「おやすみなさいを言いたくて」 感情と理性と
主人公レベッカは紛争地域の様子を伝える報道写真家である。
彼女自身が語るように、彼女は若い頃から怒っていた。
世界の各所で行われている非人道的な行為に。
その怒りは彼女を突き動かし、そしてレベッカはカメラという武器を手に入れた。
残虐な行為が繰り広げられる紛争地域で、レベッカはカメラを向ける。
そのカメラによって映し出された光景は、幾人かの人々を動かす力を持っている、そう彼女は気付いたのだ。
だからこそ、自分はカメラでその光景を写さなくてはいけない。
大人になって怒りと付き合うことを覚えたと、彼女は言った。
戦場でむごたらしい光景を目にしても、彼女は冷静である。
まるで武器を手にした戦士のように冷静に、その光景を写し出す。
感情のスイッチを切っているかのように。
彼女は戦場で起きる出来事に関与しない。
彼女は感情をおりまぜずただ事実を切り取る。
しかし、彼女は愛情を持たない女性ではない。
家に戻り、愛する夫と娘たちと過ごす時間は、彼女が妻であり母である顔を持つ。
溢れる愛情を娘たちに注ぎ、夫への感謝を忘れない。
中東での取材の最中。
彼女が何気なくカメラのシャッターを切ったせいで、自爆テロが目の前で行われてします。
当然のことながら取材対象であった女性は、その場でなくとも、必ず死んでいたであろう。
しかし、レベッカがその場でシャッターを切らなかったら、そこにいた周りの人々は死ななかったかもしれない。
レベッカは自分の行為が戦場で与えた影響の大きさに慄くのだ。
彼女は冷静に今までのようにカメラを向けることができなくなる。
レベッカの長女ステフはちょうど中学生くらいか。
母がどういう仕事をしているのかは知っており、いつ死んでしまうかもしれないとしれないと恐怖に怯える子どもの部分と、母親の仕事の意義を誇りに思う大人の心が彼女の中には混在している。
感情の部分と理性の部分といってもいい。
ステフは母が命をかけて戦場に残る姿に泣き帰ってきてと叫ぶ。
しかしまた母しかできない仕事をしているその姿を誇りとも思っている。
それが大きくステフの中で揺れ動く。
母の自分の命を顧みない行動にステフは怒りを覚える。
だから彼女は母親にむかってレンズを向け、シャッターを切り続けるのだ。
カメラは怒りを伝える武器だから。
母親の活動を学校でステフは発表をする。
自分の母親の素晴らしさを皆に伝えようとする、そしてそう思っていることを母親にも。
ステフのように感情と理性が混じり合い、どうしていいかわからないというのは、それこそ人間らしい。
レベッカは感情と理性のスイッチを切り替えられる人であったのかもしれない。
戦場では感情のスイッチを切り、理性のスイッチをいれる。
家では感情のスイッチを入れる。
しかし中東での事件、またアフリカでの出来事、そして家での家族との諍いを経て、彼女の感情と理性のスイッチも混じり合ってきたのかもしれない。
そして再び訪れた中東の地で。
レベッカは娘ステフと変わらない年頃の少女が自爆テロに行こうとする光景を目にするのだ。
彼女はカメラを向けられない。
彼女の母としての感情が、それを冷静に見ることを許さないのだ。
彼女はこれからどのような道を歩むのだろうか。
報道カメラマンを辞め、家族とともに暮らしていくのか。
それとも報道カメラマンを続けていくのか。
それでも彼女の写真は今までとは大きく変わっていくような気がする。
感情がともなった写真になってくるのではないだろうか。
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