「メアリと魔女の花」 科学の暴走
「借りぐらしのアリエッティ」「思い出のマーニー」の米林宏昌監督の最新作です。
スタジオジブリが制作部門を閉じたため、新たに設立されたスタジオポラックという制作会社によって作られています。
米林監督は宮崎監督に認められたアニメーターだけあって、本作品も手描きアニメの味わいが感じられるテイストになっています。
「思い出のマーニー」よりはエキサイティングな印象を持ちました。
「魔法」と「科学」という概念は対立したものと語られることが多いのですよね。
科学は論理的であって未来的、魔法はオカルティックで非論理的であるといったように。
しかし、魔法というものはその現象が起こる理由が「今は」解き明かされていないものであると考えることもできます。
SF作家アーサー・C・クラークの言葉に「十分に発達した科学技術は、魔法と見分けがつかない」という言葉があります。
つまり十分な科学に関する知見がなければ、科学も魔法に見えるということとも言えます。
逆に言うと魔法でも科学とは違う論理で体系化できるものとも言えます(魔法の論理がわからない人から見れば、魔法以外のなにものでもないわけですが)。
この物語で描かれている魔法は、我々の科学とは異なる論理で体系化された科学なのですね。
だから魔法使いであるマンブルチューク校長と魔法科学者ドクター・デイが共同で「変身魔法」を研究しているというのも納得できるわけです。
本作品の世界(というよりエンドア学園)において、「魔法」は「科学」であると言えます。
つまりこの物語の中の魔法は我々の科学技術の象徴と言えます。
ラストでピーターにかけられた変身魔法が暴走してしまうときマンブルチューク校長の「溶け出ていってしまう!」といった叫びがあったと思いますが、これは原発のメルトダウンの比喩であると想像できます。
すべての魔法を使うことができる者を生み出す究極の変身魔法は、究極のエネルギーと言われた原子力を象徴しているように思われます。
また動物たちやピーターを使った変身魔法の実験は、遺伝子操作を思わせるようなところもあります。
遺伝子操作についての技術は日々進んでいますが、そのリスクがすべて明らかになっているわけではありません。
科学を進化させ究極を求めるあまり、それによってもたらされるかもしれないリスクに関して、科学者が無関心であることへの警鐘を鳴らしている作品と言えるかもしれません。
「科学技術」の暴走というテーマは、宮崎駿監督の作品でもいくつかで語られる話です(「未来少年コナン」「風の谷のナウシカ」等)。
そういう意味で米林監督はジブリの正当な後継者と考えられますね。
しかし、宮崎さんもまた新作を作るという話が出ているようです。
こちらはこちらで気になりますね、
| 固定リンク
コメント