「ハクソー・リッジ」 信念を貫く
いくら自分なりの考えを持っていようと、報道や社会の大きなうねり、周囲の人々の意見などによって、容易に流される。
むしろ流されることの方が多いと思う。
選挙などで雪崩を打ったように一方の勢力に票が入ることもあるし、または誰かへのバッシングなども一気に高まることもある。
社会の空気とか、うねりとかそういう見えない力があって、それに抗うことはなかなかに難しい。
特に戦争などといった状態であれば、さらにそうだ。
後から歴史を紐解けば、なぜそのようなことになったのだろうと思うことがあっても、その時に生きる人々、社会の中においては、大きなうねりに逆らうことは困難なのだろう。
本作「ハクソー・リッジ」では第二次世界大戦の激戦の中でも決して銃を取らず、人の命を奪わず、衛生兵として人を救い続けたデズモンド・リズの物語である。
戦場においては人の命を奪うことというのは兵士にとっては避けられないものである、ということは多くの人の理解であろう。
戦争という事態が良いか悪いか別にして、そういう状態になった場合、兵士の役割を否定できるものではない。
しかし、デズモンドは兵士が国を守るために戦い、人を殺さねばならないことそのものは否定はしないが、自分自身は人を殺すことを拒絶する。
人によってはそれは虫が良い話に聞こえるかもしれない。
けれども彼は自分の命をかけて、戦場に赴き、人を救おうとする。
己だけ人を殺すことの禁忌を避けているようにも見えなくはないが、彼が歩もうとする道もまた簡単なものではない。
多くの人の非難、奇異に見る目を受け、自分の信念を貫き通す。
彼の信条自体が良いか悪いかという議論は置いておいて、強い社会のうねりがある中で、それとは異なる自分の信念を貫くというのが、いかに困難であるかは容易に想像がつく。
これは戦場という場の話だけではないと思う。
東芝事件にしても電通事件にしても、社内で問題がある行為を許容する空気ができていた場合、それに一人の社員が異を唱えることがいかに難しいかがわかるだろう。
そう考えるとデズモンドが自分の信念を守るということに対して、強い胆力を持っていたということが実感できる。
さらに当時においても米軍はそういった一般の兵士とは違う価値観を持つ者(良心的兵役拒否者)を許容する懐の深さを持っていたということである。
最近でこそ逆に価値観の許容が狭められている気もするが、それでも日本よりは懐は深いのではないだろうか。
デズモンドが信念を貫き通すには、異なる価値観を受け入れる度量がある組織があるということが必要であったのかもしれない。
対して、当時の日本軍においてはそのような多様な価値を受け入れる余地はなかった。
現代においても日本の組織はまだまだそのような度量があるようには思えない。
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