「レインツリーの国」 有川作品の二つの視点
有川浩さん原作の「レインツリーの国」の映画化作品です。
彼女のファンとしては見に行かないわけにはいきません。
監督は三宅喜重さんで、「阪急電車 片道15分の奇跡」「県庁おもてなし課」に引き続きの3作目ということで、有川さんの作品の雰囲気を表現するということでは全く心配ありません。
本作は基本的にはラブストーリーのジャンルになるでしょう。
主人公の伸行も利香も芯がしっかりしていて真面目な人ですが、そのせいか恋愛偏差値が低い。
有川作品の主人公たちといういうのは概して恋愛偏差値が低く、それゆえに読んでる、観ている側としてはもどかしかったり、そのベタ甘っぽさに甘酸っぱくなったりします。
そういうところが好きだったりするのですけれどね。
しかし、有川作品はそういったベタ甘のラブストーリーだけが魅力ではありません。
大概の有川作品はそのようなラブストーリー要素と、もう一つは社会の課題を鋭くついているテーマというものがあることが多いです。
例えば今も公開されている「図書館戦争」では、郁と堂上教官のラブストーリーももちろんですが、それ以上に描かれているのが「当たり前のように手にしている自由」とは何なのかということです。
我々は自由を手にしていますが、それを守っている人たちのこと、またなぜそうなっているかということに対してとても無関心です。
そのことに対しての問題意識を「図書館戦争」は描いています。
恋愛要素とそのようなテーマ性が有川作品は持っていて、「図書館戦争」の場合は後者の比率が高い(あくまで映画の話。原作はもっと恋愛要素が高い)。
さて本作「レインツリーの国」はラブストーリー映画ですが、他の作品同様社会の課題についてのテーマも持っています。
それは障害者への差別の問題ですね。
障害者への差別は良くない、ということはだいたいの人はその通り、と思うでしょう。
彼ら彼女達へのハラスメント(利香へのセクハラやぶつかっても謝らない若者)へは観ている方は皆怒りを感じるでしょう。
けれど自分自身がぐさりときたのは、利香が言っていた「特別扱いした上から目線の憐れみ」です。
障害者達の方は特別視されたくない、ありのままに受け入れてほしい。
当然普通の人とは違うけれど、それでも自分をそのまま受け入れてほしいと思っているのですね。
自分も「上から目線の憐れみ」のような態度を取っていないかと自身を振り返ってしまいました。
自分の職場にやはり聴覚障害の方がいて、仕事でやり取りがある場合はメールや筆談で行います。
利香の職場のようなイヤな人々はおらず、皆普通に仕事を一緒にしています。
けれどもしかしたら利香が気になっていたような態度を取っていることがあるかもしれないなとも思ったりします。
また、そういう周囲の人々の話だけではなくて、本作では障害者自身の気持ちの問題にも触れています。
自分は違うということに負い目を感じ、それゆえに壁を作ってしまう。
周囲の人は自分を憐れんでいる、そんな助けはいらない。
けれど伸行のように憐れではなく、本当に好きだから何かしてあげたいという人たちもいる。
彼女のお父さん、お母さんもそうですよね。
そういう愛を素直に受け入れるということも、障害者自身には必要なことなのでしょう。
有川さんの作品というのはこういうフェアな視点を持っている点も好きですね。
有川作品では今度「植物物語」が待機中ですね。
この作品も代表作です。
いい作品に仕上がるのを期待したいと思います。
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