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2016年2月28日 (日)

「ザ・ブリザード」 リーダーの条件

観に行く予定ではない作品でしたが、意外と面白かった。
海難救助映画というのは「ポセイドン・アドベンチャー」から色々な作品がありますが、この作品もその系譜に位置付けられますね。
驚いたのはこの作品が実際にあった話を元にしていて、それが何十年も前の出来事であるということでした。
タンカーが真っ二つに割れてしまうほどの嵐ってどのくらいの凄さなのでしょう。
そしてタンカーに残された人々を救うために、あんなちっちゃな救助船で向かうなんて!
今だったらレーダーやら衛星やらGPSやらでもっと詳細な情報を手に入れることができるでしょうけれど、ほぼ経験に裏付けられたカンのみで事態に対処しているわけなんですよね、すごい。

この映画を観て、考えたのはリーダーシップです。
本作には二人のリーダーが登場します。
破壊されたタンカーペンドルトン号に残ったクルーを率いることとなるシーバート機関士。
そして彼らの救助に向かうアメリカ沿岸警備隊のウェバー。
彼らの行動を見ていると、危機的状況の中でのリーダーの行動について学ぶところがありますね。
まず感心したのは判断の速さです。
状況は刻々と変わっていきます。
それも予想できない悪い方向に。
そのように変わっていく状況の中で、呆然としていては何も解決はしません。
もっとも適切である方法は何かと判断し、すぐに行動に移す。
硬直した考え方ではなく、柔軟に状況に対応することも大切です。
シーバートが船を沈めないために、座礁させると判断したことはこのことです。
船乗りにとって座礁はあってはならないことですが、この場合はそれが最善であると判断したわけですね。
判断すると言っても、闇雲に決めればいいというわけではありません。
そこには冷静な計算がなくてはなりません。
クルーの何人かは恐怖心にかられて、小さなボートを出そうとしますが、シーバートはその危険性がわかっていました。
カンや希望的な観測だけでの判断は、本当の判断ではありません。
また冷静に考えるだけも足りません。
ウェバーは越えるのは不可能と言われた浅瀬に挑みます。
救助船のクルーたちも本当に越えられるのかと不安に駆られます。
しかし、チームを率いるリーダーの強い意志を感じるからこそ、彼らはその難関に挑めるのです。
リーダーに求められるのは強い意志と、それをチームに表明することですね。
加えて、シーバードにしてもウェバーにしても、船や海に対する深い知識がありました。
冷静な判断をするにしても、目標を達成しようとする熱い意志を持つにしても、十分な知識がなければなりません。
勝算が立てられるか否か、その判断のベースにあるのはやはり知識です。
知識がない中での判断は、ただの無謀です。
広範で深い知識を持ち、それに基づいた冷静な判断ができ、それを叶えようとする熱いパッションを持って、チームメンバーの気持ちをまとめ上げられる。
これが優れたリーダーの条件なのでしょうね。

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2016年2月27日 (土)

「スティーブ・ジョブズ」<2015> ジョブズのパーソナリティーに迫る

改めてまして、ご無沙汰しております。
先週、海外出張より帰国しまして、こちらのブログも再開いたします。
帰国後、最初に観た作品ですが、こちらの「スティーブ・ジョブズ」になります。
ジョブズの映画というとアシュトン・キャッシャー主演で2013年に公開された同タイトルの作品がありました。
あちらは若かりし頃のスティーブ・ジョブズにスポットを当てて描いていたように思います。
アシュトン・キャッシャーの風貌が、若い頃のジョブズに似ていたのが印象的でした。
それに対し、本作はジョブズの人生を描くということよりも、ジョブズという人物そのものを描くということを主眼としているように感じました。
ですので、描かれる場面としては初代マッキントッシュの発表プレゼン前の様子、Appleを追い出された後にネクストを発表するときの様子、そしてApple復活後にiMacの発表の時が描かれます。
ジョブズを演じるのはマイケル・ファスベンダーです。
彼は決してスティーブ・ジョブズに似ているわけではありませんが、このような伝記ものでよくあるような風貌を寄せていくというアプローチはせず、ジョブズのパーソナリティーを表現することに注力しているように感じました。
またジョブズを取り巻く登場人物についてもかなり絞り込んでおり、ただ事実のみを描いていくというよりも、彼らを通じてジョブズという人物を描こうとする意図を感じます。
この辺りのミニマム化して描こうとするスタイルは、監督のダニー・ボイルらしいかなと思います。

この映画を通して感じるジョブズ像ですが、まずはコントロール・フリークであるということでしょう。
そしてまた彼はビジョナリストでもあります。
誰も想像できていないようなことが、彼の中にビジョンとして存在している。
おそらくそれは彼にとっては自明なことで、確信的なことなのですね。
突飛なことでもそれが必ず世の中を変えるという強い信念が彼の中にある。
彼からするとそんな自明なことがわからない周囲の人々が、とても愚かしく、またもどかしく見えていたのでしょう。
彼独特の上から目線の物言いはそう言ったところからきているのだと思います。
人々がそのビジョンを理解できていないから、彼はそれを実現するためにコントロールしなくてはいけないと思いに駆られていたのでしょうね。
彼がコントロール・フリークであるのは、ジョン・スカリーが指摘していたように養子にされたということが影響をあたえられているかもしれません。
育ての親に育てられながらも(ジョブズの養父母はとてもいい人であったようですが)、いつ気に入らないから戻されるかわからないという不安感を持っていたのかもしれません。
だからその不安を払拭するために、自分と自分の環境を自分にとって良い状態にコントロールしたいという気持ちが強まったのかもしれないですね。
だからこそ、ジョブズは自分がコントロールできないものについて非常に強い拒否感を持ちます。
例えば、しばしばこの映画で言及される、コンピューターをオープンシステムにするか、クローズドシステムにするかという議論にもそれは現れます。
ジョブズはクローズドシステム派なのですが、これは全てを自分のコントロール下に置きたいという意思の表れでしょう。
オープンシステムは彼のビジョンから逸脱する可能性がある。
それをジョブズは嫌うのです。
同様に、娘のリサに対しても同じように感じることがあったのかもしれません。
世の親たちは当然わかっているように、子供というのは親の思い通りにはなりません。
親がこうあってほしいと思っても、子供は子供のパーソナリティーを持っており、彼らの生きたいように生きます。
ジョブズもそれはわかっていて、だからこそコントロールできない娘に対し、居心地の悪さを感じていたのではないでしょうか。
しかしまた、子供は新しい可能性も持っている。
それはジョブズが目指していた世界を変えることにも通じます。
その点において、ジョブズはリサへ未来を投影することができたのだと思います(リサが初めてMacで絵を描いたとき)。
リサに対しては拒否感と親近感という相反する感情をジョブズは持っていて、だから彼女に対しては複雑な対応を彼はとっていたのだと思います。
またジョン・スカリーに対しては、父親を投影していたようにも思えますね。
頼りになる父というイメージ、そしてそれに裏切られ、自ら自分の父を倒そうとする。
まさにギリシャ神話から繰り返し語られる父親殺しのイメージが重なります。

冒頭に書いたようにジョブズに関する2作品は、同じ人物描かれますが、全くアプローチが違います。
狙いによって表現が変わってくるわかりやすい例ですね。

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2016年2月20日 (土)

<お知らせ>

お久しぶりでございます。
1ヶ月半ぶりに無事に昨日帰国しました。
まだ今年は映画を劇場で観ていませんが、鑑賞しましたら記事をアップしたいと思います。
またよろしくお願いします。

管理人

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