「テッド2」 ネタは満載、けれどエモーショナルは弱いかな
前作では大いに笑って、大いに泣いたので、期待大で観に行ってきました。
1作目で好評であった(?)エロネタ、汚ネタ、オタクネタは引き続きたっぷりと仕込まれていました。
ですがシリーズ自体がメジャーになって幅広い観客層を想定しているからか、前作の「フラッシュ・ゴードン」ネタのような、どマイナーなネタというよりは、メジャーな作品(「スター・ウォーズ」とか「ロッキー」とか)をネタにしている感じがありました。
より多くの人に楽しんでもらいたいということかもしれませんが、前作ほどのエッジは感じませんでした。
ネタ自体もちょっと小ぶりだったかな。
小ネタという感じ。
でもアマンダ・セイフライドのゴラムネタは笑った、笑った。
言われてみれば確かに似てる。
しかし本人、よくOKしましたね。
前作は基本的にジョンが主役。
慢性的なモラトリアムであった彼が、大人の男として独り立ちして成長していくお話であったかと思います。
普通、子供から大人になる中で周囲の環境や付き合う人も変わっていくため、人は必然的に変わっていかざるを得ません。
しかし、ジョンの場合はすぐ近くに、自分の子供らしさをどこまでも許容してくれるテッドの存在があったため、大人にならなくても困らない状況にあったのかもしれません。
けれどもジョンはテッドの死によって半ば強制的に大人にならざるを得ず、そしてまたテッドの復活により新たにかけがえのない親友として彼を再定義することができたのかもしれません。
「テッド」というとエロネタ、汚ネタ、オタクネタでの笑いに目がいきがちですが、ストーリーとしても主人公の成長という縦軸があって、だからこそ笑えるし、泣けもしたのかなと思っています。
そういった一作目に対し、本作はまさにテッドが主人公のお話になっています。
各種ネタは一作目のように満載ではあるのですけれど、一作目のようなストーリーの縦軸は弱いような気がしました。
本作でいうとその縦軸は「人間とは結局のところなんなのか」という割と哲学的なテーマであるかもしれません。
一作目はそれが心で感じるエモーショナルなものであったのに対し、本作はどちらかというと頭で思索するテーマであるような気もします。
なので前作のように「ギャグ映画なのに思わず泣いちゃった」というようなことはありませんでした。
感情的な揺さぶりは前作よりも少ない感じがします。
ちょっとそのあたりが前作に比べて物足りない印象を持った要因であったかもしれません。
リーアム・ニーソンやモーガン・フリーマンが(ちょっととは言いつつも)登場してきたのはちょっと驚きました。
彼らのようなランクの人を起用できるのはメジャーなシリーズになったからではですね。
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