「烈車戦隊トッキュウジャー THE MOVIE ギャラクシーラインSOS」 作品のテーマを簡潔に言い得ている
夏のスーパー戦隊の劇場版は30分程度の上映時間と、テレビ本編とそれほど変わらない尺になっています。
ですので劇場版らしいイベント感を出すのに毎回苦労されているようですが、今回の作品はイベント感もあり、さらには「トッキュウジャー」のテーマなどもうまく織り込めた作品に仕上がっているように感じました。
「烈車戦隊トッキュウジャー」の主人公たちは”レインボーライン”という列車にのって旅をしています。
この”レインボーライン”というものは人のイマジネーション(想像力)をエネルギーにして運行している列車のため、想像力を失ってしまった大人たちには見えず、子供たちにだけ見えるという設定です(トッキュウジャーのメンバー、ライトたちのように成長してもイマジネーションを失っていない人には見えます)。
劇場版では”レインボーライン”の路線の一つ、宇宙を運行する”ギャラクシーライン”が登場します。
”ギャラクシーライン”を走るサファリレッシャーは敵である”シャドーライン”に撃墜され、地球に不時着しますが、宇宙に帰るエネルギーが得られません。
それは地球の人々がイマジネーションを失ってしまったからだとサファリレッシャーの車掌レディは考えます。
そもそも”ギャラクシーライン”は60年代、人類が宇宙へ夢と希望を持っていた時代、人々が宇宙へのイマジネーションの翼を広げていた時代にできました。
アポロ計画や宇宙ステーションなど確かにあの時代は、宇宙に対して人類は夢を持っていた時代でした。
しかし、その後冷戦の終結や世界経済の低迷などもあり、急速に宇宙への感心は減っていきます。
内向きの時代になっていったのですね。
地上に降りたレディは人々を見て、「上を見上げていない、みんな下ばかりを見ている、人間はイマジネーションを失ってしまった」と言います。
しかしライトは人はイマジネーションを失ってはいないと言い、彼が立てた作戦をきっかけに人々は”ギャラクシーライン”を目にすることができ、その想像力がサファリレッシャーに力を与え、宇宙に旅出させることができたのです。
今回の劇場版は現代がかかえる鬱屈さ(下ばかりを見ているというセリフに象徴される)に触れつつも、人間のイマジネーション(想像力)、可能性について非常にポジティブに描いているという点で、「烈車戦隊トッキュウジャー」という作品のテーマを端的に描いた良作だと思いました。
さすが小林靖子さんです。
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