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2015年3月29日 (日)

「スーパーヒーロー大戦GP 仮面ライダー3号」 インフレーションからの切り替え

春の東映のヒーロー大戦はなんでもアリアリで、このところはクロスオーバーで登場人物も多くなり、インフレーション気味なところもありました。
今年のヒーロー大戦は登場人物を少しばかり絞り込んだ分、ストーリーも少しひねった感じがありましたね。
どんどん過剰になっていってしまうので、このようにちょっと路線を変えてみるのもいいかもしれません。
いい塩梅なところでお祭り感は担保しているように思いました。
今回の目玉はやはりタイトルにあるように、幻の仮面ライダーである、仮面ライダー3号が登場するところですよね。
仮面ライダー3号は敵なのか、味方なのか、このあたりがわからず、最後まで予断を許しません。
子供が観るとちょっと複雑なストーリーかもしれません。
3号のデザインは「仮面ライダーFIRST」のときのようなスマートなスタイルで、かっこいい。
ショッカーが送り出す仮面ライダーというところで、黄色いマフラーなところが往年のファンにはぐっとくるところでしょう。
また3号が乗るのは、バイクではなく車。
トライサイクロンという名前ですが、マツダのロードスターをベースにしていますね。
フロントのエアインテイクとか、後ろのごついマフラーとか、昭和感を醸し出されるデザインで、初代のサイクロンを彷彿とさせるところがよいですね。
今回はGPと銘打っているだけあって、レースが見せ所になります。
公道を走れるわけではないですし、また大規模なロケができるわけでもないですから、しょぼくなるんではないかと心配していたのですが、けっこう頑張っているなと思いました。
レース場、公園のような私有地、CGなどを組み合わせて、レースの臨場感を出そうとしている工夫が感じられました。
これ、撮影などはカットごとに場所が違うから綿密な打ち合わせがあったことでしょう。
スタッフさんも大変であったのではないかな。
上記で書いたように今までのヒーロー大戦とは異なり、登場人物も絞り込んでいるので、アクションも今までのように物量で見せるという感じではありませんでした。
とはいえ、少ない人数でのアクションでしょぼくならないようにカメラワークとかはかなり凝っていたと思います。
テレビシリーズよりもカメラは動いていましたし、映画らしい迫力を出すような工夫が感じられました。

あとは雑感を・・・。
車が題材なので、仮面ライダー初の車乗りであるBLACK RX(愛車はライドロン)が登場するのは織り込み済みですよね。
そのBLACKと相対するのが、ゲルショッカーのブラック将軍。
ブラックつながりね・・・。
前作の「昭和ライダーVS平成ライダー」に引き続き、555も登場。
洞窟での戦いなので、電飾555も登場です。
やはりかっこいいわ。
たっくんは前作より髪が伸びて、昔のイメージに戻っていてよかったです。
あと、本作はなぜか「ブレイド」押しでもありました。
顔出ししたのは、橘さんだけだったけど、他のメンバーも当時の演者が声をあててました。
相変わらず、剣崎は滑舌悪し・・・。
歴史の改変というのもテーマの一つであったので、「電王」チームから、ゼロノスこと桜井侑斗が登場。
「おっさん、言うな」と言っていました、十分若いです。
デネブとの絡みは懐かしかったですねー。
それにしてもマッハは死んだことにされてしまいましたが、どうなるんじゃろか?

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2015年3月20日 (金)

「イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密」 孤独な数学者は人工知能の夢を見るか

アラン・チューリングというと、ドイツ軍の暗号機エニグマが作り出す暗号を解読した人物、またある機械が知的であるかどうかということを判断する「チューリング・テスト」の考案者としては、知っていました。
ただその人となりはほとんど知らなかったので、予告編で興味を持ちました。
チューリングは同性愛の罪で捕まり(イギリスでは以前は同性愛は罪であった)、強制的にホルモン治療を受けさせられ、その後に(青酸カリで)自殺したということです(この映画のオープニングでも示唆されていますすね)。
このようなことが今だったら人権侵害で訴えられても仕方がないようなことが、戦後でも行われていたのにちょっと驚きです(何十年も経ってイギリス首相は謝罪、女王から死後恩赦も出たということ)。
チューリングは子供の頃より、他の子とは変わった様子の子であったようですね。
頭はいいけれども、他人とのコミュニケーション能力が著しく低い。
だからいじめの的にもされてしまいます。
しかしそのような中で一人だけ彼のことを認め心配してくれたのが友人クリストファーでした。
チューリングは彼に同性でありながらも愛情を感じていきます。
しかし、それは彼が決して明かしてはいけない秘密。
彼が通っていたのは厳格な寄宿舎学校のようですし、そのようなところでホモセクシュアルであることがばれたら、いじめどころの騒ぎではありません。
自然と彼はその気持ちを封じ込めていくようになっていったのかもしれません。
そして愛するクリストファーは病気で死んでしまい、チューリングの気持ちは永遠に出口を失ってしまったのです。
彼が感情表現の薄い人物となってしまったのは、感情を封じ込め、気持ちを秘密にしたままでいることが習い性になってしまったからかもしれません。
この作品が興味深いのはそういった決して知られてはいけない秘密を持っている人物が、世界最大の秘密を解こうとすることに挑むという構成ですね。
またチューリングは周囲に理解されない思考を持っている人物と思われていました。
彼自身もそれを理解しており、その上で人々はみな違った思考を持っていると考え方を持っていました。
だからこそその時代においては相当変わった思考を持っている女性のジョーンにも惹かれたわけです。
そしてさらには人間とは全く異なるであろう機械も(人間とは異なったかたちであっても)知性というものを持ち得るのではないかと、考え方を発展させたのでしょうね。
彼は人間よりも、異質だからこそ自分が産み出したマシーンのほうに感情移入ができたのかもしれません。
だから無二の親友であり、愛情の対象であったクリストファーの名をつけたのでしょう。
エニグマの謎、チューリングの秘密。
マシーンの異質さ、チューリングの異質さ。
物語と人物の対応が考えられた脚本であるなと思いました。
副題が長いなと思ったのですが、こうやって考えてみると物語を言い当ててるかも。

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2015年3月 7日 (土)

「アメリカン・スナイパー」 兵士の行く末

ベトナム戦争の頃より、戦場から戻ってきた兵士たちの精神の状態に注目が集まるようになってきました。
戦場で見たこと、行ったことからくるトラウマ、また戦火の中の興奮状態を忘れられないようなこと。
この題材を扱った映画はアメリカ映画は多く、最近ではアカデミー賞もとった「ハート・ロッカー」などが挙げられます。
本作「アメリカン・スナイパー」もそういった系譜にある作品と言っていいでしょう。
この作品についてのレビューとしては、そういった帰還兵のPTSDといったテーマで書くのが、ストレートだと思いますが、ちょっとこちらではひねった視点で。

主人公クリスはイラク戦争で度々派兵されたシールズの名スナイパー。
彼はもともと愛国心が強く、自分の力を使い人々を守りたいと思う、まさにタフなアメリカ男のイメージそのものです。
このアメリカ人の男はこうあるべしというイメージは、クリスを強く支配していたものであるように思います。
彼にその役割を担うことが、彼の人生の最も重要なことであったのでしょう。
もちろん彼は妻と子供たちを愛していました。
けれど夫であること、父親であること以上にもっと重要な役割が自分にはあると感じていたのだと思います。
「ハート・ロッカー」の主人公は割とアドレナリンジャンキーの側面もあったように思いますが、本作のクリスはそういった側面よりも(もちろんあったとは思うけれど)、自分が果たすべき役割、自分が生きている意味合いといったものを戦場に感じていたのではないでしょうか。
だから派兵の間の時間に、愛する我が家に居ても、なにか自分の居場所ではないように感じてしまう。
心は戦場にある。
それは直感的に妻が感じていたことです。
これは兵士という職業に限ったことではないかもしれませんね。
今はずいぶんそういう人も減ってきましたが、高度経済成長期のいわゆる「企業戦士」と言われたサラリーマンたちは同じようであったのかもしれません。
家庭は顧みずに、仕事仕事の日々。
本人はとても生きがいを感じ、充実しているのですけれど、家族にとってはたまったものではない。
兵士であることを辞めたクリスが、日々心が抜けたように過ごしている様子は、モーレツサラリーマンが定年後迎える姿のようにも思います。
仕事と家庭の両立っていうのは永遠のテーマだと思いますが、自分が最後まで人生に生きがいを感じるためにもその両立はがんばってやらないといけないことだと思いました。

本作、クリント・イーストウッド作品ですが、彼の個性が強く出ているという印象は弱かったですね。
とはいえ、最後の方の敵方のスナイパーとの件は緊張感のある演出で、さすがだと思いました。

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2015年3月 2日 (月)

「烈車戦隊トッキュウジャー」 コドモターゲットとしていいのでは

映画の方のレビューを先に書き、順番が逆になってしまいました。
こちらはテレビシリーズのレビューです。
昨年の「VSシリーズ」で最後にちらっと登場したのが「トッキュウジャー」の初お披露目であったのですが、そのときの印象はブログにも書きましたけれど、コメディ戦隊になるのかなと感じたのですよね。
蓋を開けてみると、全体的にはいつもよりも明るいトーンであることは確かでしたが、コメディという感じではありませんでしたね。
脚本の小林靖子さんらしい感じはして、過去の出来事や運命にトッキュウジャーたちが翻弄されつつも、それに打ち勝っていこうとする前向きな物語でした。
でも毎週待っているということではなく、ちょっと惰性で見てしまっているというところもありましたね。
いまいち乗り切れなかったというか。
けっしておもしろくないわけではなかったのですが。
キャラクターたちに感情移入しきれなかったのかな。
昨日の映画版のレビューでも書いたのですが、トッキュウジャーは姿形が大人になってしまった子供たちが変身する戦隊です。
だからかキャラクターに子供っぽさはあるわけで、かわいいとは思いましたけれど、感情移入って感じはなかったですね。
同じ小林靖子さんの作品の「シンケンジャー」なんかはばっちり感情移入して観ていたのですけれど。
けれど本来のターゲットである子供たちからみると、ちょうどいいくらいなのかもしれません。
終盤はずいぶんとストーリーもだいぶシリアスになってきて、面白くなってきた感じはありました。
キャラクターに感情移入はそれほどできなかったと書きましたが、トカッチとミオはなんかよかったですね。
小学生らしい初恋ぽさがあって。
なんか甘酸っぱい感じがありました。
来年の「VS」シリーズでは彼らがどんな風に大人になっているのかな。

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