにも思います。
それほどに生命というものは価値があり、無価値なものはないということなのかもしれません。
エドとアルの兄弟の互いへの思いなどについても見所でありました。
後半にあった二人の盛大な兄弟喧嘩も良かったです。
近くにいても思いが通じあいにくいこともあります。
それが一気に噴き出して、正直に自分の気持ちを言って、ようやく伝わる。
近くにいるからこそ伝わりにくく、だから時々正直に言える時間も必要だなと思いました。
2作目もありそうな雰囲気で終わりましたが、どうでしょうか?
個人的には続きを観てみたいと思いました。

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