「トゥモローランド」 ディストピアへのアンチテーゼ
未来がバラ色に見えなくなくなったのはいつ頃からだろうか。
自分が子供の頃に皆が想像していた未来は確かに夢と希望に溢れていた。
エアカーが空を飛び、チューブの中をリニアモーターカーが疾走し、雲を突くほどの高層ビルがそびえ立つ。
そこに暮らす人々の顔には笑みが浮かんでいた。
そういうイラストを本で幾つも見ていた。
「鉄腕アトム」にしても、「ドラえもん」にしても、未来は発達していて、人々の悩みの幾つかは解決できていると思えていた。
けれど、いつのまにか未来はシトシトと雨が降り、暗く沈んでいて、人々は肩を落として歩いているイメージとなっていった。
バブル期以降生まれた人たちは、未来がバラ色なんて思ったこともないという人もいるだろう。
おそらく「ブレードランナー」とか「未来世紀ブラジル」とかのあたりからだったと思うが、「ディストピア」という言葉が一般化してきた。
80年から90年は日本は繁栄を築いていた時であるが、アメリカは不況で苦しんでいた。
60年代に思い描いていた、輝く未来とは違う未来があることにアメリカが気がついた時かもしれない。
その後日本もバブルがはじけ、「ディストピア」的なイメージが定着してきたように思う。
オウムの事件なども人々の中にあるそのイメージによるところもあるかもしれない。
今時、輝かしい未来を描く物語を観た時、人々は嘘くさいものと感じてしまうだろう(たぶん自分もそうだろう)。
未来と聞いた時、希望など輝かしいイメージを思い浮かべる人は少なくなっているようにも思う。
先の見えない不安といったようなイメージが心に浮かんでくるのではないだろうか。
本作はそのような未来に対して諦めている思いに対してのアンチテーゼとなっている。
未来というものは、最初から暗いものであるわけではない。
人々がディストピアのイメージを許容してしまい、諦めを持ってしまった時、未来は暗いものとなり破滅に向かっていくとこの作品は言っている。
これはとても新鮮な考え方であると思う。
たしかに経済の動向を見ると、「思惑」というものが実のところを大きく影響しているということがわかる。
アベノミクスにしても、人々が「良くなりそうだ」という期待を持つからこそ、成長が起こるわけだ。
だからこそ人々の思いというものが、未来の行く末に大きく影響を与えるのだ。
今、何か問題があるにせよ、それの解決方法を必ず人類は見つけることができる。
そういった楽観的な思いが、未来をバラ色にする。
楽観的ときくと、お気楽な感じがするかもしれないが、人々が先行きをネガティブにとらえがちな現在において、先行きを前向きに捉えることができる力は必要なものだ。
希望があるからこそ、行動ができる。
諦めてしまっていては、動けない。
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