「美女と野獣(2017)」 愛の理想形
ディズニーアニメの「美女と野獣」が大ヒットした時(かれこれ25年以上前)、多くの人が観に行ったと思うのですが、自分は劇場には足を運びませんでした。
それからDVDとかでも観てないんですよね。
その頃はディズニーのアニメというと、言い方は悪いですが「女子供が観るもの」という先入観があったのですよね。
もちろん今はそんなことはなく、ディズニーアニメのクオリティは信頼していて、新作ができると観にいくようになったのですけれども。
「美女と野獣」については、最近フランスで作られた実写版も観なかったので、ストーリーもよく知りません。
という前提でこの作品の感想を書きますが、思っていたよりもよくて感動してしまいました。
元々のストーリーがとてもよくできているのでしょうね。
「美女と野獣」は愛というものの本質を正面切って描いているところに多くの人が感動をするのでしょうね。
人を好きになる時、見かけというのは重要なきっかけにはなるとは思うのですけれど、やはり愛することを続けていくには相手の内面を好きになれるかどうかというのが大事なのですよね。
見た目があまり良くなかったり、人とは違う趣味で変人と思われたりといった世間の評価というのは気になるものです。
「なんでこんな人と付き合っているの?」って言われるのが嫌というのは素直であると思います。
けれど「そんなの関係ない、この人がいいの!」と言い切れる自信にも皆憧れるところはあるのではないでしょうか。
それは相手の良いところを見つけられているという自分の判断に対する揺らぎなさみたいなものをなかなか人は持ちにくいからかもしれません。
だからこそベルや野獣が相手の良さを見つけ、それを愛することができるということに憧れるのでしょう。
あと、愛の本質という点では、自己犠牲でしょうか。
自分自身のことよりも相手のことを優先できるかどうか。
野獣は父親思いのベルの気持ちを大事にして、彼女を自由にしてあげた。
ベルは野獣を守るために危険が待っている城に戻っていった。
現実にはなかなか相手のためだけに行動するということはできないものです。
愛する人が相手でも利己的な気持ちは出てしまうもの。
ベルも野獣もなかなかできないことをやっているということで、理想を体現しているわけで、憧れになるのでしょうね。
「美女と野獣」は愛の本質、理想の姿を直球で描いているという点が共感できるところなのかもしれないです。
今の時代、ちょっとひねた目線で物事、愛などに関しても見てしまいがちですが、理想をまっすぐに描くというのはかえって目新しく、新鮮に感じるように思えました。
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