「仮面ライダーカブト」<平成仮面ライダー振り返り-Part7>
平成仮面ライダー振り返り企画、前回の「響鬼」のときもブランク2年半でしたが、今回の「仮面ライダーカブト」も同様に2年半・・・。
いやはや時間がかかりましたねえ。
映画の方も観に行く機会も減っているので、致し方なしですが・・・。
現在「仮面ライダードライブ」がオンエアされていて、平成仮面ライダーシリーズも16作目となっています。
今回レビューする「仮面ライダーカブト」は7作目となりますが、今までの16作品の中で個人的には最も評価が低いのが、この作品になります。
ちなみにこのブログは平成7年にオープンしていて、当時オンエアしていた「カブト」が初めて仮面ライダーをレビューした作品でした。
今回、再視聴してみて、また当時のレビューを読んでみて思ったのは、その時の印象と今回の印象はほぼほぼ変わらないなということでした。
・キャラクターも各種設定も活かしきれておらず、物語の収拾がうまくつけられなかった
1年の長丁場となる「仮面ライダー」シリーズは、オンエア開始直後に最終回までのストーリーが完全には決められていないと言われています(昨年の「鎧武」は珍しく最後の展開までが当初より決まっていたらしい)。
ざっくりとした大きな流れは決めているようですが、最後の結末は物語が進み始めていく中で作られていくということ。
おそらく物語そのものが自身の物語を語り始めたり、キャラクターが勝手に動き出したり、ということを大事にしているからだと思われます。
あるキャラクターが、俳優の演技をフィードバックをされて、どんどん成長していくというのはしばしばありますよね。
また1年間の長丁場ともなると不測の事態(俳優のけがや病気等)も起こりうるわけで、あんまりガチガチに決めていても仕方がないということもあるかもしれません。
なので当初用意されていた設定や伏線が、最後まで活かしきれていない、回収できていないということは多かれ少なかれあるかと思います。
とはいいながらも、「カブト」はそういうことが多すぎたかなと感じがします。
いくつか気になった部分をあげていきたいと思います。
・ひよりがメカと話ができるという設定。
この設定はひよりが普通の女性ではないということを暗示しているということであったと思いますが、彼女がネイティブであることがわかった後も、その能力を描写することはなく、またなぜ彼女だけがそのような能力を持っていることの説明がありませんでした。
そもそもひよりというキャラクターが終盤にその存在感を急速になくしていってしまったように感じます。
彼女の存在感がなくなると、天道が戦う理由、意味も曖昧になっていく感じがありました。
・矢車、影山の地獄兄弟
二人とも初回登場からキャラクターが大きく変わってしまいました。
それ自体は悪いとは言わないが、この物語の中での役割が不明確であったように思います。
シュールな笑いをとる狂言回し的な使い方をされていただけに感じました。
そもそもキックホッパーゼクター、パンチホッパーゼクターが彼らにどのような意図で彼らに持たされたのかもわかりにくく、そのために彼らの役割があいまいであったのだと思います。
・田所さんのネイティブ設定
身近な人にもワーム、ネイティブが紛れているということを表すには、ダイレクトで衝撃的な設定であったと思います。
ただし、その後の田所さんの行動にはネイティブであることが反映されているようには感じられず、そのときだけの場当たり的な展開であったように感じてしまったりもします。
・ドレイク(風間)のあいまいさ
サソード(剣)については、その正体がワームであったということで、物語の設定の根幹に絡むキャラクターであり、重要性のあるキャラクターでありました。
ただしドレイクについては、(風来坊という設定があるにせよ)物語そのものには直接的に絡むものではなかったかと思います。
そもそもなぜ風間がドレイクに変身できるかについてもあまり説明がないので、物語にも絡みにくく、存在感があいまいに感じました。
またカブトがハイパーフォームになる際、ザビーとドレイク、サソードのゼクターが必要だという設定がなかなか扱いづらいものであったと思います。
つまりカブトハイパーフォームとザビー、ドレイク、サソードは並び立つことはできないわけです。
ザビー(適合者がいなくなる)、サソード(装着者が死亡)というような展開となっていましが、ドレイクについてはあいまいなままであった(ドレイクゼクターがきているときは風間は何をしていたか?)。
・蓮華
彼女は終盤に突如登場したキャラクターであったが、最後までその役割が明確ではなかったと思います。
ただのにぎやかし、彩りという感じに終始してしまっていた感じがします。
天道というキャラクターは「総てを司る」男であるため、最強であり、ぶれないというのが基本的な設定でした。
総てを理解し、迷いがないという点で、彼は葛藤がないキャラクターです(劇場版では割と揺れていましたが)。
そのため彼の感情の揺らぎ、迷いなどで物語が展開をしていくことは基本的にないと考えられます。
昨年の「鎧武」の主人公、紘汰はまさに迷いながら成長していくキャラクターで、そのために物語にダイナミズムが生まれていました。
それに比べると、主人公が迷いがない分、物語を転がしていくのはなかなか難しいかったのかなとも思います。
だから周囲のキャラクターがとんがってしまったのかなと。
続く「電王」はいい意味で「仮面ライダー」というものを振り切り、新しい境地を開いた作品になっていきます。
またこちらについても振り返りをしていきます。
何年後になることやら・・・。
| 固定リンク
コメント