「バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生」 ジャスティスの未来は描けているのか
「アイアンマン」以来、その世界観を多彩なキャラクターで広げ、新しい作品を公開するごとに確実に成功するようになってきたマーベル・ユニバース。
それに対し、クリストファー・ノーランの「ダークナイト」シリーズという大作にして大ヒット作はあったものの、他の作品では目を引くものを提供できてこれなかったDC。
マーベル・ユニバースのフェイズ3の一作目となる「シビル・ウォー キャプテン・アメリカ」では、アイアンマン勢とキャプテン・アメリカ勢と別れヒーローが対立することが描かれるという。
大ヒットを連発してきたシリーズであるから、盛り上がることは容易に想像ができる。
その影響があると思うが、DCも思い切って虎の子の2大ヒーローを激突させるという「バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生」を公開した。
マーベルと「アベンジャーズ」と同じように、DCコミックでもヒーローたちのチーム「ジャスティス・リーグ」というものがある。
副題にある「ジャスティスの誕生」というのは、今後DC勢も「アベンジャーズ」と同じようにヒーローチームをシリーズ化していくということなのであろう。
しかし、それはうまくいくのだろうか。
マーベルは「アベンジャーズ」に至るまで「アイアンマン」「インクレディブル・ハルク」「アイアンマン2」「マイティ・ソー」
「キャプテン・アメリカ/ザ・ファースト・アベンジャー」と個別の作品でそれぞれのヒーローの物語をそれぞれのテイストで描きつつも、その後クロスオーバーするための設定や伏線を丁寧に作ってきていた。
正直言って、アイアンマンにせよ、ソーにせよ、キャプテン・アメリカにせよ、それほどメジャーな存在ではなかった(特に日本人にとって)。
スーパーマンやバットマンの方がよほど有名であったと思う。
しかし、丁寧にヒーローを描き、世界観を構築してきたことにより、マーベル・ユニバースは成功をした。
プロデューサーがしっかりとロードマップを作って、ユニバースを展開してきたことがわかる。
それに対し、本作はいかにも乱暴に「バットマン」と「スーパーマン」という異なる世界観を無理やりにつなげようという無理を感じたのだ。
マーベル・ユニバースの特徴はその多彩さと、懐の深さにあると思う。
正直、「アベンジャーズ」を見る前は強化されたとはいえ人間であるキャプテン・アメリカと神様であるソーが共闘するというのは、ちょっと無理があるのではないかと思っていた。
けれども登場するヒーローたちはそれぞれ異なった強さと弱さを持っていて、それが絶妙なバランスで、シリーズが抱えそうになる無理感をなくしている。
神様でもなく怪物でもない人間であるけれども、その強い正義感が力となりチームを率いるリーダーとなるキャプテン・アメリカ。
人間を超えた力を持っているが、ロキというアキレス腱を持っていて、意外に情に弱いソー。
圧倒的なパワーを持っていながらそれをコントロールできないハルク。
それぞれの弱さをそれぞれに強さで補い合う、それが「アベンジャーズ」の絶妙なバランスを作り上げている。
対して本作「バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生」はかなりバランスが悪く感じてしまう。
まずスーパーマンが極めて完璧なヒーローであるというのが、バランスをとることを難しくしている。
作品中でも彼は神に例えられるが、あまりに強く、そしてその心も清廉潔白で正義感に溢れている。
クリプトンナイトという物理的な弱点は持ちつつも、マーベルのヒーローたちに比べて、ヒーローとしての弱さがない。
その完璧さは「スーパーマン」という作品世界を融通が利きにくいものとなっている。
また本作のバットマンはノーランが作り上げた「ダークナイト」の影響を色濃く残している。
「ダークナイト」の世界観はある意味完璧に作り上げてられている。
「バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生」は「ダークナイト」的なダークな雰囲気を引き継いでいるが、そこにスーパーマンがなかなかマッチしにくいように思うのだ。
それぞれに異なる強い世界観を持っているがゆえに。
ワンダーウーマンも登場してきたが、そのバックボーンが何もわからないので、ただの通りすがりのゲストキャラ以上の存在感を出せなかったと思う。
マーベルが丁寧に新しいキャラクターをユニバースに取り込んで行こうとするのとは異なっている。
マーベルのフェイズ3では宇宙的なスケールの「ガーディアン・オブ・ギャラクシー」と、ミクロな世界の「アントマン」、親愛なる友人「スパイダーマン」も合流するらしい。
どのようにバランスをとるのかが見ものであるが、丁寧にキャラクターを作り上げてくるマーベルはきっちりと仕事をしてくれると思う。
対してDCはジャスティス・リーグのその先のロードマップをきちんと描けているのだろうか。
本作からだけではそれは感じられなかった。
大きく水をあけられているので気持ちはわかるが、焦るなと言いたい。
最後にあれだけスーパーマンを敵対視していたバットマンが、母親の名前が同じであったということだけでコロリと気持ちを変えるのは納得いかなかった。
二人ともただのマザコンじゃないか。
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