「インターステラー」 時空を越え、人の想いを
クリストファー・ノーランの最新作です。
例によって2時間半を超える長尺の作品ですが、飽きることなくというより、飽きるのを許さない展開であることがすごいですね。
この作品は科学好き、SF好きが観ると各所に唸らされる設定・描写があるのですが、そういうことに興味がなかったり、知識がなくても、この作品を楽しもうとすることにはなんら支障がないのも素晴らしいところです。
そういったSF的な設定・描写のところも触れたいところですが、今回はやはり本作のテーマについて書いてみます。
<ちょっとネタバレ的なところもありますので、注意してください>
本作の舞台となる未来の地球は破滅に瀕しています。
植物が枯れていき、そのため食糧難が深刻化、また大気の中の酸素レベルが下がっていて、このままでは人類の存続が危ぶまれている。
そこで人類は、人が居住可能な他の星を探すため、ワームホールへ探査に行く人々を送り込みます。
その一人が主人公のクーパー。
かつては宇宙船の名パイロットでしたが、NASAの解体後は農夫として暮らしていました。
ワームホールの先は未知の宇宙。
いくつか人類が生存可能な星が候補に上がってきていますが、ほんとうにそこで暮らせるかはわからない。
戻ってこれるかもわからない。
それでもクーパーは旅立っていきます。
自分の息子や娘の未来を閉ざさないために。
この恒星間を股にかける探検に身を投じる人々は人類を救うため、人間という種を守るために旅立ちます。
しかし、距離もそして時間も隔絶した(彼らが行く先はブラックホールがあり、その近くで過ごすと地球上よりも時間が相対的に遅く進む)場所で、孤独感に苛まれます。
彼らを支えるのは、人類を救うという大義。
また愛する家族を守りたいという想い。
そして自分という個として生き延びたいという本能。
隔絶して絶望的な状況の中、それでも人はなんのために生きようとするのか。
自分はそういう状況の中で、どうありたいと思えるのか。
主人公クーパーは、人類を救いたいという大義は持っていますが、なによりも子供たちを救いたいという想いが強い。
地球から遥か離れ、また子供たちとも会えないかもしれないという絶望の中でも、その想いを叶えようとすることは揺るぎがありません。
けれど彼は自分の家族のことしか考えない男ではなく、人類を救うために我が命をかけることも厭わないのです。
クーパーの同僚であるアメリアはこの計画のリーダーの娘であり、人類を救わなければいけないという大義、そして自分の使命を強く意識している女性です。
しかし彼女も究極の状況では、愛する人に会いたいという気持ちに揺さぶられます。
それが人間というものなのでしょう。
また先発メンバーの一人であるマン博士は、人類を救うという大義を語る理性的な人物のように見えますが、孤独の中で我が身を救いたいという利己的な本能に支配されます。
これもまた人間なのかもしれません。
地球から遠く離れ、もう自分が地球の地を踏むことはないかもしれない。
そんな状況でも、クーパーやアメリアの人類を救いたいという意思、家族を助けたいという想いはくじけることはありませんでした。
絶望的な状況であっても、その意思や想いを捨てず、最後まで足掻く。
それもまた人間かもしれない。
そしてその意思や想いは時空さえも越えていく。
人の力を信じている。
そういう製作者の想いが伝わりました。
とかく最近のSF映画というと、その描く未来は暗く、ディストピア的なものが多い。
本作も決して明るい未来を描いているわけではありませんが、それでも人を信じるという希望が感じられるという点が良かったですね。
| 固定リンク | コメント (8) | トラックバック (81)
最近のコメント