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2017年3月25日 (土)

「モアナと伝説の海」 社会のためという動機

こちらの作品もディズニーのプリンセスものの系譜に属するものになるのかな。
「プリンセスと魔法のキス」あたりから、つまりはジョン・ラセターがディズニーの作品に絡むようになってから、ディズニーのヒロインの性格は大きく変わってきたと思います。
ヒロインが王子様と結ばれてめでたしめでたしとなるのではなく、彼女たちは自分たちの力で自分の進む道を見つけていくようになってきました。
相手役の男性たちは、彼女たちの行動に引っ張られていく存在になってきました。
これは女性がたくましく自分の意思で行動していくという強さを持ってきている社会を反映しているのかもしれません(男性の草食化も)。
昔のディズニープリンセスはまさにお姫様で、良き夫を得ることが幸せであるという昔の価値観を表していたものかもしれないです。
本作の主人公モアナもまさに自分で自分の生き方を決めていく女性ですし、相手役のマウイも見てくれは強面ながら、やはり彼女に導かれていくわけです。
そういう意味で「モアナと伝説の海」も最近のディズニープリンセスの系譜にあると言えます。
とは言え「アナと雪の女王」ほどのカタルシスを感じられたかというと、それほど強くはなかったように思います。
なんでかなと考えたのですが、「アナ」や「ラプンツェル」はパーソナルな愛情であったり葛藤であったりをテーマの中心においているので、感情移入しやすいということがったのかなと感じました。
「アナ」は二人主人公で、姉妹それぞれの思いのすれ違いであったり、特にエルサの心の中の葛藤が物語をドラマチックにしていました。
「ラプンツェル」は自由や愛などの気持ちもありながらも、それを封じ込めようとする母へ愛情も持っているという葛藤がテーマでありました。
本作についてはモアナ自身の誰かへの感情というものが彼女を動かしているのではありません。
彼女は社会的な責任(世界を救いたいという思い)を果たそうということで、旅に出かけます。
これは今までのディズニーのヒロインにはなかった動機であると思います。
しかし、モアナは自分のため、自分の感情のためというよりも、社会のために行動しているためか、今までのディズニーのような感情移入しやすさはなかったように思います。
ただこれが悪いわけではなく、この作品が掲げているテーマは内に内にと籠っていこうとする社会の流れ(保守的な動き)に対して、新しいことにチャレンジすること、広い世界に目を向けることの大切さを訴えているものであると感じました。
自分のことばかり考えがちな社会の中で、社会のために行動するヒロインは今の時代を反映しているものなのかもしれません。

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2017年3月 8日 (水)

「ラ・ラ・ランド」 ミュージカルの力

以前はミュージカル映画をあまり好きではなかった。
映画の中で進んでいたドラマの途中で、突如出演者たちが歌い始めるのが、奇妙であるような感じがしたのだ。
劇中で歌うということを描くミュージカルはリアリズムとは対極の表現だと思う。
リアリズムの視点で言えば、日常の生活の中で突然歌いはじめる者などいるわけがない(いたら相当にアブナイ)。
ミュージカルは、人の行動としてはとっても不自然なことをしているわけだ。
そういう視点で自分にとってミュージカルは馴染みにくいジャンルだったわけなのだが、現在はそのような印象は持っていない。
というよりミュージカル映画は好きなジャンルになっている。
いつごろからかと思い返すとおそらく「シカゴ」あたりからだと思う。
それまで個人的にミュージカル映画の印象は古臭いイメージがあったのだが、「シカゴ」は映画的な派手なゴージャスな画作りで自分の中でイメージを一新した。
食わず嫌い的なハードルがなくなって素直に観れるようになると、意外にもミュージカルの劇中歌とはストレートにキャラクターの気持ちを伝えることができるものだということがわかってきた。
普通のセリフとしていうとかえって大仰に感じたりしてしまう言葉でもミュージカルならば言えてしまえるし、心情もストレートにそのまま口にすることができる。
だから人の気持ちを素直にまっすぐに描きたい物語はミュージカルに向いていると言える。
その視点において、本作「ラ・ラ・ランド」はミュージカルの良さを存分に発揮していると思う。
この映画は凝ったストーリー展開で観客を魅了するタイプの映画ではない。描かれているのは人が人を愛しているときの幸せな気持ちや、別れの後の切なさというとても普遍的なこころ。
セブとミアの二人が出会ったときの対立、愛し合い幸せに満ちた日々、すれちがいと挫折、その時々の気持ちが二人の歌にのせて表現されている。
歌を通じて二人の幸せや、切なさが素直に心に響いてくる。
このダイレクトに心に響かせることができるのが、ミュージカルの力なのだろう。
二人が出会い、愛し合い、そして別れるプロセスは誰しも経験したことがあるような典型的な恋愛だと思う。
だからこそその時々に感じた気持ちは観客の心の中にしまわれていて、セブやミアの素直な気持ちがのった歌に揺さぶられるのだろうと思う。
「ラ・ラ・ランド」はミュージカルでなければ陳腐な恋愛ドラマになっていたかもしれないが、ミュージカルとして作られたことにより、多くの観客の共感性を得られる作品になることができたのだろう。

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2017年3月 3日 (金)

「ミス・ペレグレンと奇妙なこどもたち」 他の人と違うことは弱みではなく、個性

ティム・バートンらしい作品。
彼の作品には、周囲になじめない奇妙な人々が登場することが多い。
「シザーハンズ」しかり「バットマン」シリーズしかり。
これらの作品では、社会になじめない人々は他の人とは何か違うというだけで、社会的に隅に追いやられてしまうことが描かれている。
最近の作品では「ビッグ・アイズ」の主人公マーガレットも社会になじめなかった人とも言える。
ティム・バートンの目線はそのような奇妙な人々に対してのシンパシーに満ちている。
彼は変わっていること自体をおおらかに、その人の個性として尊重して描いている。
透明人間であろうが、空気よりも軽かろうが、すべてを燃やしてしまう力を持っていようが、それはその子の個性であると肯定している。
聞くところによればティム・バートン自身も相当に変わっていた子供だったようなので、それが彼の作風にも表れているのだろう。
トランプ政権後のアメリカ社会、また最近のヨーロッパ等ではマイノリティに対して、以前よりもさらに厳しい態度をとるようになってきている。
日本でもヘイトスピーチを巡る問題が上がってきているが、同様な雰囲気を感じる。
非寛容さが蔓延してきている社会の行く末を想像すると恐ろしくもある。
ティム・バートンの初期作品では異端者・異能者は迫害されたり、搾取されたりした中で、割と悲劇的な方向の結末である印象がある。
それが彼特有のもの悲しさを作品全体にトーンとして与えていたように思うのだが、最近はちょっと変わってきている印象もある。
どのあたりからかとは明確には言えないのだが(「アリス」あたりかと思うが)、異端者・異能者が虐げられる弱者としてではなく、最後には反撃することができる人物に成長していくさまが描かれているように思う。
これは主人公たちが自分自身を認めることができる力を持つことができるようになってきているとも言える。
変わっていることにより迫害され弱者として生き続けるのではなく、自分はこうであると認め、それを周囲にも認めてもらうことができる自立できる人間として描こうというような印象を受けるのだ。
本作でもジェイクは自分自身と子供たちのために、彼らを搾取する人々と戦う。
世の中の雰囲気は非寛容へと触れていて、社会になじめにくい人々はより一層生きにくい社会になってきているわけではあるが、それらに対し、自分自身を主張できる強さは持っていたいというメッセージなのかもしれないと思う。
他の人と違っていることは個性であり、個性は大事な力であるのだろう。

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