「秘密 THE TOP SECRET」 パンドラの箱
<ネタバレ注意の記事になっています!>
この作品で描かれる事件の発端は、主人公である第九室長薪と連続殺人犯貝沼の出会いである。
重要なシーンであるので、ここを一度思い出したい。
貝沼は教会のミサに参加していた。
彼がキリスト教信者であるかは描かれていないが、身なりが貧しく、ミサ後教会の施しを受けたところを見ると、信者ではなく施しをもらいに来ていたのではないかと思われる。
ミサが終わった時、彼は椅子に忘れられていた財布を見つけ、持ち主に渡そうと立ち上がる。
しかし彼は足が悪いのかゆっくりとしか歩けず、持ち主を見失ってしまう。
その時、彼はちょっとした逡巡の後に財布を懐に入れてしまう。
おそらくそれほどの悪気はなく「まあ、いいか」「ちょっと得したな」というくらいだったのかもしれない。
しかしその一連の行為を見ていた薪は、警察であることを告げた上で、貝沼に罪を犯さないようにと言い、財布を預かる。
その上に貝沼がそういった行為をした背景をわかったように、金の施しを与えたのだ。
映画の中で描かているのはこう言った描写である。
これがどうしてその後の陰惨な事件の連鎖につながっていくのか。
おそらく、貝沼は薪に行為を見咎められ、施しをされた時に、財布を懐に入れてしまう逡巡と罪を犯そうとしているという自覚を全て、薪に見抜かれてしまったという気持ちになったのであろう。
誰でもある行為を行うときに心の中で善悪のせめぎ合いがあったりするものだ。
例えば、100円を拾ったときに誰も見ていなかったら交番に届けず、ラッキーと言ってポケットに入れてしまったり、電車で疲れて座っている時に目の前に老人が来ても寝たふりをしてしまったり。
罪の意識を感じながらもちょっとしたことをしてしまうということは誰でもあるだろう。
ただそれを誰かに「お前は気づいて席を譲らなくてはいけないと思ったのに譲らなかっただろう」と言われたら、顔から火が出るほど恥ずかしく感じるだろうし、言った相手に対し不快な気持ちも抱くことだと思う。
誰でも頭の中でちょっと人には言えないような恥ずかしいこと、不道徳なことを考える。
しかし普通は理性的に考えて大それたことを実行することはない(100円をポッケに入れてしまうことはあったとしても)。
貝沼は薪に指摘された時、自分の心にある恥ずかしい部分を露わにされたことに怒りを感じたのではないだろうか。
その相手である薪は悪意があるわけではなく、非常に純粋な気持ちで言ったということも貝原にはわかったであろう。
しかしだからこそ自分とは異なる、純粋な精神を持つ薪に苛立ちを感じたのではないか。
その純粋さを汚したいという衝動を貝原は持ったのではないかと思う。
そしてさらに薪が人の脳の記憶を読む技術を開発していることを貝沼は知った。
それはある意味人間の本分を超え、神の領域にも足を踏み出すこととも言える。
純粋な精神がさらに神の高みに登っていく。
貝沼の中に、薪を堕落させたいという衝動がより強くなっていったのだろう。
この作品には鍵というモチーフが各所に出てくる。
鍵とはみてはいけないものをしまっていくということ、禁忌の象徴。
薪は人の心がしまってある箱の鍵を開けてしまった。
その禁忌を破った時に出てくるのは絶望か、希望か。
まさに人間の心、記憶はパンドラの箱である。
貝沼から続く陰惨な事件は絶望である。
箱の中にあった暗い心を見てしまった人々は自殺をしたり、発狂したりした。
あまりの闇に触れた時、人は自分の心にも同様の闇が存在することに気づいてしまうのではないか。
自分自身すら気づいていなかた闇に絶望する。
おそらく開けてはいけない鍵なのだろう。
しかしパンドラの箱と同様に、そこにあるのは絶望だけではない。
物語の最後に出た幸せそうな風景。
これは盲目の少年のパートナーである犬が見ていた映像の記憶である。
犬が見ていたのは幸せそうな人々の光景であった。
人の世は絶望だけではなく、希望も確かに存在する。
それだけが救いであり、薪が生きていけるのもこれがあるからではないだろうか。
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コメント
間違いのご指摘ありがとうございました。
修正しました!
投稿: はらやん | 2016年10月15日 (土) 07時47分
貝原⇒貝沼です!
投稿: | 2016年8月31日 (水) 23時58分