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2016年8月31日 (水)

「劇場版 仮面ライダーゴースト 100の眼魂とゴースト運命の瞬間」 テレビ本編をなぞっているような 

仮面ライダーの夏の劇場版はとてもよくできている時と、それほどではない時の差が結構あるような気がしている。
今回の「ゴースト」の劇場版はどうだったかというと、後者の印象であった。
もともと今回の「仮面ライダーゴースト」についてはテレビ本編についても個人的にはあまり乗り切れていない感があり、劇場版への期待が薄かったということもあるが・・・。
映画全体的にドラマが薄いというか、既視感があるような印象があった。
テレビ本編をなぞっているという感じで、劇場版らしいイベント感、スペシャル感がもっとあっても良かったように思う。

まず「仮面ライダーゴースト」は「主人公がすでに死んでいる」という設定が最もユニークな点だと思うのだが、テレビシリーズでも活かしきれていないような気がしている。
テレビのオープニングにタケルのタイムリミットは毎回提示されるのだが、それがいわゆるタイムリミットサスペンス的には描かれておらず(第1シーズンの最後はそうだったが)、効果的であるとは言い難い。
第1シーズンで使ってしまったので、2度目は使いにくいとも言えるが、それだと構成そのものが要検討であったように思う。
また主人公タケルが自分の命よりも、他人の命を大切にする心優しい青年であることはテレビ本編の中盤でもカノンの復活のエピソードの時に描かれている。
自分の存在よりも人を大切にするという彼の行為によって、誰の命であっても大切であるということを伝えられているように思う。
ただ、このような構成が「ゴースト」では何回かきりのいいタイミングで繰り出されてくるので、ちょっと既視感が出てしまうような気がする。
今回も出てくる登場人物は違うものの、タケルが自らの命を捧げて他人を救おうとし、命の大切さを伝えるということがテーマであるので、やや食傷気味にはなった。
劇場版の敵であるアルゴスは世界の人々をゴースト化しようとする。
人々を均質化し、生や死のない平和な世界を作ろうとする試みであるが、これはテレビ本編の敵となるアデルも人々の魂を自らに取り込み平和な世界を目指しているが、基本的には狙いは同じであり、テーマのかぶりが感じらるのも既視感につながっているのかもしれない。

劇場版でタケルとアカリが約束するのは「一緒にごはんを食べる」ということであった。
テレビ本編でもタケルとアカリは約束をするというエピソードがあり、これもかぶっているように思う。
公開時のタイミングがずれていれば気にならなかったと思うが、本編も最終盤の盛り上がりのところであるので、劇場版とエピソードが似通っていることは気になった。
御成が言っていた「生きることとは食べること」というのはいい言葉で、これをもっと膨らませてエピソードを作れれば、「ゴースト」のテーマである生の大切さということをもっと表現できたのではないかと思った。

劇中登場した「仮面ライダーエグゼイド」はかなり驚いた。
なるほど、こうきたかという感じ。
このところ正統派のライダーが多かったので、こういう変化球はちょっと期待してしまう。

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